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海外での発達障害、軽度の知的障害の扱われ方

あまり知られていないので当事者としては知りたいです。日本型の空気を読む、なんかは発達障害には辛い、とよく言われますが、

海外での発達障害者の就労、扱われ方、見られ方なんか詳しく教えてください。

後見えにくいグレーゾーンや軽度の知的障害の方なんかもどうやって暮らしてるのでしょう?

犯罪者、物ごいとか?アメリカは進んでるのでしょうか?ジョブスなんか発達らしいってことですけど。

国によるでしょうが。何か知ってることなんでも教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 途上国の発達障害、軽度の知的障害はそもそも問題にならないのでしょうか?

    それとも虐げられてるのだろうか、

      補足日時:2020/06/27 07:29

A 回答 (6件)

No.3 への追加です。


質問者さんの趣意に合うかどうかという点と、たびたびと言う点で失礼します。
『早期発見』の重要さについてです。

ウチの子の場合、誕生時、体重が1200gr 以下でした。
いわゆる超未熟児です。
それが大事な点ではないのですが、そういった子にありがちなのが『脳内出血』です。
こどもに起きた問題はこれでした。
テニスボールより小さい頭に大人の親指の爪以上の大きさの出血域がいくつもありました。
主治医が言った『覚悟せよ』はこれがもとです。
ただ、人間は脳の表面しか使わないし、その9割は使わない。
『先手、先手の訓練で本来発生するはずの機能を残った生きた場所に発生させればいい』というのはそこに由来すると私たちは理解しています。
そして、うまくいったと思っています。
しかし、脳の発達・成長・学習は生後数年が勝負。
特に早ければ早いほどいいんです。

その観点で No.3 への質問者さんからのコメントにあった日本の医師のことば『3歳まで待ってね』は最低だ、ということを言いたくての追加でした。

誕生間もない子供の脳の状態確認がいかに重要か、そして、そこに問題が少しでもあった場合、その影響をいかに少なくできるかを対応するシステムの構築が重要と思います。
こどもはかわいいです。
でも、多くの場合、親もその親も仲間も、犬や猫をかわいがるのと変わらない意識しか持っていません。
それが違うんです。
特に医学関係者にそれを願いたいのと、理学療法士なんかにそういった知識を持った人が増えてくれることを望みます。

ウチの子の場合、理学療法士に『言語』と『基礎的な運動機能』の訓練を頼んでました。
その過程で分かったことが一つ。
言語の発達が遅れていて、それは『聞こえていないからかもしれない』とのこと。
療法士のネットワークとこども病院のネットワークが連携していたので、遠方に引っ越した後でしたが、こども病院が呼んでくれて診断。
内耳と喉をつなぐ管が発達未熟で詰まっているので体液を排水できないでいるとのこと。
15分ほどの簡単な手術で鼓膜にパイプを埋め込んでくれて排水できるようにしてくれた。
それで会話能力は劇的に上がりました。

こういうこと、親にはわかりませんよね。
療法士さんのような専門家が多くの子とその子たちの日々の状態や変化を見ていてくれないと。
そういったことがすっごく大事だということが言いたかったので追加でコメントしました。
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この回答へのお礼

今回の質問、親身に回答くださってとても嬉しいです。

早期発見、これは日本でも言われていますが、まだまだだったんだ、と知ることが出来ました。

日本には大人の私のような困った発達障害、グレーの人も含めたくさんいる、

だからまだ幼児でも早期、と見られているような気がします。

私もまさか赤ん坊の時から見れるとは正直思っていなかった。

本当は大人になってから診断がついても、手遅れ、、なんですけどね。

それをあんたはもう大人なのだから自分でなんとか出来るだろう、とこのサイトでも言われてしまい。

こっちは特攻隊のような気持ちで死ぬ気で挑んでるのに伝わらない。

むしろ欠片も伝わらなく酷い物言いばかりされて。

すみません、話が脱線しました。

会話、聞き取りのこと、ピンときました。私も耳が悪い?頭が悪い?のかとにかくリスニングが苦手で。

相手の言葉を上手く聞き取ったり素早い反応が苦手です。

呼ばれてもよくきづかなかったり。

身体的な原因もあるのですね。

言語の遅れはあまりないと言われたのですが、リスニングが苦手でどうしてだろうと思っていたので。

すごく参考になりました。私は自分と同じような苦労しろともこれからの発達障害の子に思わない。

でも反面羨ましく、恨めしくもあります。正直な気持ちです。

でも変わって欲しくもあります。

ありがとうございます。

お礼日時:2020/06/30 02:50

すみません、ダラダラと何度も。


アメリカの医療は高額と言う悪い点はありますが、いい点もあります。
ネットワークと透明性です。

こどもの話しで何度か話したこども病院。
The Childrens Hospital という組織です。

アメリカはとても流動的な国です。
人がとても動く。
『親』は職や会社をよく変え、それにつれて遠くへ引っ越すことがあたりまえです。
だから子供も引っ越します。
引っ越すと言っても半端じゃありません。
アメリカの西海岸から東海岸に引っ越したらとんでもない距離です。

