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逃げてもいい、それが分かりません。
あれが嫌だ、これが嫌だ、この延長線に自殺があると思うんです。
自分の身に不幸や不満が日々積み重なることで希死念慮に駆られ死んでく。
しかしながらこの社会では周りを気にすればあれが嫌だこれが嫌だなんて言ってられない、そう選択の余地はあってないようなもの。
自殺しないギリギリのラインで逃げろなんてあまりにも理不尽です。
日本の社会にもそういう構造があります。
韓国ほどではありませんが。

苦しい人が死んでいく、ごくごく普通のことです。
毎日学校や仕事にいくのと同じように自殺するのも普通のことだと思います。
それくらいの社会に私たちは生きている。
違いますか?

質問者からの補足コメント

  • 嫌なことから逃れたい、これはその人からすれば問題解決でしょう。
    もちろんベストは死なずに問題解決です。
    しかしそもそも毎日学校や仕事にいくのと同じように自殺をするのは当たり前のことそういう社会に生きている=死なずしての直接の問題解決はほぼ不可能である社会という事を言っていますから、問題解決する保証はないというコメントは私の本文から言わせてみれば見当違いかと。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/09/16 02:13
  • 回答ありがとうございます。
    自殺をやめて欲しいという人の心理は質問していません。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/09/16 02:15
  • 回答ありがとうございます。
    いのちの電話等の活動は素晴らしいと思います。
    それは自殺の歯止めになっているのか?
    それは疑問です。よく、寧ろ電話したのが申し訳なくなるといった感想を持つ方が多いように。
    やはり他者が死にたいとまで思う人間の闇を取り除くというのは限界があるという1つの証拠でもあると思うのです。
    趣味もそう、限界があると思います。
    原因がはっきり分かって手術をすれば治る病気とはまた訳が違うと思うんですね。

    自殺したい人間側も「死にたい」と言うのはなかなか出来ないと思います。
    死にたいって聞く側にはすごい重い言葉でありその人を悩ませ困らせるからです。
    相談したところでどうしようもない問題もあります。その1つに社会やその社会特有のマインドが大きく関係していると思います。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/09/16 09:54

A 回答 (7件)

自殺されると、その後始末をする人が大変なのです


「やめてほしい」というのは、それが理由です
この回答への補足あり
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そもそも、死んで問題が解決する保障はあるんですか?

この回答への補足あり
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回答する前にちょっと感じることですが、たしかにそういう風潮だと思いますが、そこまで追いつめられる前に、昨日もニュース番組で何度も紹介されましたが「いのちの電話」や厚生労働省のサイトを確認するとか、【一人で対応しようとしないことが大切だとされている社会】でもあると思います。




ご質問文の中に、本人以外の登場人物、他者や味方の存在が無いように感じましたので、個人単体の話になっていて原因と結論が早すぎる、直結的過ぎるとも思いまして。


どんな時代でも、一人で不幸や不満に押しつぶされたら、結論は同じようになるのでは?とも思うので、他者と協力したり頼ることもあると、不幸や不満を軽くしたり、分散できることもありますし。他者の存在は「逃げ方の一つ」でもあると思います。



ご質問文のようなご時世ではあっても、不幸や不満が積み重なった時には、まずは他者に「助けてほしい」という一段階、ワンクッションを設けるべきだと思います。一人だけで受け止めると、どんな時代でも結果に直行してしまいがちだと思うので。


いつの時代でも「独力では脆いのが人間」という気がします。それが、追いつめられると心の中も自分独りになってしまうから、命の結末まで直行してしまうのが普通に感じられてしまう、というか。以前の時代には、心の中に家族が居たり、大切な人がいることで留まるといった話題も多かった気がしますが。


