10秒目をつむったら…

述語が分からない古文があるので教えて頂きたいです…!
今はとて簾をひきあげて、うち見あはせて涙をほろほろと落して、やがて出でぬるを見送るここち…(更級日記)
この文では「今は〜出でぬるを」が目的語で、「見送る」が述語になるのでしょうか?その場合、主語を加える必要はありますか?
こんがらがっているので、質問が多くてすみません…詳しい方よろしくお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • 皆様ありがとうございます!大変分かりやすい説明に感謝致します…!

      補足日時:2020/12/15 19:56

A 回答 (3件)

今はとて簾をひきあげて、うち見あはせて涙をほろほろと落して、やがて出でぬる(の)を



と形式(抽象)名詞「の」が省略されており、「~の」に格助詞「を」が続き、「見送る」の述語となり、名詞「ここち」の連体修飾節になります。現代語訳は下記のようになります。

さあお別れだということで私の部屋の簾を引き上げて、父と私とたがいに顔をあわせて涙をほろほろと落して、すぐに出発するのを見送る心地、
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今はとて簾をひきあげて、うち見あはせて涙をほろほろと落して、やがて出でぬるを見送るここち…(更級日記)



父は「今はこれまで」と言って御簾を引き上げて、私(作者)と目を合わせて涙をほろほろと落として、そのまま父は出立してしまうのを(私が)見送る気持ちは、・・・

「私(作者)」に注目してこの文を見ると「私」が主語で、「見送る」が述語になりますね。「見送る」の目的語は「父が出発すること」、具体的には「今は〜出でぬるを」です。
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更級日記の終わり近く、父親が(新しく)常陸介に任命され京から旅立つ部分です。

現代語訳を写し書きします。それから判断してください。

 現代語訳
 七月十七日に父は任地常陸に下ることとなった。出発前五日ともなると、顔をあわせるのもかえって悲しいのに違いない。私の部屋にも入ってこない。まして出発当日はばたばたして、出発の時となれば、さあお別れだということで私の部屋の簾を引き上げて、父と私と顔をあわせて涙をほろほろと落して、すぐに出発するのを見送る心地、目もくれまどいすぐに突っ伏してしまったが、私とともに京に留まることになった下男が、途中まで父の見送りをして帰って来て、懐紙に、

 思ふこと 心になかふ身なりせば 秋のわかれを ふかく知らまし

私が思い通りにできる身であったなら、秋の別れをしみじみとかみしめるのだが、今はその暇もなく、あわただしく出発しなければならない。

とだけ書かれているのを、涙に暮れて私は見ることができない。平穏無事な時であれば下手な歌を書いたことなども思い出され、とにかく何を言うべきかも考え付かないままに、

 かけてこそ 思はざりしか この世にて しばしも君に わかるべしとは

この世で父上とほんの少しでもお別れすることになるなんて、私は少しも思いもしませんでした。
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