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あなたは あなた自身のことを一番知っているのは誰だと思いますか?
また、何故そう思うのか理由をお聞かせ下さい。

A 回答 (35件中1~10件)

 harumikanさん、こんにちは~♪ (^-^)



 多少哲学的な匂いのするご質問のような気もするのですが(笑)、まぁ普通に「日常生活的次元での自分」としての「あなた自身」とここは解釈しておきます。

 そうすると、やはり人によって捉え方は様々でしょうね。そうしたレベルの自分ならば、やはり私も「俺のことは俺が一番知っている!」という自信は揺らぎます(笑)。私以外の誰かが、案外私以上に私自身を知っている局面にも遭遇することがある。「私」なるものは現実社会を営んでいく過程で、その出会う人たちの一人ひとりに、個人個人に、「様々な形」で引き出されていくんですね。

 そして必要に応じ、その時々の状況に応じて「他人から『引き出された私』」を見て、「私」が「私だ」と思っていたものが「事実そのとおりだった」と安心してみたり、或いは「おお、こんな『私』もいたのか」と驚いてみたり、「いや、それはちょっと違う『私』だ」と戸惑ってみたり、「これは完全にあり得ない『私』だ」と否定してみたり・・・

 そういう意味で「私」というものは「日常生活的次元での自分」でさえ、「一定の形」を取り得ていないことが多い。つまり「様々な私の形」があるわけです。しかしながら、そうした「『様々な私の形』を貫いているひとつの思い」があるとするならば、それを一番よく知るものはやはり「自分自身」になってくるのではないでしょうか。

 勿論そうした「私を貫くひとつの思い」でさえ、「私自身に果たして客観的に理解できているのか? 案外その思いさえも私以外の誰か(伴侶や両親、恋人、子供等々)の方が知っているんじゃないか?」と感ずる人はいると思いますし、いても少しも不思議ではありません。そういうふうに感ずるのは一方で「『私』のことは『私自身』にさえ分からない」という確固たる(哲学的)真理があるからです。「『私』のことを私以上に知ってくれているのは私の恋人(両親、伴侶etc.)だ」というのは、ですから極めて当然の、「私自身への理解の仕方」だと思います。

 問題の裾野が広がるようで申し訳ないのですが、つまりは「私」というものをどう解釈するかによって、「そういう私を一番知っているのは誰それだ」ということになってくるのでしょう。

 以上の点を押さえた上で、私はやはり「自分のことを一番知っているのは私自身だ」とお答え致します。ただし、一方で「『私』のことは『私自身』にさえ分からない」という厳然たる哲学的真理に対しても謙虚ですので(笑)、人様が私のことをあれやこれやと分析し、解釈するのはこれっぽっちも否定しないのです。他人が解釈した「そういう自分」もまた「私自身だ」と肯んずることにしています(笑)。

 ただし、非常に曖昧模糊としたグレーゾーンというのもありまして、そうした様々な解釈の中には、否定もしないが肯定もしない、というのも少なくありません(笑)。要するに「どうぞあなた様のご自由にご解釈下さい」ということで、「その代わり私はその解釈に関しては一切ノーコメントです」ということですね(笑)。相手の解釈は自由なのですから、それを抹殺してしまうわけにはいきません。少年時代、20歳少し過ぎぐらいまではそれでもそうした納得いかない他人の自分への解釈は抹殺しようとしておりました(笑)。

 しかしある程度人生を生きてきてみると、そうした解釈は解釈をするその人自身の姿を表していたりすることが分かってきたんですね。勿論解釈の俎上に乗せられたのは「私自身」なのですから、そこには「私」のかけらが多数、至る所にあるわけです。解釈した人自身のかけらであるはずがありません。ですが、その「たくさんの『私』のかけら」をじっと見ていると、やはりそこに解釈した人の姿がまざまざと浮き上がってくる。それこそ「人は他人の姿の中におのれ自身の姿を見ているのだな」と思わせられるぐらいに・・・(笑) 