何が言いたいかと言うと、それで医療情報はつながってるということです。
特に重病の子どもについては。

幸い私たちのこどもは超未熟児と言う重病でした。
お金はかかりましたがこども病院の世話になれた。
この組織、全米ネットなんです。
どこに行ってもすべての治療履歴でもなんでも、医者はみれるんです。
こどもは彼自身その医療従事者で、自分の記録は見れると言ってます。

これがあると、医者やその関係者は何が出来るかわかる。
これは大事なことと思います。

それから、日々の医療で世話になる医者。
引っ越すのでその地を離れるとき、医療記録をすべてもらいます。
そして、住むことにした新天地の医者にそれを渡します。
医療記録は私たちのものなんです。
透明性と言ったのはこれです。

これがあるから過去からの因果も含めたケアが頼める。

医療システムに何か意見したいという立場では、これは大事と思います。
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この回答へのお礼

そうなんですね。私は田舎の少中一貫の底辺高を出ました。

非常に狭い世界で親も私よりも世間体を大事にしてました。まぁそれが今思えばその狭い世界で生きる処せん術だったのですが、

とっても苦しかったです。今みたいに不登校も許されない時代。死んだような気持ちで学校に行ってました。

ここから抜け出したかった。

ご両親の柔軟な対応とアメリカの環境がマッチしていて息子さんは幸せですね。

私は実家の田舎→成人してからその県の大きな都市に彼氏の家に逃げるように行き→それからも東京へ行きやっと診断がつきました。そしてまた地元の都市に戻ってきました。

この時30歳越えていました。そして引っ越す時医師ともいろいろあり、手帳も期限が切れ、

今、医療とは正直繋がれてないのです。

正直医師への不信感はあると思います。

でも辛い過去を抱えてもまた、一歩進むしかないと今考えています。

私自身も非常に流動的であることも今の不思議な診断と人生になってると感じます。

そして良い着点が見つかれば、とまだ探しています。

発達障害の良い日本での着点が見つかり、よりよくなれば、と私は考えています。

貴重なコメントとても考えさせられました。

ありがとうございます。

お礼日時:2020/07/01 17:54

たびたびでスイマセン、No.1+2+3 です。


ご存知だとは思いますが、もしそうでなければという意味での情報をひとつ。
アメリカには自閉症協会(Autism Society)というのがあります。
私たちもそこの援助を受けました。
全米自閉症協会の本部はノースカロライナ州のチャペルヒルにあり、ノースカロライナ州立大学チャペルヒル校が支援しています。
この州は、いろいろな点で自閉症や知的障碍者への支援プログラムを持っています。
今はコロナ禍で苦戦してますが、過去の活動は参考になるでしょうし、今後どう立て直すかも注目には値すると思います。
情報をご覧になるのは参考になるかもしれません。
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この回答へのお礼

教えてくださってありがとうございます。自分でもいろいろ調べてみます。

お礼日時:2020/06/27 07:27

No.1+2 です。


ウチの子の場合、問題の発覚は生後数日でした。
主治医に呼ばれてされた説明は『検査の結果、脳に損傷があるかもしれない』ということでした。
20年以上前のアメリカのすっごい田舎でしたから、CTなんて高くて使えません。
超音波での検査でした。
でも、大事だったのは医学的な認識だったと思います。
『親の愛情が足りないから』なんて、医者の言うべき言葉じゃありません。
それと、先手、先手で訓練し『損傷を受けた脳に発生するはずの機能をまだ使えるほかの部位に発生させる』という考え方。
これに救われたと思います。
これ、早くしないといけないと思います。
運動機能で言えば、『ハイハイ』機能はそれが始まる何か月も先から訓練しないといけないからです。
いまだに日本はその『すばやさ』がないように見えます。
子供の成育速度はものすごく速いので、それを先回りしないといけないなら、とんでもなく急がないといけない。
日本の医療にその迅速性が感じられません。
運動機能は見たり訓練したりするのは簡単です。
でも知能は違います。
それだけ難しいんです。
そこを抑えればハッピーになれる子供たちは増えるんじゃないかと思います。
ウチの子が出来たんですから。
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この回答へのお礼

