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歴史を勉強をしているのですが、どうしても負に落ちない点があります。

なぜ、日本は第2次大戦時に、ドイツ・イタリア側についたのでしょうか?

どんな外交的な経緯があったのか、今ひとつ理解できません。

A 回答 (8件)

シニア男性です。



政治的なものです。
国際的に孤立した者が組み、威を誇るため。

日:満州建国の国際的非難から1933年国際連盟脱退
独:1935年、国際連盟脱退
  再軍備し、第一次世界大戦での罰を無効にし、
  特にいずれ、仏に仕返しするため
伊:エチオピアを侵略し37年国際連盟脱退

1937年、三国防共協定締結。1940年9月(独の英国
空爆中)三国同盟締結。
独についてはソ連の後ろの日本を利用できる。
日本にとっては仲間がいる、程度の意味しかなし。

第2次世界大戦は「ドイツ」が中心に展開しました。
独が下心を隠しながらどんどん攻め込みます。
独の意図:西側の欧州大陸(含むウクライナ)を支配下におき千年帝国を作ること
     39年、東の安全保障上、ポーランド侵攻。     
     40年、英仏をダンケルクに駆逐。
     41年、また東に転じ、ソ連攻撃(短期間に撃破予定だった)

英国が風前の灯の40年、米国ルーズベルトは参戦を決意。
41年、日米戦にもちこみ、米独の戦争に拡大、参戦。

独、英米、ソ連は事前に命がけのゲームを展開。
これらを読めない日本は、ただ相手のペースに巻き込まれ
後手々々での対応に終始した。
だから、後からみても「腑に落ちない」のです。
これは今後「日本の外交」に生かさねばならぬ教訓です。
よく学んでください。
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あとは、米英の様に植民地を持つ国と、日独伊の様に植民地を持たざる国で、必然的に列強同士で対立した。


または、コミンテルンの防共のために仮想敵国であるソ連を日独で挟み撃ちに取り囲みたかった。
ドイツに研修中の大日本帝国の将校らにドイツが誘惑して仲間に取り入れた。
いろいろあります。
しかし三国同盟は失敗です。三国で共同で何か大きな事をやった事すらありません。
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キーワードとして、



 満州事変(1931~) 満州に侵攻
 日中戦争(1937~) 中国に侵攻
 ABCD包囲網(1937年?~) Aアメリカ、Bイギリス、C中国、Dオランダによる対日経済制裁
 日独伊三国同盟(1940) 日本、ドイツ、イタリアの枢軸国同盟 
 仏印進駐(1940,1941) フランス領ベトナムに侵攻

    はおさえておかないといけません。

 日英同盟破棄(1922)
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  歴史を勉強されているとのこと、頑張ってください。

外交・条約については
高校程度の参考書・年表などにきちんとあると思います。
 重要なのはあの戦争はなんだったのかを大局で把握することと思っています。
(1) 米英仏を中心とする植民地を多くもつ国と少ししかもたない日独伊との争い。
(2) 「社会主義国」ソ連と「国家社会主義」を標榜した日独伊の争い。
(現実はソ連と独日の領土獲得の争い)
(3) 自由主義・民主主義を標榜する米ソと全体主義を標榜する日独伊との争い。
(4) 植民地を維持・拡大しようとする勢力とそこから独立しようとする勢力の争い。

以上が結構複雑に絡み合い、しかも大戦の開始時と終結期とでは戦争の主旨が異なる
ありさまなのでややこしいのです。
 実際、日独伊三国同盟などが締結される直前でもこの三国は決して仲が良いわけでは
なかったのですから。だって日本は第一次大戦で日英同盟のよしみということで参戦したはいいとしても主戦場のヨーロッパにはあまり兵を派遣せずに中国と太平洋のドイツの
権益地を占拠したのですからドイツが日本に良い感情をもつはずがありません。有名な
ヒトラーの『わが闘争』で日本のことを「黄色い猿」と表現しています。
 でも戦争でタッグを組むときの判断はシビア。「国益」に合うか合わないか。
上記(1)~(4)の点で決して仲の良くない三国は手をくみました。
(ドイツとイタリアは国民感情だけでなく独裁者であるヒトラーとムッソリーニの仲も
良くなかったことは有名です。)
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当初、松岡洋右が外交時に、日、独、伊、ソの四カ国で、経済大国アメリカに対抗していたのです。

独はソ連と不可侵条約を結んでいたので日本はドイツを信じていたのですが、突然ドイツはソ連に宣戦布告をし松岡洋右の思惑は思わぬ方向にいきます。必然的に三国同盟が残ってしまったのです。松岡洋右の視点からみれば、こういう考えもあります。
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そりゃああなた 日本は欧米と対立してましたでしょ?


で同じくアメリカと敵対関係にあったのがイタリー(イタリア)と第三帝国(ドイツ)です
共通の敵があるもの同士手を組むのは戦の鉄則ですよ

日本としてもヨーロッパに味方を得ることは大きな意義があった
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>>なぜ、日本は第2次大戦時に、ドイツ・イタリア側についたのでしょうか?



1.日本は米国と難しい外交交渉を行っていた。もし、ドイツ・イタリア側と同盟を組めば、米国側は、「日本の仲間が増えた。我が米国も、ちょっとは、譲歩しなければ・・」と思ってくれるかも?なんて甘い見通しを持った。
2.ドイツ(ナチス)の軍事力・科学力は、電撃戦により、あっというまに周囲のヨーロッパ諸国を制圧していた。「勢いのあるドイツは凄い!バスに乗り遅れるな!」ってことで、日本側が焦って同盟を結んだ。

ってことのようです。もちろん、冷静に分析して「米国はドイツ・イタリアとの同盟を見て、かえって日本に反発するだろう」「ドイツの軍事力は、そんなに凄いものではない。ドイツは英国への攻撃に手こずっている。ドイツの軍事力はそんなに凄いものではない」
という判断をしていた方ももちろんいました。

ただ、残念ながら、日本には、英国SISや米国OSSのような、統合情報分析を行う情報機関が存在しなかったため(いちおう、それらしい組織はあったけど、みそっかす扱いをされた!)、世界に配置した日本の情報部員からから集まった情報を生かせず、軍部や政府は「小田原評定」状態となり、ベストと思える判断を迅速にすることができませんでした。

日本人の八木博士の発明品である八木アンテナをレーダに生かせず、米国に暗号解読された兆候があっても、日本海軍はそれを無視したということからも、「情報」に対する評価が低かったといえるでしょう。

その「情報」にたいする価値観の低さが、3国同盟という結果になったのでしょうし、現在において、企業が、情報システムに多額の投資をしても、役にたつ情報システムができあがらないことが多いということからも、その情報軽視の傾向は、現在も続いているといえるでしょう。
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もう、すでに日本が中国大陸への侵攻を進めて満州建国などをすることで中国大陸の資源や産物を確保しようとしていたのに対し、連合国側はABCD包囲網で日本への交易が絶とうとしていたわけです。



その前に国際連盟を勝手に脱退したような日本と組んでくれるのは、ヨーロッパ戦線でフランスに攻め込んでいたヒトラー率いるドイツや、やはり独裁的なイタリア政権と手を組むくらいしか、味方になってくれる国が残っていなかったのです。

日本の立ち位置 【OKWave】
http://okwave.jp/qa/q8705785.html

ABCD包囲網 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B …

ABCD包囲陣
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517 …
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