 まさしくそれと同じ意味で、つまりは私も他人を分析、解釈するときに、そこに多分に「私自身」を発見している、ということになるわけです。相手への正しい理解も誤った理解も一切合財ひっくるめて「ああ、お互い様なんだなあ。俺も誤解されてる(と自分では思い込んでいるが、案外その「誤解」(解釈)が「正解」だったりすることも多い)ところもあるけれど、俺だって人様を誤解している(これはホントに「誤解している」と疑う方がよい)ことがあるよなあ」と、そうした意味では「人間関係の複雑にして奇怪なる感情面の、不毛なる対立」という点において苦労するということは少なくなったかもしれませんね(人間としての感情的な部分が枯渇したという意味ではなくね(笑))。

「お互い様」というのがキーワードです(笑)。この「お互い様」という思いが根底にあると被害妄想も膨れることなく、ほど良い距離を保ちつつ、相手との「いい関係」が結べます。(でも、私の場合、案外真実は「お互い様」じゃなく、「私側の一方的な相手への誤解ばかり」だったりなんかして・・・(^-^;(^-^;(^-^;)

 「私」への多少悪意のある解釈も、小躍りしたくなるような善意の解釈も、仮にそれが自分自身では「全く外れてるな」と思うことがあっても、今や楽しくその誤解を楽しむことができるような心境になってしまいました(笑)。極端なことを言えば、若い友人が私のことをさも分かったような表情で「masatoshi-mさんて、本当にオヤジギャグが好きですよねえ?」と言ってきたと仮定しましょう。オヤジギャグなんて心底嫌いな私は、それでもこう言うのです。「おお、そうか、君はよく俺のことを分かってんだなあ。結構ハマルぞぉ、オヤジギャグ」と、その誤解を責めることなく拒否することなく、どころか、喜んで受け容れて一緒にその「私への誤解」を楽しむわけです。(このパラグラフに関する限り、一切のツッコミを禁ず(ぉぃ))

 「masatoshi-mさんて結構哲学者なんですねえ」と言われたら、本当のことを言えば「哲学」の「て」の字も分からない私は内心汗だくになりつつ、「ウ~~ン、き、君、よ、よく俺のことが分かってるねえ」とその誤解を一緒に楽しむ(ぉぃ)。後者のような誤解は本当は心臓に悪いのですが(笑)、それでも「ソフィーの手紙」で読み齧った生半可な知識を一つ二つ披露しておく。これで相手がさらに突っ込んでくれば私は「カッコつけたがりの見栄坊」、相手がそれで満足してくれれば私は彼にとっては「永遠の哲人」ということになります(ぉぃ)。

 なんだか少し話が脱線模様になってきました(汗)。「私」というものをどう捉えるか、ということを考え、それを発展させようとしたら妙な出口に出ちゃいました(汗)。しかも「正式な出口」じゃなく「非常口」・・・(^-^;

  何だかご質問への答になっているような、なっていないような・・・(汗汗汗)
 だいぶ以前にこの質問を見つけていたのですが、なかなかまとまった時間が取れずに、今頃になってやっと回答することができました。ですが、書いているうちに自分でも何が何だか分かんなくなってきましたので(ぉぃ)、この辺でやめておきます(笑)。

 どうぞharumikanさんも日々「自己発見」にお励みくださいませ。まずは「自分」を知らなきゃこの手の疑問も成り立たなくなりますからね。(^-^)

 それではこれにて。(^-^)ノ~~
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした(m_ _)m

>多少哲学的な匂いのする

「多少」ではありません。哲学的な質問です(ぉぃ)(笑)。

>出会う人たちの一人ひとりに、個人個人に、「様々な形」で引き出されていく

確かに仰るとおりです。私も出会う人たちに、様々な自分が引き出されました。中には誤解された自分もありましたが、今思えばその誤解は正解だったのかもしれません。相手にそう感じさせたのなら、それも自分だったのだと。

