dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

大日本帝国はドイツを模範として制度設計(憲法とか軍事制度とか)したそうですが、ドイツ帝国って第一次世界大戦にズタボロにやられて滅亡してますよね?
その時点でモデルケースにしたのは間違いだったという話にはならなかったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 民法がフランス由来なのは把握してます。
    結局、イギリスから取り入れた制度って何ですか?
    あと世界政策ってヴィルヘルムの独断じゃなくて軍部の意向も相当関わっていたと聞いてますが?
    日本も中国進出で軍部暴走して破滅とかいう同じ轍踏んでますし....

      補足日時:2021/04/03 17:31

A 回答 (6件)

日本の近代化は、欧米の「良いとこ取り」をしたわけです。

特に「制度設計」の根本部分で重視したのは「天皇」の法的地位であったわけで、質問者の方が「ドイツを規範とした」と認識されている部分はある意味正しいと思います。ただ当時「明治政府」が目指していたのは「日本的政治制度」であって、憲法の中の「天皇」規定は「軍隊や政治家が悪用する可能性があるから危険だ」とお雇い外国人の憲法学者が言うほどに、「日本的制度変更」を行っています。同じことは「民法」などでも議論されており(当初はフランス流の民法でした)民法も大きく日本風に変えられました。
つまりドイツ制度を「参考にした」ものの、出来上がったものは「日本流」に変化させた政治制度だと考えられていたのです。従って「ドイツが敗戦したこと」と「日本の政治制度」は結び付かなかったというのが実際の状況でしょう。むしろ結び付ければ第二次世界大戦前の「軍部の暴走」や「無謀な右翼の台頭」は防げたかもしれません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

ありがとう御座います

お礼日時:2021/04/08 21:36

> イギリスから取り入れた制度って何ですか?



郵便制度とか、国内統一支配の重要施策として鉄道を敷設するとか、通貨金融制度とかも、英国から取り入れているのではないでしょうか。
当然、ドイツも英国から取り入れて大いに役立てているでしょうが、時期的にみて、英国からドイツ、ドイツから日本と取入先・受入先になっているのではないでしょう。

> ドイツを模範として  軍事制度とか

海軍の場合は、結構、英国からの傾向が強いかも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5 …

> 大日本帝国は、ドイツを模範として制度設計したそうです

『~~を模範として"制度設計"』の意味合い?がよく分かりません。 幕末から明治、明治17年くらいまでを観ると、志向というのか、方向性というのか、頻繁に変わります。 そして、首謀者やその周辺で活躍が目立つ人も入れ替わりが目立ちます。 どうも、状況で考えが変わり、昨日の友は今日の敵のようになるし、主張や提案も変わるのが常のようです。 "制度設計"もその主張時には、「これこそ恒久」っぽいとしても、言い方としては是々非々でも、他人から冷ややかにみればご都合主義と、時流に乗る雷同、忖度、風見鶏なのだと思います。 
議会のコトでも、元老との関係でも、官と政商や産業資本、薩長閥や大隈、統帥権、行政と司法の関係でも、ことは単純ではないでしょう。

> ドイツ帝国って第一次世界大戦にズタボロにやられて滅亡してますよね? その時点でモデルケースにしたのは間違いだったという話にはならなかったのでしょうか?

たぶん、そういうような発想はほとんどないと思います。 その時々で自分らが良いと思ってやったコトを、「あれは間違いだった」と思う発想は、まあないと思います。 いつでも、どのようなことでも、あれはあれでいいという発想が基本だと思います。 特に、これから為政者として志向するものを明確に示して賛同者をあつめ力強く政策を実行しようという気があるものは、自分とは異なる立場の為政者やその時期の社会が行った過去の選択を検証したり、現時点で間違いだったと述べるコトはまずしないと思います。

> 世界政策ってヴィルヘルムの独断じゃなくて軍部の意向も相当関わっていたと聞いてますが? 日本も中国進出で軍部暴走して破滅とかいう同じ轍踏んでますし....

ドイツ帝国にしても、連邦制です。ユンカーもいます。 急激に増強した軍にしても、それなりの存在です。 2世皇帝の個人的資質と独断だけで動くモノではないし、独断の背景というか周辺事情には、英国やフランス、ロシアなどの情報も皇帝の感情やら思考やらに大きく影響を与えるものは山ほどあるでしょう。 ~~~も関係しているなどと言えば、切りがないでしょう。 どこだって、軍の幹部の意向を全く考慮しないで済む時期が長く続くことはないです。 軍が強大になればなるほど、軍人や関係者の意向は考慮すべきことに入るし、軍のトップ陣に政治志向を持つものがいる場合、それを排除できない事情があるなら、当然に、軍に振り回される事態にもなる危険は含みます。 軍を議会の下、行政の下に置かない体制を採用し続ければ、どこでも起きる可能性は高くなります。
    • good
    • 0

>大日本帝国はドイツを模範として制度設計(憲法とか軍事制度とか)したそうですが、



その時期はプロイセンではなかったかな。君主権限が強いところが天皇制と相性がよかった。神聖ローマ帝国を支える軍事力を持つ国家というのも惹かれたのかもしれない。

>その時点でモデルケースにしたのは間違いだったという話にはならなかったのでしょうか?

制度が理由で負けた訳ではないですからね。
    • good
    • 0

ドイツ帝国が滅びたのは、ヴィルヘルム2世の世界政策が間違っていたから。

また日本はドイツを模範として制度設計したという理解は事実と違います。事実は近代国家への道筋を参考にしたといったこと。制度設計としてはむしろイギリスを参考にしたのです。だからイギリス人のお雇い外国人を招聘した訳で。
    • good
    • 0

ズタボロに負けたわけではない。


スペイン風邪と戦線膠着で長引く戦争に同盟国から崩れ始め、戦争維持のための戦費調達が苦しくなったことに加え、ドイツ国内でも内乱が起きてしまったことによる。

それに日本は英仏側に立って参戦し、勝利国になっていますからね。制度設計が間違っていたと考えることはないでしょう。
    • good
    • 0

実態に合ったものを採用しただけであって


制度に合わせて実態を変えるというのは
本末転倒というか窮屈な話ではないでしょうか
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!