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武士は耐えがたい屈辱を受けた際には幾らでも民間人を殺せたのでしょうか?
何故そんな異常な殺人特権が与えられたのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

武士には「公共の秩序を保つ」義務がある。



浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり梶川与惣兵衛に取り押さえられた。
このことで梶川は「武士の情けを知らぬ奴」と言われたが、しかしこの時見逃していたら、梶川は武士の責務を果たさなかったとして罰せられていた。
現に後年、同じような刃傷沙汰で現場に居合わせた酒井頼母は逃げてしまい、士籍をはく奪されている。

これが「切捨御免」の姿である。
切捨御免は公務を遂行できないときに認められる。
現代で言えば「公務執行妨害」である。

切り捨てに及んだ武士は所属組織(幕府や藩の直属上司)にその事実と理由を申告し、謹慎に入る。
その間に吟味がなされ、正当な理由ありと認められれば無罪放免つまり「切捨御免」となる。
不当行為とみなされれば相応の罰を受ける。

武士の対面も、それが公共の治安に結びつく限りである。
辻斬りなどはもってのほかである。
よくて切腹、悪ければ打ち首である。
いずれにしてもお家は断絶となる。
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評価


よくいる「時代劇」や左翼の階級闘争史観を真に受けている情弱。
自分の疑問(思い付き?)を考察し焦点を抽出する能力もない。


あなたの脳内での「武士」や「民間人」の定義や時代が不明です。
更に、文章が抽象的なので解釈が困難です。


A:>武士は耐えがたい屈辱を受けた際には幾らでも民間人を殺せたのでしょうか?

「武士」に限らず、どのような理由であっても「殺す事」はできたと思います。
→殺したらどうなるか とは無関係。

現在の法律も、人を殺したらこうなる(刑罰) という事を定めているだけで、人を殺してはいけない とは言っていません。



B:>何故そんな異常な殺人特権が与えられたのでしょうか?

No9様に同意。
そのような「特権(=法が認めている)」があった時代はないと思います。
それを「法度」とする法が無く、あっても施行する能力がない為に「自由」であった時期はありましたが。


回答A、B
「武士は耐えがたい屈辱を受けた際には幾らで」の回答画像10
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武士は耐えがたい屈辱を受けた際には幾らでも


民間人を殺せたのでしょうか?
 ↑
殺せません。
無礼討が許されるためには「正当な理由」
が必要でした。
江戸時代、これが認められた事例は
わずか数例で、実際はほとんどありません。

やった武士などは、生涯日の眼を見ることが
ありませんでした。

それで武士が舐められ、町人に因縁をつけられる
なんてことが多発しました。




何故そんな異常な殺人特権が与えられたのでしょうか?
 ↑
武士、というのは戦闘のプロですよ。
何かあれば武力に訴えるのは当然の武士倫理です。
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原核生物が真核生物に進化したのは、原核生物が他の原核生物を取り込みその栄養素を奪うという生存戦略を取ったための結果と考えられています。


当然、今の我々も、他の生物を殺してその栄養素を奪うという生存戦略を行っていることは、お忘れなきように。
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>幾らでも民間人を殺せたのでしょうか?



理論上はそうですが、実際は町民との無用ないさかいをさけるため
頻繁に自重するように訓令が出されていました。
また、江戸後期には芝居小屋や銭湯などの町民との接触が多い場所へは
刀を預けていくことで無礼うちを避けるようになりました。



>何故そんな異常な殺人特権が与えられたのでしょうか?

武士に対する名誉侵害の回復と、生命を脅かす攻撃から自身の身を守る
いわば正当防衛の要素が含まれていたから。
西洋における決闘の日本版です。



無礼討ちは「公事方御定書」という江戸時代の基本法ともいうべき
法律で定められたもので、武士に与えられた特権の一つです。
しかし、実際はいくらでも無制限に行われるものではなく、
無礼討ちを行った場合は届け出が必要で、認められなかった場合は
謹慎や切腹などもありました。
特に家臣の不始末による無礼うち(上意討ち)は管理責任を問われ
家中不取締といてお役御免や閉門などにされることもありました。

一方で、町民も武士を愚弄する度胸試しで挑発するものが多く
尾張藩家臣、朋飼佐平治は町で接触した町民とのトラブルで
無礼討ちは卑怯と考え短刀を渡して勝負しようとしたところ
町民は短刀を持ち逃げしたうえ侍に勝ったとふれ回ったため
書置きを残して出奔しています。
(ちなみに、この町民は佐平治に家族ごと惨殺されています)

実際に無礼討ちが認められるのはそれほど多くありません。
「徳島城下における「溢れ者」の横行とその対策
『異事旧記』を素材として」( 佛教大學大學院紀要30号)
によると徳島藩で約90年間に無礼討ち11件、上意討ち17件で
むやみに無礼討ちしていたわけではありません。
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耐え難い屈辱の原因が問題で、日本は江戸時代はすでに一定水準の「法治国家」ですから、勝手に無礼討ちにできたわけではありません。

武士が民間人を不等な理由で殺せば当然処罰されます。よく、無礼討ちが無制限に認められていたように言われますが、無制限というわけではありませんでした。江戸時代初期「旗本」と「町奴」と言われる人たちが対立した記録が残っていますが、この時でも旗本が処分されたりもしています。
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勘違いをしてるようだけど、武士がいるころの時代は死ねることは美しいことだとされていたんだよ。

民間人は実は喜んで切られていたんだよ。
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人権というのはヨーロッパで17世紀末に発生した権利なので、


日本では自由民権運動による1889年の大日本帝国憲法の発布まで江戸時代には武士にも民間にも人権はなく、
人である権利がないので人ではないので、殺人が禁止される根拠もなかったので、権利がないので誰からも特権として与えられていません。
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>何故そんな異常な殺人特権が与えられたのでしょうか?



なぜ、「与えられた」と既成事実である前提で質問するのでしょうかw
そんな事実はありません。
確かに時代劇には「おのれ無礼打ちにいたすぞ!」と脅し文句をいう武士が登場しますが、現実にはそんな簡単にはできません。
公に無礼打ちが認められなければ、切腹。だけで済めば良いですが、悪くすると家名断絶です。

江戸時代のような平和な時代だけではありません。
戦国時代でも、厳しい軍規があり、それを守ることが求められていました。

なぜなら、上に立つ者が自分勝手にふるまえば民衆の心が離れてしまうからです。

ま、徹底的に殺しまくり、処刑しまくる恐怖政治という手法もありますが、日本では聞きませんね。
文化革命当時の中国とか、その昔のソ連とか。中国が大国化したところをみると、一定の効果はあったのかなぁ。
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支配階級だからです。



支配する、って支配されてる側の人間を牛や馬と同様に思ってるってことです。
同じ人間としては考えてないです。

馬が人間を蹴飛ばしたら、殺していいわけです。
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