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どちらの表現が自然だと思いますか。
 あるいは、意味が違う別の言葉なのでしょうか。
「肩の荷を下ろす」
「肩の荷が下りる」

 ネット検索の結果などでは「肩の荷が下りる」が優勢のようですが……。

質問者からの補足コメント

  • 一部の根拠のない「お念仏」を除き、コメントありがとうございます。
     当方が調べた感じは、下記です。
    【「肩の荷」は「下ろす」のか「下りる」のか 辞書】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12640415033.html

      補足日時:2020/11/29 15:47
  • 現段階の考えは下記ぐらいです。
    【「肩の荷」は「下ろす」のか「下りる」のか〈2〉 辞書 goo】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12643217378.html

      補足日時:2020/12/10 18:20
  • 当方の考えは、↑の2020/12/10の補足のとおりです。
     そのあとにいただいたコメントは↑を読んでいないのか誤読しているのか……。
     複アカを使う非常識な人がいて、ちょっと残念です。通報対象でしょう。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/12/26 09:46

A 回答 (24件中1~10件)

能動態か受動態か中動態かは論点ではなくて、慣用句としてどちらの表現が自然かどうか、という質問ですよね。


慣用句は、ことわざのように一言一句決まっているわけではないので、多少のバリエーションがあってもおかしくはありません。
例えば同じく慣用句の「腹がたつ」も「腹をたてる」も同じくらい頻繁に使われます。だからどちらも不自然には感じません。
しかし、「肩の荷を下ろす」と「肩の荷が下りる」だと、前にも書きましたが、私には前者には違和感があります。単に、耳にする頻度が多いか少ないかの違いからそう感じるのだと思うけど、なぜ「肩の荷を下ろす」の使用頻度が少ないかというと、おそらくですが他のより頻繁に使われる表現があるからではないかと思う。
「重荷をおろす」という慣用句があるけど、これが「肩の荷を下ろす」と同じ意味です。で、「重荷を下ろす」と「重荷が下りる」を比べると、前者の方が使用頻度は高いはずです(Googleで検索してもヒット数に大きな差がある)。
つまり、受動的に負荷が減った場合には「肩の荷が下りる」が良く使われ、能動的に負荷を減らした場合は、「重荷を下ろす」が広く使われているんじゃないか、と思うけど、あくまで想像です。
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この回答へのお礼

>能動態か受動態か中動態かは論点ではなくて、慣用句としてどちらの表現が自然かどうか、という質問ですよね。
 おそらくそういうことだと思います。
 
>例えば同じく慣用句の「腹がたつ」も「腹をたてる」も同じくらい頻繁に使われます。だからどちらも不自然には感じません。
 そのとおりだと思います。
 これはいい例ですね。「家が建つ」と「家を建てる」だとかなり違ってきますが、「腹がたつ」と「腹をたてる」ならほぼ同じでしょう。

 個人的には、元々は「肩の荷がおりる」だと思います。
「補足」やNo.13への返信をご参照ください。
 ただ、「肩の荷をおろす」の使用例もけっこうあるので、これを退けるのはむずかしいのが現状の気がします。
 自分では「肩の荷をおろす」は使わない気がします。

お礼日時:2020/12/03 21:35

>>現段階の考えは下記ぐらいです。


どうやら、当人の意思でおろすと「肩の荷をおろす」で、本人の意思が関係しないと「肩の荷がおりる」ということらしい。それはわかる。

大任を無事果たし、肩の荷がおりた。

の場合、「本人の意思が関係しない」などということはありません。先の引用にある通り、

責任や義務を果たして、ほっと一安心する。単に「荷が下りる」とも。「約束通りに工事が終わって、やっと肩の荷が下りた」

で、責任や義務を果たしたのは当然本人で全くの誤りです。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

繰り返しますね。

 No.22の返信をご確認ください。
 ウノミにして恥をかいている例はすでに書きました。「上塗り」ですか?
 繰り返しますね。

>先に指摘の通り
 どこでですか?
 大丈夫ですか?

お礼日時:2020/12/22 21:56

>>でも引用のサイトは海賊版の違法サイトですよね。

信頼できるのでしょうか。

海賊版の違法サイトというのは著作権の問題で、内容の問題ではありません。引用する意義があるからこそアップロードされるのであり、問題を取り違えてはいけません。

何やら質問者の言語感覚が露呈していますね。■
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この回答へのお礼

意味不明の連投はお控えください、と何度書けば……日本語がわからないのでしょうか。

 No.22の返信をご確認ください。
 ウノミにして恥をかいている例はすでに書きました。「上塗り」ですか?
 繰り返しますね。

>先に指摘の通り
 どこでですか?
 大丈夫ですか?

