新生活を充実させるための「こだわり」を取材!!

40代主婦。

地方の貧しい家に生まれ、親の愛にも恵まれず不遇な幼少、青年期を送りました。

トレンディー(死語)ドラマを見ても、主人公の周りの華やかな世界に共感できず、違和感を持ちました。

時代劇を見ても、将軍様とその周りの人ではなく、私なら画面には映らない水のみ百姓もしくはそれ以下の身分。
飢饉になって飢え死に。
流行病に感染。

どうしても自分を卑下してしまいます。
(一方で、飢饉や流行病、戦争をかいくぐり現代まで命をつないでくれたご先祖様に感謝し、今ここにいられる自分は強運なのだと思うこともあります)

そんな私も、今では首都圏に住み、主人の年収は850万円、二人の子どもにも恵まれました。

世間の平均年収は上回っておりますが、首都圏では家族4人がつつましく暮らすのにせいいっぱい。しかし、幸せな家庭だと思います。

卑下するばかりの自分をもっと肯定したい。

現代の年収850万円サラリーマン家庭(専業主婦)は江戸時代ではどのような身分だったのか、ちょっと知りたくなりました。

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A 回答 (13件中1~10件)

まずは下記をご覧下さい


年収階層分布図2013-年収ラボ
nensyu-labo.com/heikin_kaisou.htm
国税庁の民間給与実態統計調査結果(階層ごとの年収データ)をまとめたサイトです
これによりますと
800万円以上が約12%
800万円台が3.8%
ということになります。
現在の境遇を中流などと言ったら日本中のサラリーマンから叱られます。
立派に上流です。

さてお江戸の時代での想定ということですが、
サラリーマンというのは民間企業に勤めている、ということになります。
お江戸のお侍というのは現在で言えば公務員です。
江戸町奉行所というのは、機能から言えば現在の東京都庁です。
TVの時代劇に出てくる捕り物を担当しているのは、ほんの僅かな人達で町奉行所の端っこの仕事です。
与力とか同心というのは単なる役職名で今で言えば部長とか課長という呼称に相当します。
警察業務に当たっている人達だけではありませんでした。
つまり与力、同心という肩書きで呼ばれる人は勘定奉行など他の役所にもいました。
質問者のご主人は公務員でありませんから、お侍さんと比べても余り意味がありません。
所謂お店の皆さんと比べることになります。
上位の一割前後相当の収入ということは立派に番頭さんということになります。
しかも相当な大店の番頭さんということになります。
大店になればなるほど、主人よりも番頭さんがすべてを差配していました。
そのおかみさんと言うことになりますと、まずは誰も頭が上がりません。

念の為に申し上げておきますと、お江戸のお侍というのは貧乏を絵にかいたような生活をしていました。
何分にも給料はお江戸の時代が始まって以来、親御子代々変わりません。
その上もらうのはお米です。
このお米をその時その時の相場で、蔵前の札差に買い取ってもらって現金を手に入れていました。
下っ端侍は千代田のお城でもらうのではなく、蔵前へ直接出かけて、いきなりハイあなたは〇両ですネと現金を貰いました。

何せ、お侍というのは親子代々もらう米=金額が決まっていて、物価はどんどん上がります。
時代小説のような出世物語など宝くじに当たるようなものです。
生活はどんどん豊かというか贅沢になっていきます。
侍は何よりも体面が大切です。
冠婚葬祭、年末年始、お盆お節句等々のお付き合いの贈答は欠かせません。
娘がいれば嫁入りのためには御稽古事が欠かせません。
結局、前借りという形の借金に頼ることになります。
返せるあてもない先祖代々からの借金の山です。
それを承知でなにがしかの現金を札差から出してもらいます。
この札差の番頭さんのおかみさんとなったら、そんじょそこらのお侍は頭があがりません。
下っ端侍はセッセと内職に精を出していました。
傘貼りは浪人の仕事ではなく、御家人の仕事でした。
四季折々の草花の苗も御家人が栽培して町人が売りさばいていました。
お侍の借金は個人だけではありません、大名すなわち藩ごと借金漬けでした。
薩摩藩などは500万両という借金に埋もれていました。
大阪の米問屋もお金を貸さなくなってしまいました。

