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自分がヒトラーの立場だったら、第三帝国を勝利に導けた、という人はいますか?

質問者からの補足コメント

  • 古代、中世まで遡れば、「帝国」と呼ばれたほどの版図を築き上げた為政者たちは、それに成功していたのでは?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/23 12:27
  • 経済が分かっていれば、ナチスドイツが勝つわけないことは分かっている、ということですか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/24 10:53

A 回答 (9件)

1941年06月22日:独ソ戦開戦(バルバロッサ作戦発動)


1941年10月04日:≪ゾルゲ事件≫南進を確信し最後通信
1941年12月08日:真珠湾攻撃
ヒトラーの3方面作戦による判断ミスでモスクワ陥落は伸びた。
西部(中央)方面「ミンスク」、北西(北方)方面「レニングラード」、南西(南方)方面「ウクライナ」。戦後、毛沢東はキシンジャーへ「なぜヒトラーはソ連を攻撃する時に3か所に分けて攻撃したのか」と質問。(一直線にモスクワに向かえば簡単に勝てた筈だ・・・)これに対するキッシンジャーの答えは「ヒトラーは狂人であったからだ」と曖昧な返事を返した。仮に、モスクワが11月以前の早期に陥落したならば、共産主義支援という米国のドイツ参戦の意味は消滅し、日本を囮に使った裏口参戦の意味も薄まり、東条秀樹の元でも日米交渉が進展した可能性さえ出てくる。結果、第三帝国は残る。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/10/28 09:13

そりゃあ中にはいるんじゃないですか。

おそらく経済音痴の方だと思いますけれど。
この回答への補足あり
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織田信長

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侵略者には未来が無い事は歴史が物語っています。


領土は奪えても、領民を統治するのは難しいのです。
領民を統治出来れば救世主として崇められますが、歴史上には
その様な人物は居ません。
この回答への補足あり
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無理ですね。


何故かと云えば、ヒトラーが荒廃したドイツを再建できたのは、カネもないのに超大規模な公共投資と軍の再建に惜しみなく資金を投じ続けたからです。
借金もしましたが、公然とユダヤ人の財産を奪ったりもしましたが、裏では国民の年金や貯金をこっそり盗んで流用していたのです。
その穴埋めをするためにオーストリアを併合したり、ポーランドを侵略したりしましたが、穴が埋まるどころかさらに公的や借金だけでなく、こっそり借用した国民の財産の金額も増えるばかりでした。

本来ならば、英仏と絶対に戦争すべきではなかったのですが、平和な時代が続けば、いずれ国民のカネを黙って使い込んでいた事実が明らかになってヒトラーは殺されていたでしょう。

ヒトラーの悪行の隠蔽は、ソ連の油田などの資源を奪い取り、その売却資金を得てはじめて穴埋めが成功するほどの規模だったのです。

しかし、英仏を相手に確実に勝てる軍備を整える前に、英仏と開戦せざるを得ない状況に追い込まれました。それでも英国を占領して英国の中東の油田地帯を奪えればまだ良かったのですが、特に海軍の再建が不十分過ぎて制海権が取れないのでは成功はおぼつきません。

それで軍資金がいよいよ切迫し、時間切れとなって独ソ戦を開始し、ソ連の油田を奪いに行ったわけですが、結果はご存じの通り。耐寒装備のないドイツ軍はロシアの冬将軍にやられてしまいました。
本来ならば独ソ戦開始前に耐寒装備を整えておかなければならなかったでしょう。
そんな常識的なことをヒトラーが知らなかったはずがありません。耐寒装備を整えるための金と時間がヒトラーにはなかったのです。

独ソ戦の前にイタリアのためにアフリカのチュニジア防衛をロンメル将軍に命じましたが、そのロンメルが命令に反して攻勢に出て戦線を拡大したのも想定外だったでしょう。
砂漠の戦いは物資の補給量が凄まじく、ロンメルの軍団はたったの数個師団でしたが、独ソ戦に投入した大軍が必要とする補給量と同じくらいだったと言われています。

まあ、国家と軍の維持がこのように自転車操業状態では、大量な軍事物資を必要とする現代戦は、誰が何をやっても成功に導くのは無理だったでしょう。
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・東部戦線でソ連にたいして戦争をしかけない


・アメリカが参戦しないようあらゆる手段を行使する

この二点が守られれば第三帝国は勝利したでしょうね。
なかでも大きいのはソ連にたいして戦争をしないということでしょう。
もし東部戦線がなければ西部戦線に集中できましたから。
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米国の参戦を防げれば、勝てた


でしょう。

どうやって防ぐか。

戦争したい米国は、事件をねつ造しても
参戦しますからね。

難しいと思います。

○テキサス独立戦争
アラモの戦い 1836年2月23日 - 3月6日の13日間
守備隊が全滅し、世論を激高させた。

○米墨戦争 1846年ー1848年
米国が挑発したのが原因で戦争になった。

○米西戦争 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没。
米兵266名が死亡。
スペインの仕業だ、ということになり世論が激高。

○第一次大戦
ルシタニア号事件が発生。
ドイツ潜水艦が沈没させ、128名のアメリカ人が死亡。
ドイツに対する世論が急速に悪化、これが2年後の
アメリカ参戦のひとつの伏線となった。
米国の工作だった、という意見が有力。

○第二次大戦 真珠湾攻撃

31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を
知っていた、という書見を残しています。

○ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の
駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが
後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。

○リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。
1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、
翌1月にアメリカは
リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。

○湾岸戦争 1990年
1990年7月25日にイラクがクウェートの併合を示唆した際、
アメリカの駐イラク特命全権大使
のエイプリル・グラスピーは「国境問題に介入するつもりはない」
と発言。
これを信じたフセインはクエートを侵略したが
多国籍軍に撃退されました。
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そりゃ~世の中には、大勢の


イロイロな人がいるので ゼロという事は無いでしょうww
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ドイツも原爆開発をしてましたからね。



とにかくアメリカより先に開発して、アメリカに対して実戦使用すればドイツの勝ちです。
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