>「私」というものは「日常生活的次元での自分」でさえ、「一定の形」を取り得ていないことが多い。

そうですね。私の中にも本当に様々な「私」がいます。別の方の回答で、ジョハリの窓というお話しがありましたが、私は他人へ見せている部分は少ない方だと思っています。そんな中、他人によく見せる「ふざけている私」や「大ボケを演じている私」も、あまり他人に見せることのない「真面目な私」も全て私であって、それら全て知っているのは私ですからね。

>「私自身に果たして客観的に理解できているのか?案外その思いさえも私以外の誰か(伴侶や両親、恋人、子供等々)の方が知っているんじゃないか?」

私が悩んだのはまさにこの様なことでした。改めて思うと、私よりも私のことを知っているのは誰なのかと考えるのと同時に、私のことを誰かにわかってもらいたい気持ちがあったのかなと思います(笑)。でも逆に考えれば、私が自分以外の誰かのことをその人以上にわかっているかといえば、そうではないような気がするので、それを他人に求めるのはおかしな話なのかもしれないと思いました。

>「自分のことを一番知っているのは私自身だ」とお答え致します。ただし、一方で「『私』のことは『私自身』にさえ分からない」という厳然たる哲学的真理に対しても謙虚ですので(笑)~~(以下略)

私も色々と考える時間が増えましたが、masatoshi-mさんのその様な考え方には同感致します。人が思う私というものが誤解されていたとしても、たとえ否定したいようなことであっても、それが自分なのだろうと受け止めた方がいいのかなと思うようになりました。ただ、肯定することは難しいですね。masatoshi-mさんの仰るようにグレーゾーンで否定も肯定もしないというところでしょうか(笑)。

(#29のお礼欄に続きます。)

お礼日時:2005/08/07 11:10

誰もいない。

と思います。
自分で分からないのは当たり前だし、
他人にだって、側面しか分からないでしょうから。

この回答への補足

回答して頂いた皆さま、長い間締め切らずに申し訳ありませんでした。
本来ならばアンケートですし、ポイントをつけるのはおかしな話かもしれませんが、今回はつけさせて頂きますね。皆さま、ありがとうございました^^

補足日時:2005/08/07 14:15
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした(m_ _)m

>誰もいない。と思います。
自分で分からないのは当たり前だし、
他人にだって、側面しか分からないでしょうから。

そう思われる方は結構いるのですね。私もそう思うことが多いです。でもやっぱり自分自身なのかなぁと思ったり…。

確かに他人が側面だけじゃなく、全て知っていたら、それはそれですごいことですよね。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 13:56

1番と言うのを、どう捉えるか自信がありませんが


「価値観」なら嫁さん、「感情」なら子供
バンドをやってる時の「ノリ」ならバンド仲間って
とこでしょうか?
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした(m_ _)m

>「価値観」なら嫁さん、「感情」なら子供
バンドをやってる時の「ノリ」ならバンド仲間

色々と分けて考えるとそうなるのですね。何となくわかる気がします。
それぞれを理解されている方にも興味がありますね。特に「感情」なら子供 というところに…。やはり子供はそういったところに敏感なのでしょうか。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 13:52

自分のことを一番良く分かっているのは、「自分自身以外」



自分で自分が一番良く分かってるなら、苦労はしないと思うことが良くあります。
自分の性格、思想・・・。自分を一番自分が知っていて、優等生であろうとすれば世の中同じ人間の集まりです。現実はそうでもないでしょう?

私は、座右の銘も「世の中で、自分の事ほど分からないものはない」です。

親でも、恋人でもない、でも自分でもない。神という存在があるのなら、それが一番都合がいいと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした(m_ _)m

>自分で自分が一番良く分かってるなら、苦労はしないと思うことが良くあります。
自分の性格、思想・・・。自分を一番自分が知っていて、優等生であろうとすれば世の中同じ人間の集まりです。現実はそうでもないでしょう?