お礼日時:2020/12/20 12:21

肩(かた)の荷(に)が下(お)りる《慣》



責任や義務を果たして、ほっと一安心する。単に「荷が下りる」とも。「約束通りに工事が終わって、やっと肩の荷が下りた」
〈類句〉()肩が軽くな

肩(かた)の荷(に)を下(お)ろす《慣》

義務を果たし、重い責任や負担から解放される。「国際会議を無事に終わらせ、早く肩の荷を下ろしたい」
【三省堂慣用句辞典】
https://sakura-paris.org/dict/%E4%B8%89%E7%9C%81 …

のように、自動詞として客体的に捉え表現するか、他動詞により主体的に捉え表現するかの相違で、自然/不自然の問題ではありません。

先に指摘の通り、秘書が社長の煙草に火を点けて

社長、煙草に火が点きました!

と表現するか、自白を迫られ、

あの時、確かに煙草に火を点けました。

と表現するのと同じで、自然な事態として客体的に捉え表現するか、主体的な行為として捉え表現するかの相違です。

言語は話者の認識の表現であり、一つの事物はいろいろな側面、いろいろな関係を持っており、どの側面を取り上げるかで、同じ事物でありながら表現が違ってきます。

低気圧に居すわられて雨があがらない。

のような、いわゆる迷惑受身の自動詞による受身という複雑な矛盾の媒介的な表現も膠着語である日本語では容易に可能です。

こうした、言語表現と対象の立体的/重層的な在り方と表現との関係を理解することなく、単に結果としての形式とその多寡を論じ、どちらが優勢などと言ってみても何の解明にもなりません。

どちらも自然な表現であり、対象の捉え方が異なり、表現、意味が異なることを理解できない形式主義/機能主義的な言語道具観の克服が重要です。■
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この回答へのお礼

>肩(かた)の荷(に)を下(お)ろす《慣》
 
 こちらものせている慣用句辞典があるんですね。
 情報、ありがとうございます。
 でも引用のサイトは海賊版の違法サイトですよね。信頼できるのでしょうか。
 下記でもウノミにして訳のわからないことを書いている人がいました。
【広辞苑無料検索 って知ってますか 〈4〉 名詞と形容動詞 辞書】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12616971831.html

>のように、自動詞として客体的に捉え表現するか、他動詞により主体的に捉え表
 以下はいつもの「お念仏」ですね。お引き取りください。

>先に指摘の通り
 どこでですか?
 大丈夫ですか?

お礼日時:2020/12/13 20:37

>意味不明です。

「上っ面だけ」とはなんのことですか。
 何が「おっしゃるっとお」りなのでしょうか。
肝心な意味の違いでひっかるより、相手に対する優越感に浸れる部分で偉くほっかりますね、理解能力より、ぼちぼち人格が浮き出えてきたようでも。
意味の違いと、ネット検索の結果などでは「肩の荷が下りる」が優勢のようですが
まったく無関係ですよ。
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>ネット検索の結果などでは「肩の荷が下りる」が優勢のようですが…


これの意味するところがそうですよ。
上っ面だけでは確かにおっしゃるとお売りですね。
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この回答へのお礼

>これの意味するところがそうですよ。
 意味不明です。何が「そう」なのでしょうか。

>上っ面だけでは確かにおっしゃるとお売りですね。
 意味不明です。「上っ面だけ」とはなんのことですか。
 何が「おっしゃるっとお」りなのでしょうか。

 論理的な説明が苦手な自覚があるのなら、もう少し具体的にわかりやすいコメントをお願いします。

お礼日時:2020/12/06 17:37

①荷役労働者が荷を肩に担いで運び、その荷を下ろす→これを描写=(彼は)肩の荷を下ろす(または下ろした)、この場合は下りた、と表現されることは先ず有りません。


担いだ人の意思による行動以外で荷が無くなる時は下りる(下りた)では無く全く別の表現が使われます。
①世帯を持ち、子供も生まれた、さあ頑張らなければ(世帯を経済的、精神的に支える覚悟)、こんな想いが肩の荷に比喩される。
この肩の荷が下りるのは何時になるのか?、下ろすのは何時なのか?、と言うより、何時になるのだろうか?、子供が社会人になるまで、結婚するまで?、それとも・・・?。
②の中では、同一人物に付いて、同じ肩の荷にかかる表現で「下りる」と「下ろす」が使われています、どちらかにすべきだ、と言えますか?、しなければなりませんか 。
質問は確か、どちらが正しいか・・・ですね。
となると、質問者は②の文章が理解できない、と言うことになりかねません。
何を肩の荷に比喩するかにもよります、重大プロジェクトを任されて。肩の荷が重い、もあります。
達成の暁には?、肩の荷が下りた、なんともったいない表現?、やっと肩の荷を下ろすことができた。
自分が発する言葉でも客観的表現は可能です、肩の荷が下りた、でもこの場合は当人にとっては重大ではなく、朝飯前だった可能性が大きいです。
主観表現で、肩の荷が下りた?、もしそうなら、飛んでもない無責任野郎です、または途中で完全に破綻、でもそんな場合はこんな悠長なこと言っていられません、もっと深刻で複雑な表現が使われます
最後に(注 4コマ漫画でも起承転結の結が理解できないと笑えません)。
表現者が同一でも、主観的表現、客観的表現が可能です。
受け取る側はどんな場合にどの表現を使うかで、受け取る意味が異なります。
起承転結の起の部分だけで、文句をつけてガタガタ言って喜んでいるようでは・・・・?。
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この回答へのお礼

