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ニュースで見たんですが、
家から近かったので浅草に

なぜ近いは過去形になってるんですか、家に近いので浅草にと言ってはいけないんですか
近かったになった理由を教えてください

A 回答 (9件)

時制というのは英語などの言語の観念で、日本語に時制の観念はありません。


日本語は文法用語としては、完結/非完結の区別と時を表す副詞表現で表して、何の不便もありません。時制があると思われている英語でも、実は、時折、未来のことに過去形を使っていたりします。

「家から近かったので浅草に」は、すでにそうだっ”た”から、という意味の完結です。
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これ、たぶんですが、過去形ではなく、過去完了形になるのでは。


過去完了→過去の動きで、すでに完了し、結果が現在も継続している。
完了形といわれるものは、完了の結果が継続している、と説明されます
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この場合の助動詞「た」は、



(4)物事や事態の確認を表す。「見ると,それは若いスマートな青年であっ〈た〉」「国境の長いトンネルを抜けると雪国であっ〈た〉/雪国(康成)」(大辞林)

という用法です。
例文は、
「過去に、若いスマートな青年であった」
「過去に、雪国であった」
という意味ではありませんよね。

それと同じで、

「家から近かったので」は、
「過去に、家から近かったので」という意味ではありません。

「(浅草は)家から近い」という状態が確認できたので

といった意味です。
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助動詞「た」にはいろいろな意味があります。

過去、完了、存続などの他に「発見」もあります。
家の近くにあったのに今まで知らなくて、ニュースで初めて知ったような場合も「た」を使います。
公園の中でトイレを探していて、やっと見つけて今目の前にあるときも「あ、ここにあった」と言います。
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この文では、「ニュースで見たんですが、」が「見た」と過去形になっており、この「た」の時点で一旦観念的な話者は現在に回帰しています。



そして、「~ですが、」の後に再び観念的に過去に移行し、「家から近かっ」と過去の事実を述べた後、「た」で現在に回帰し、それが過去のことであることを表現しています。

「家に近いので浅草に」にすると、それは現在の状況になりますが、そうではなく、「ニュースで見た」過去の時点の話であることを明確にするために「近かった」と過去形を使用したものです。

このように、日本語の時制表現は助詞「た」により極めて論理的な表現になっている点をきちんと理解しましょう。■
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その時点では近い状態だったから。

(今は近いというより、浅草に来ています)」
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日本語の過去形は時間では無く、表現者の感覚を表現するものもあります。

過去のこととして表現することによってその事実が既定のもの、当然にそうであるであることを強調しようとしているのです。
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これはいろんな説がありますね。



こういう用法を指して日本語は時制がグチャグチャだという人もいますが、私は「これは過去形ではなくて完了形が変化したもの」という説を支持しています。

もっとわかりやすい例をいえば、ホームに近づく電車を見て「電車が来た」といいますね。

まだホームに来ていないのに「来た」と過去形にするのはおかしいという人もいますが、これは「来たり」という完了形が変化したものだ、という説です。

いろんな説があるので詳しくはお調べになってお好きなものをどうぞ、という感じです。
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過去完了形だっけ文法全く出来ないので分かりません

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