興味深いご意見、ありがとうございます。確かに自分で自分の全てをわかっているのなら苦労はしませんよね。

>私は、座右の銘も「世の中で、自分の事ほど分からないものはない」です。

おお!何だか考え込んでしまいました。

>親でも、恋人でもない、でも自分でもない。神という存在があるのなら、それが一番都合がいいと思います。

確かにそうかもしれませんね。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 13:49

やはり「自分自身」だと思います。



よく風邪をひいた時に、他人がいくら心配しても
その症状を実感しているのは自分しかいないからです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした(m_ _)m

>よく風邪をひいた時に、他人がいくら心配しても
その症状を実感しているのは自分しかいないからです。

確かにそうですね。痛み、苦しみは特になった人しかわからないような気がします。勿論、痛み、苦しみを感じていることは周りの人がわかっているというのも理解出来るのですけどね^^;

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 13:03

自分の子ども(たち)です。



しかもその場で言わずに、「あのときのお母さんは○○だった」と言われて、どきっと反省します。

自分でも、おっ今日は心に余裕があるなーというときは、「お母さん大好き!」と寄ってきます。

ほんっと、鏡か?!と思うくらいです。心を映す。

そのくせ、母(私)は娘心が分からずに心配ばかりしてます・・・
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした(m_ _)m

>しかもその場で言わずに、「あのときのお母さんは○○だった」と言われて、どきっと反省します。
>自分でも、おっ今日は心に余裕があるなーというときは、「お母さん大好き!」と寄ってきます。

子供は本当に敏感ですよね。大人にはない不思議な力があるように思えます。大好きなお母さんだからこそ、よく見て知っているのかもしれませんね。

>そのくせ、母(私)は娘心が分からずに心配ばかりしてます・・・

わかりますね…(T_T) 私も子供の心が読めずに苦労することばかりです^^;

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 11:55

あんまり親しい友達もいないしなあ(笑)。


普通に考えると親だと思うけど、でも自分でもないですね。
自分で自分のことって主観が入るので客観的に判断しにくいですよね。

けっこう嫁さんあたりがいちばん分かってたりして。
ことごとく自分の行動を読んでますし(爆)
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした(m_ _)m

>自分で自分のことって主観が入るので客観的に判断しにくいですよね。

そうですね~。自分を客観的にみるというのは難しいときが多いですよね。

>けっこう嫁さんあたりがいちばん分かってたりして。
ことごとく自分の行動を読んでますし(爆)

wannizzさんは奥様のことはよくわかりますか?私は女の勘がよくはたらくのか、そういうの(行動パターン)は割と当たるんですよ~(笑)。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 11:19

 その後、harumikanさんにおかれましては「自己発見」の日々になっておられることと存じます。

(^-^)

 じ、実はですね、(^-^; さすがは「哲学はサッパリ分からない」と豪語するだけのことはある私(ぉぃ)、「ソフィーの世界」と書くべきところを「ソフィーの手紙」と書き間違えてしまいました。(^-^; これですっかり馬脚を露してしまいましたね(笑)。(え?「とっくに馬脚は見えていた」?^^;)
 
 それではこれにて。
 (^-^)ノ~~マタネ-☆
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この回答へのお礼

>「たくさんの『私』のかけら」をじっと見ていると~

同感です。となれば、そういったときに一歩下がって考えると自分が見えてくるのかもしれませんね。

>俺も誤解されてる(と自分では思い込んでいるが、案外その「誤解」(解釈)が「正解」だったりすることも多い)ところもあるけれど~

これも同感ですね。「それは私ではない。誤解だ」と感じることこそが、案外大正解だったりするのかな?と思うときがあります。masatoshi-mさん同様、人様を誤解している場合は本当に誤解していると疑った方がよいと思いますけどね。

>「お互い様」というのがキーワードです(笑)。

そうですね。誰かに自分を理解してもらいたいときには、まず相手のことを自分も理解しなければならないと思うし、誰かに誤解されたときには、自分も相手を誤解しているのかもしれない…。そういったことを常に心の何処かへ置いて考えた方がいいのかもしれませんね。

