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No.3
- 回答日時:
天下を争う戦いには関与しなかった、大きな戦いを経験していない、
大阪の陣での戦い方には疑問符が付く等から、軍事的には三流で、
現在の評価は過大です。
評価すべきは、仙台藩を豊かにした内政と遣欧使節を送った進取の
気性でしょう。もし鎖国が無かったら、ハワイとアメリカ西海岸には
日本人が住んでいて豊かな仙台支藩を造っていたかも知れません。
次のHPが詳しく参考になります。
https://history-land.com/masamune-oosakanozin/#g …
蛇足ですが、政宗の遺産の話です(多分)。
仙台藩は藩経営が順調で、幕末には名目石高62万石で実質は100万石
以上だったと推定されています。
幕末には、この経済的な力を背景に他の東北諸藩よりも優れ武器装備を
備えており、反薩長の急先鋒で戊辰戦争では主導的な立場でした。
しかし、過去の栄光には程遠く敗戦敗走の連続で同盟諸藩から「ドン五里」と蔑まれました。官軍の大砲がドンと響くと、仙台藩兵は五里(=20キロ)
逃げたそうです。
これに不満を持った博徒連が私兵団を組織し、ゲリラ的な戦いをして
活躍しています。
政宗公が見ておられたら、閉じた方の眼からも涙を流されたでしょう。
No.2
- 回答日時:
武将としてはそれなりの存在感でしかないが、とにかく世渡り上手。
そして、経済政策も上手く、長生きして家光の時代まで存在感を保てた。
その辺が、武将としても過大評価された理由だろうか。
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