買い物は当時は全て年末清算のつけでした。
お侍もつけで買います。
借金を山のように抱えた上でつけを認めてもらいます。
どこまで認めるかは番頭さんの胸一つです。
その番頭さんのおかみさんですから、如何に二本差しているからと言ってうっかりした対応はできません。
丁寧な対応をします。

まぁ~TVの時代劇もお城で大きな顔していた役人が街でへいこら頭を下げている光景は演出しないでしょう。

要は江戸時代というのは、武士には権力があっても財力が全くなく、一方町人には財力はあっても権力がなかった時代です。
江戸時代に一番生活を楽しんでいたのは、裕福な町人の女性陣です。
江戸名所絵図などでも繁華街は女性陣でごったがえしています。

余談
三行半という離縁状を出す際には、嫁入りで持ってきた持参金から道具類全て耳を揃えて返す必要がありました。
うっかり書いて返す持参金がなければ、訴えられました。
町役人も金の用意なしでは認めませんでした
こんな川柳も残っています
去る時は 九十両では すまぬ也
去状(さりじょう)を書くうち質を受けにやり(質入れしていた嫁入り道具をあわてて請け出す)
先ぐりに 去状のくる まつがおか(まつがおか=鎌倉東慶寺=駆け込み寺)
残されている三行半の大半は女性側から無理やり書かせたものばかりです。
身分だの制度だの政治参加だのという観点から女性の地位は低かったとされますが、実態は相当に違っていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お侍さんも楽ではありませんね。

「番頭さんのおかみさん」いいですね。

豊かな気分させていただきまして、大変感謝です。

お礼日時:2014/10/23 20:27

私は、時代小説が好きでよく読みますが



だいたい

1両 10万円
1分 2万5千円
1朱 6600円
1文 25円

で換算して小説をよんでます。

すると千両箱は、1億円ですね。

定廻り同心(今でいうお巡りさん)の給料が三十俵二人扶持と言われており

現在で150万の年収ですね。

月に、10万ちょつとで、中間も雇わなくてはならないので

かなり苦しい生活だと思いますが、同心は、あちこちの店等から、袖の下を

たっぷりもらってたので、、、、、。

実入りは良かったでしょう。

1両で裏長屋の住民は家族5人でなんとか暮らせたそうです。

6畳一間で、家賃が1000文(25000)くらいしたそうですから。


まぁ、雑学ですが、、、。

私の、娘婿が、弁護士で年収1200万、、といってましたが、

家族4人で生活が苦しい、、と言ってました。

マンションの家賃が25万。

5歳と2歳の子供の習い事が、一人10万で20万。

周囲が、そんな感じの家庭ばかりなのでお付き合いも大変のようです。

決して、贅沢はしてないようですが、、。

私達も、何くれとなく援助しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

850万円のつましい生活をわかっていただける方がいて、うれしいです。

850万円の年収と言いましても、地方と都市部ではその価値も違ってきます。

ちなみに、我が家の家賃は駐車場も込みで15万円。

今後の子どもの教育費を考えると、贅沢などできません。

お礼日時:2014/10/27 20:44

> 卑下するばかりの自分をもっと肯定したい。

 現代の年収850万円サラリーマン家庭(専業主婦)は江戸時代ではどのような身分だったのか、ちょっと知りたくなりました。

⇒ 多くの回答が既に寄せられていますし、現代の日本でも年収的には850万円ならば高収入の収入階層に該当し、江戸時代でも200石どりなら上級武士層に該当するでしょう。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1892868.html
ただ、収入の多い少ないは身分とは違います。貧乏公家も、大庄屋も、羽振りのよい網元や大工の頭領、ぼてふりのような貧乏承認も大名家も粗略に扱えない商人もいるわけで、収入で身分を言えないのは間違いないです。
それに、江戸時代の身分は個人のランクではなくて、大家族を単位としての篩い分けです。大名の三男、四男、娘などもある意味身分は高い中に扱われるのですが、自由が効くわけではないです。通常の大家族では、当主に寄生して生活しているようなモノですから、身分の高い低いに関係なく、慎ましやかに生きて行かざるをえないはずです。
現代のように核家族や独立単身生計で生活をするのは、昔はほとんどないです。(あるとすれば、流浪人、夜逃げのような形で他所の土地で何とか糊口を凌ぐ生活しかできない。あるいは、住み込み従業員で下働きのような形で生きるのみ)
夫がサラリーマンで自分は専業主婦で借家でも持ち家でも独立して住宅を確保出来ているなら、それと同じような生活が出来ているなら、武士なら陪々臣・また家来でも相当に上級の扱い、農業なら大農家の差配役ランク、大町人の大番頭格、職人なら頭領格のようなものじゃないでしょうか。
 