それ聞いたことあります。

日本ではあまり早いと医師がはっきり言わないか、診断をつけてくれないそうです。3歳まで待っててね。

本当に迅速ですね。日本でも早く取り入れてほしい。

そうですね。私も愛着障害とここで言われました。確かに親に対する複雑な感情はあるのは確かですが。

でも支援されず育ち、軽度ゆえに福祉の網からも落ちてしまう可能性が高いのに

親が亡くなってしまったらやはり絶望するでしょう。それがどんな親でも。

その困難が理解できるほどには絶望します。

それを愛着障害と言われても、私自身どうすることも出来ない。

とっても興味深い話ありがとうございます。希望が見えれば幸いです。

このような話を広めていきたい。

お礼日時:2020/06/25 18:29

No.1 です。


自慢話のように聞かれるのは意図してませんので、言いたいことをまとめます。

ある種の知的障害は、時期や内容を適切に考えた訓練で軽減できる可能性があります。
知的障害を持つとネガティブな部分が生じますが、他人よりとんでもなく優れた点もあったりします。

それらをいい方向に導けばいいということです。
一辺倒の見方しかしないのではなく、子供の能力をしっかり見てくれる教育環境があると、子供は伸びます。
アメリカでさえそれは大変だった。

こういったことを個人でするには困難が伴います。
幸いアメリカは家の価値は管理さえしっかりすれば下がりません。
日本に比べれば容易に子供に適した環境に移動できたのは幸いでした。

それと、社会が子供だけでなく、親の負荷に対しても配慮してくれる助けがあったこともうれしかった。

そんなことが言いたかったです。

日本の知り合いにも自閉症や発達障害などのお子さんをお持ちの方が何人かいます。
中にはウチの子のようなお子さんも居るんじゃないかと思います。

こどもは今大学の6年生。
奨学金をもらいつつ、今は研究のスポンサーからひも付きでない給料までもらっています。
この差、ウチの子の幸運という意味ではなく、何とかならないかとはいつも思ってます。
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この回答へのお礼

とても興味深い話でした。

大丈夫です、ちゃんと伝わってます。

日本だけかは知りませんが、ボーダー(知能がボーダーライン)、グレーゾーン(手帳は取れないが人によっては困難を抱える)

いわゆる軽度だからマシ、軽度なんだから甘えるなという無言の圧を

福祉の関係者の中にすら感じることがあります(けしてすべてとは言いません)

軽度だからマシという話ではなく、だからこそ取り残されたり、見逃される恐れがあることを伝えたかったのですが、

ここでもリアルでも話した人に伝わってないような気がします。

ケーキを切れない非行少年だったかな?書簡が出てます。

もしかしたら早期の訓練で社会に溶け込めたかもしれない少年達。

見逃され、酷い環境に育ち非行や犯罪に走ってしまうこともあること。

私もなんとかしたいと当事者として思っています。

貴方の経験したことにそのキーはあるように感じます。

お礼日時:2020/06/25 18:20

プロファイルに記したような者です。


ウチの子は、ある致命的ともいえる問題があって障害があるかもしれないとかなり早期に言われてそれに対応しました。
対応とは、本来の発達の時期のかなり前からその機能・能力の発生を促す様々な訓練をするということです。

アメリカで誕生し、その後まもなくの検査で自閉症になる可能性を示唆され、その対応を取りました。
そのプログラム、すべては全米ネットの子ども病院と、生まれたときに世話になった医師の助言によります。
自閉症に始まる様々な知的障害は脳の問題が原因です。
こどもの主治医は台湾系の方で日本の医療事情にも詳しく、日本には期待しない方が良いと強く進言してくれました。
はっきり言えば、日本の子どもの医師界には『自閉症は親の愛情が足りないのが原因』と信じる人がいっぱいで、こどもにまともなケアなど望めないし、仮にそれがあったにせよ、『障害児は社会に受け入れられないでしょう』と。

こどもが保育園の時期に短期間日本に帰った時の経験です。
こどもは『精神薄弱』と診断され、障害者手帳を発行されました。
アメリカの医者の言うことが正しいとわかり、すぐにアメリカに戻りました。

外見は全く健常児と同じで、ちょっと運動が苦手なのと、人付き合いが苦手でした。
しかし、それは結構簡単に軽減できました。
水泳が好きになって市のクラブに入って人並みには運動できるようになりました。
人付き合いも、YMCAで普通の他の子たちとつきあい、大学町なので上の年齢の人達と付き合い、ボランティアで下の年齢の子たちと付き合わせて、こちらも問題なし。

日本では『特殊学級』や『養護学校』に行かなければならなくなると、普通の学級に戻れますか?
難しいし、それで普通に大学なんかの受験ってできますか?