>「masatoshi-mさんて、本当にオヤジギャグが好きですよねえ?」(…以下略)
「おお、そうか、君はよく俺のことを分かってんだなあ。結構ハマルぞぉ、オヤジギャグ」と、その誤解を責めることなく拒否することなく、どころか、喜んで受け容れて一緒にその「私への誤解」を楽しむ

誤解も案外正解じゃ?(笑)まぁその辺りはmasatoshi-mさんが一番よくわかっていらっしゃると思いますが、自分を人がどう見ているかを知ることは楽しいかもしれませんね。

>「masatoshi-mさんて結構哲学者なんですねえ」と言われたら、本当のことを言えば「哲学」の「て」の字も分からない私~

あら?これも正解ではないのですか?(違うのかなぁ。masatoshi-mさんは哲学者だとばかり思っていましたけど…(笑))(…と褒めておかないと(ボソ))

>しかも「正式な出口」じゃなく「非常口」・・・(^-^;

「非常口」でもなく「入り口」へ戻っていませんか?(笑)

>自分でも何が何だか分かんなくなってきましたので(ぉぃ)、この辺でやめておきます(笑)。

私もこの辺でやめておきます(笑)。回答して頂き、ありがとうございました。masatoshi-mさんって「ソフィーの世界」を「ソフィーの手紙」と間違えて覚えていたり、相変わらず可愛らしいボケが多いんだな~と再認識させて頂きました(ぉぃ)(笑)。
(このお礼に関する限り、一切のツッコミを禁ず(ぉぃ))

お礼日時:2005/08/07 11:11

ん~



母ですかね?
敏感に感じ取られる時があります
(体調不良とか)
もちろん、知られていないことも沢山あると思います

自分でも自分自身が分かりません
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした(m_ _)m

>母ですかね?
敏感に感じ取られる時があります
(体調不良とか)

ああ、そういうことがあると「自分のことをよく見ていてくれているんだな~」と思いますよね。普段との違いに気が付くということですからね。

>もちろん、知られていないことも沢山あると思います

そうですね。私も同じです。(母に対してだけではなく周りの人全てに対してそう思いますが)

>自分でも自分自身が分かりません

自分で自分自身の全て知るということは難しいですよね…。回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/07 11:10

面白い質問ですね、回答させていただきます。


すごい難しい問題だと思いましたが・・・。僕は自分自身ではないと思います。その人にとって一番身近な人だと思います。

自分が描いている自分の像は、自分しか見ていません。自分のことをこういう性格だとか、誰にもみせない本性とかは、他人は見ていないわけです。自分だけが知る自分自身です。
しかし、他人から見た自分は、非常に多くの人に認識されているわけです。自分の知り合いそれぞれが、それぞれの頭の中で私のことを描きます。私しか知らないことは、他人には別にうつらないわけです。逆に、自分では見にくい部分を、多くの他人は知り、私の像を描くわけです。

ですから、私一人の描いてる主観的な自分と、その他大勢の見る私では、後者の方が本当の自分っぽいな、と思います。
わかりにくくてすみません(^^;)
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした(m_ _)m
退会されてしまったんですね(>_<) このお礼に気が付いて頂けると嬉しいのですが…。

その人にとって一番身近な人ですか。なるほど、興味深い回答をありがとうございます。

>他人から見た自分は、非常に多くの人に認識されているわけです。自分の知り合いそれぞれが、それぞれの頭の中で私のことを描きます。私しか知らないことは、他人には別にうつらないわけです。逆に、自分では見にくい部分を、多くの他人は知り、私の像を描くわけです。

そうですね。他の人が思う「私」というのは自分が「それは違うでしょう」と思っても「私」であるのでしょうね…。そういうところが見にくい部分、見たくない部分なのかもしれませんね。

回答して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/31 13:15
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