>この2者択一のいずれか、との決めつけがそもそも間違いとも。
 誰が決めつけているのでしょうか。
 当方はどちらも使われている例をあげています。

>質問は確か、どちらが正しいか・・・ですね。
 誰がそんなことを訊いているのでしょうか。
 よく質問文をお読みください。

お礼日時:2020/12/06 13:44

>「肩の荷」は「下ろす」のか「下りる」のか


この2者択一のいずれか、との決めつけがそもそも間違いとも。
肩の荷が下りた、であろう状態を客観的な描写で表現する時は、下りる、となるでしょうね。
自分で自分に言い聞かせる場合?(例 俺はなんてバカなんだろう、他人は一切無関係ですね、口に出す必要もありませんね)。
それを敢えて文書にすれば、肩の荷を下ろす。
自分の中で自分に暗示をかける、言い聞かせる、納得させる、言い換えれば自分で自分を堅い思いから開放する、そんなときに下ろす、を使います。
2者択一のいずれかが、正しい、なんてものではないのは確かです。
自動詞、他動詞の言葉を使っての説明も可能なんでしょうが、非常に回り口説く、複雑になりそうです
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>論理的・・・が念仏にしか聞こえない」……どこが「論理的」なのでしょう。


論理、そのものが理解できていない故の疑問に過ぎません。
言葉そのものを論理的で論じること自体、個人的には不可能と思っています。
自然科学等の法則の類、数学の数式なんかは、論理そのままですが。
言葉は人間が作ったもので、時代と共に変わるともいわれます。
言葉を発する側と受け取る側が全く同じ意味になる保証はありません。
自分が自分の中で考える場合に限って論理的思考が可能にはなるのかも?。
お礼の内容自体、想定外ですね、私にとっては、ほんの付け足し部分で素通りしたもらって一向に差し支えない部分です。
本当に引っかかってほしいと思う部分はその後段なんですが・・・
やはり〇〇能力?。
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この回答へのお礼

>論理、そのものが理解できていない故の疑問に過ぎません。
 いったい誰に対するコメントでしょうか。自嘲ですか?
 当方は、常識的な論理なら理解できます。
 そういう仕事をしているもので。

>言葉そのものを論理的で論じること自体、個人的には不可能と思っています。
 つまり「論理、そのものが理解できていない」のは fxq11011さんなのですね。
 当方は、ある程度までは言葉を論理的に考えることができると思っています。そうでなければコミュニケーションができませんから。
ただ、論理では説明できない微妙な問題も多いのですが(泣)。 

>本当に引っかかってほしいと思う部分はその後段
 でしたら、そうわかるように書いてください。
 ○○能力は書き手の問題では。

お礼日時:2020/12/06 13:41

肩の荷、何かの比喩ですね、何の比喩?を考えてみました。


問題解決・達成に必要な行動に対する責任?。
課せられた責任、自ら買って出た責任、どちらにしても果たせなかったときは、何らかの言い訳?が必要?。
一方、誰から課せられたわけでも、自ら買って出たわけではないが、自らが自らに課した責任、果たせなかったときは?、自らが自らに言い訳?、矛盾が発生します。
課せられた責任、自ら買って出た責任、客観的に表現可能?。
その責任が、現在に存在しなければ?、何故、誰が・・等の詮索不要で。「ない」といえますね、それが下りる(下りた)。
自らが自らに課した責任きわめて主観的表現?、他人が手出しできませんね。
そんな責任感から自らを開放するときは、自らの判断で行動→下す。
自動詞だから・・・、他動詞だから・・・ではなく。
そんな表現だから、自動詞を使用、または他動詞を使用、ということになります。
これが私が得た結論。
副産物
自動詞→表現者から見た「他」が他自身で自己完結する動き、自己完結=自動詞。
他動詞→表現者から見た「他」をして表現者が動かす、表現者が他を=他動詞。
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