家内は日本では短大の家政科を出てましたが、当地で子供に適切な教育環境を手に入れるために、ここの州立大に入り、特殊教育の教員資格を取りました。
障害児についての物いう教員です。
特別な対応が必要な子供に対する教育プログラムを学校に作らせ、実行させてました。
レベルの低い校区にはさっさと愛想をつかし、適切な学区への転校も実行しました。
すべて、健常児としての扱いです。

こどもは性格はとても穏やかで、勉強は良くでき、独自にいい発想力も持ってます。
家内はそれに合う学区を見つけて引っ越しを重ねました。
コロナ禍の今だからこそテレワークが普通になりましたが、我が家で私はずいぶん前からそれをしていました。

こどもは理屈が好きという意味で理系的でもありましたが、歴史や言葉も好きでした。
なので、最初にラテン語、つぎにスペイン語、フランス語、中国語を覚えました。

高校に入ったあるとき、学外の個人的な活動で技術的な研究をして懸賞論文に応募してみたいと言い出しました。
私がやってた趣味のことを提案し、私の仲間の大学教授にメンターを頼んで進めさせました。
賞は逃しましたが、受理されただけでも大したもんです。
日本の大学生でも相手にされない大手のふたつの募集が受け取ってくれたんですから。
その経験も自信のもとにして今の大学に進みました。
どことは言いませんが、すっごいいなかですが、州立大の旗艦校(本部校)の医歯薬生物系。
世界でも有名な大学ランキングTHEで東大・京大と比肩します。

日本では国公立の大学は私立に比べれば学費は安いです。
しかし、アメリカでは、州立大と言えどもレベルが高いほど学費は高く、日本の方からは考えられないほどです。
こどもの大学の学費は年額300万円以上ですから。
でも、こどもが高校時代にチャレンジした懸賞論文などを評価してくれた学部長が、本来なら3~4年生からしか受け入れないところを研究室の研究員に受け入れてくれ、学費だけでなく、勉強に必要なパソコンなどの教材費などもふくめた高額の費用を返さなくてもいい国や州や財団などの奨学金で賄えるようにしてくれました。

こどもは子供で前進欲旺盛で、やりたいことのためには取らないといけない単位が足りないので、夏休みは他の大学に行くと言って、酢ランスの大学の夏期講座に3か月間こもってました。
また、このコロナ禍前までは、先端的な治療のための医療技術と機器の開発のために、工学と特殊な医療技術の習得のため、隣町にある州立の工科大と、それとは別の隣町の超有名な私立大医学部に通っていました。

私たちに経済的な資力はありません。
また、こどもは、日本なら思いっきりハンディを持ってたでしょう。
その今がこうなのは感慨です。

全然別の話題です。

こどもば自閉症の一種と思っていました。
その症状が軽減しただけで、今でもそうだと思ってますが、それに対する社会の支援についてです。

私たちはその支援団体にお世話になっています。
ウチの子の症状は重くないですし、状態は健常児とほとんど同じなので、経済的にも物理的にも精神的にも、あまり負担はありません。
しかし、ある程度はあります。
この地の団体はそれをちゃんと察してくれます。
定期的に、ホテルに呼んでくれ、食事を家族で楽しみ、その日はホテルに泊まり、家族が家事から解き放される仕組みを提供してくれています。
家内は、とても助かったと言っています。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳しくお話を聞かせて頂きありがとうございます。

私は37歳、自閉症スペクトラム、軽度の知的障害IQ69併発しており、息子さんとは年代も違うので比較は出来ないかもしれませんが、

度々気になるワードがあったので記しておきます。

平成初期のあの当事、問題を起こした私は11歳の時自閉症の可能性がある、と医師の診断を受けています。

まだ発達障害という言葉がなかった時代の話です。親はそれを否定してしまいました。

精神薄弱、うちの親もよくに口にしていた言葉ですが、とても差別的な意味合いで使ってたように思います。

アメリカの話、詳しく聞けて良かったです。やはり日本は遅れているのですね。

息子さんの目覚ましい成長、私も読んでいてホッとしました。

私は今、日本で障害者と健常者の狭間の貧困でギリギリ生きております。

たぶん軽すぎて障害年金も厳しいレベル。でも放置されたため、社会的にはかなり困難が残ってしまいました。

環境の違いとはいえ、切なくも思いますが、ある程度年齢的に成熟して

自分の障害、波瀾万丈な生い立ちすべて受け止める強さだけは身に付けたようです。

今、就労と福祉と社会の狭間でなんとか生きようともがいています。

私は日本以外では暮らせないし。

若い世代は早期発見、早期療養でだいぶ変わってくるか、と思うのですが、

やっぱりまだまだこの分野では日本は遅れを取ってるのですね。

親御さんの対応とむこうのプログラム支援も充実してるのでしょう。

まだまだ日本人は学ぶことがありそうです。

ありがとうございます。

お礼日時:2020/06/25 17:50

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