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二次大戦後のドイツ、イタリアへの
アメリカによる差別的な無力化、隷属化政策
などあったのでしょうか?

ドイツといってもwaspや同じ苗字のドイツ系のゲルマン系優先国家のアメリカだし、

イタリアはカトリックと言ってもこれまた同じ苗字のイタリア系もいて、そもそも同じ白人

アメリカの日本に対する敗戦国としての対応の根本には黄色人種という感情が他の2国よりも強いように思いますがどうなんですかね?

A 回答 (1件)

あったでしょうね。



当時は人種差別など当たり前の
時代でしたから。

東京でオリンピックを開催したのは
1964年でしたが
当時の米国黒人には、選挙権が
ありませんでした。


○ フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、
「有色人種への差別が格別に強かった」と、
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した
英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。

キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから
打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、
さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、
それによって立派な文明をこの地に生み出していく。
ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」



☆トルーマン
『猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。 そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。これで、真実から目を背けさせることができる。 猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。 (化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。』



 トルーマンはこの日の日記に「ジャップに対し、降伏し、命を無駄にしないよう警告の宣言を発するつもりだ。彼らが降伏しないことは分かっている」と書きました。ポツダム宣言とは関係なく原爆を落とすつもりだったのです。

トルーマンは8月の2発に続いて、9、10、11月に3発ずつ、必要なら12月にも7発と、最大18発の原爆を投下するという軍部の計画を承認していました
トルーマンはルーズベルトに負けず劣らずの人種差別主義者でした。27歳だった1911年、後に妻になるベスに宛てた手紙にこう書きました。

 「叔父のウィルが言うには、神は砂で白人を作り、泥でニガー(黒人の蔑称)を作り、残ったものを投げたら、それが落ちて中国人になったそうです。叔父は中国人とジャップが嫌いです。私も嫌いです。たぶん人種的偏見でしょう。しかし私は、ニガーはアフリカに、黄色人種はアジアに、白人はヨーロッパと米国にいるべきだと強く信じています」


 原爆投下を受けて、全米キリスト教会連邦協議会のサミュエル・カバート事務総長はトルーマンに「多くのキリスト教徒が動揺している。それが無差別破壊だからだ」と電報を送りましたが、トルーマンはこう返信しました。「獣を相手にするとき、あなたはそれを獣として扱わなければならない。大変残念だが、それでも真実だ」

 戦後も「後悔していない」「全く心が痛まない」と繰り返し語りました。1958年のCBSの番組で、道義上の問題があるので決定は難しかったのではないかと問われると、「とんでもない。こんな調子で決めたよ」と、ボーイを呼ぶように指をパチンと鳴らしました。
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