話を戻します。


不幸や苦しみの直撃を受けた場合、誰でも命の終わりを意識することはあると思います。それがいつ来るかもわかりませんが。


私のような、少なくとも他者としては「ほう助」になるようなことは言う立場にないですが、ご質問文のような現実がどこでも珍しくないと感じます。望んでいませんけど。


ただ、不幸や苦しみの直撃を避けるための工夫は、生きる上で必要な事でもあると思います。


不幸や苦しみから逃げる、避けるといった言葉にすると難しくもありますが、日常生活や世間で言われていることの中に、自然とそういう行動もあると思います。


例えば、「趣味」は現実逃避の一つの手段でもありますし、あまりにも現実の課題を心身に直撃し続けていると、誰でも病んでしまうと思います。そこで現実と距離を取るためのもの、気分転換のために「趣味」というものもあると。もちろん、楽しいから、好きだからといった理由もあると思いますが、結果日常と距離を置くことになる手段だと思います。



私の場合は、自らでなくても、生まれつきの血液の持病で、幼少期から何度も命が危険にさらされてきた経験があるので、今後も私の気持ちが生きようとしても勝手に身の危険があると思います。


私自ら終わりを望まなくても、守ろうとするだけでもいつでも人生が終わる危うさがあるので、そういった現実に抵抗しないと簡単に終わってしまう、というか。抵抗の一つとして、苦痛が生じないような行動を心がけたり、大事に至る前に生活態度の無理を避けるようにしたり。


そんな体の私からすると、「自ら手を下さないと命が終わらないという人が多い」という捉え方もしています。


健康であれば、肉体は生きようと脈を打ち、肺は酸素を取り入れて、血液が全身に栄養とともに運ぶ動きがあって…、それらは本人の意思に反して、肉体の側からすると生きるための仕組みだと感じます。心や気持ちがどうであっても、肉体は生きようとしていることに変わりがない、というか。



仕事上の人間関係も、お金に関することも生活を一変させる原因になることが多々ありますが、それが大事にならないようにケアすることも最悪を避けるための「逃げ」だと感じます。



逃げ方を工夫すること、は生きる上でのコツですし。一人で逃げ切れない場合は、協力や助けを求めることにも関心を向けて欲しいですし。




現在44歳の私は、96歳で他界した祖母が80代のときに実家で同居していて、人生や命についていろいろ話を聞いたことがあります。明治時代末に生まれた祖母の話は、戦前の話から生々しい命の話ばかりでしたが、昔の方が一人ひとりの命が軽んじられていたような印象がありました。


自ら選ぶことが出来たわけではなくて、時代のために、他人からの命令で命を失っていった人の話が多かったので。現在よりも、命の終わりが身近にあった話も多くて。


せめて自分で選択ができるうちは、自らの体の声に耳を傾けて、生きる方に舵を切る人が多い時代になっていってほしいとは思います。
この回答への補足あり
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>嫌なことから逃れたい、これはその人からすれば問題解決でしょう。


死後どうなるか解明されていないのにそう言い切る人は楽天的だだなと思います。
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どうしても社会に適合出来なければ、生活保護を受給されたら良いと思います。



本当は普通に働けるのに、生活保護を不正受給する事は悪ですが、頑張っても頑張っても社会でご飯を食べていけない人は、生活保護を受けたら良いと思います。
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>毎日学校や仕事にいくのと同じように自殺するのも普通のことだと思います。


それくらいの社会に私たちは生きている。
違いますか?

違います。
程度の差はあれ誰しも苦しいことも、一瞬でも死にたいと思うこともあります。
それは普通です。
しかし、日本は自殺者の数が多いとはいえ、年間で人口の0.00024%です。(3万人前後で計算)
それを学校や仕事に行くことと同じとは言わない。

>自殺しないギリギリのラインで逃げろなんてあまりにも理不尽です。

これもちょっと違う気がする。
ギリギリではなくとっとと逃げろと言っている。
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本当に自殺する人は遺言書を書く人はいるが、普通は黙って自殺します。

あなたもおとなしく実行してください。

自己責任でお願いします。私は一切責任を負いません。
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