> 年収に見合うリッチ感が自分に得られないのは、首都圏で住居費に多くを持っていかれるせいもありますが、過去の貧乏生活がトラウマになって、せっせと貯金ばかりしているせいかも・・・。
⇒ そうではないでしょう。 現状の収入や、現状持っている資産ストック、周囲の人々の状況、自分の過去の経歴などとは、あまり関係がないと思います。 もちろんトラウマなどではないです。(トラウマの用語の意味が私と同じではないのかもしれませんが)
さもしさを感じているのではないとするなら、不平不満体質のような傾向をもっているだけではないかと思います。 隣の芝生が青く見えるわけではなくても、自分の状況にはなんだか不平や不満を感じ、しかも、自分の努力の方向にはエネルギーを向けないような傾向をもっていると、不平不満体質のような傾向になるようです。
金銭的なこと、物欲や所有欲のようなことに無関係なことでも、スポーツ、音楽、ダンス、あるいは社会貢献、何かの勉学、手芸、料理などでも、自分が努力し続けるものにエネルギーを注ぎ込んでいると、それとは関係のほとんどない方面でのランクが気になるようなことはなくなって、人生や日々の生活にも張りも出て来ると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

不平不満体質、ですか。

物事がうまくいかなくなると何でも自分の生い立ち(不幸な過去)のせいにしてしまうところがありますね。

今の生活に感謝を忘れないようにしたいと思います。

お礼日時:2014/10/23 20:42

今のサラリーマンは江戸時代では武士の感覚です。



100石取りの武士は収入が100石あるのではなく
100石の生産量のある土地を預かっているという
ことで、年貢はその4割、40石が実収入になります。

当時の1石は1両と見られてをり、収入は年40両と
考がえられます。

1両の今の価値はどれくらいか難しいのですが、
「江戸の家計簿」では1両が今の16万円位と、見て
いるのでこれを使います。
年収640万円、これが100石取りの武士です。

年収850万円では、100石と200石の間、まあ
150石取りとみられるでしょう。
同心、足軽ではなく、槍持ちを従い馬に乗れる一応の
武士です。

毛利藩の江戸留守居役が300石位でしたから、ここ
まではいかないようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

時代劇を見るたびに、年貢にあえぐ自分が脳裏にちらついて苦しくなっていましたが、少しは楽になりそうです。

(が、他のみなさまもおっしゃるように、武士の暮らしも結構苦しいようですね・・・)

お礼日時:2014/10/23 20:19

武士なら中堅クラスでしょうね。

家老のちょっと下くらいでしょうか。しかもそこそこ以上に豊かな藩か幕臣ですね。今なら幕臣(旗本)は公務員というところでしょうから、民間企業で年収850万円なら、そこそこ以上に大きな藩でしょうね。
現代でも大企業の部長と零細企業の部長では同じ部長でも年収が月とスッポンほど違うように、当時だって大きくて豊かな藩と零細の藩では同じ家老でもえらく年収は違います。
幕末より少し前の時代の渡辺崋山という人は田原藩という小さな藩の家老でしたが、これがどえらい貧乏な藩でしたから家老だけれど生活がえらく苦しい。崋山先生は絵描きでもあって、絵を売って生活の足しにしていたんですね。それで老親に晩酌をさせられるようになったのが「大変な贅沢」だったというのですから推して知るべし。
町人ならば、中堅の店の主人クラスでしょうかね。あまり落語などには出てこない階級ですね。安定した階級だから、笑いにもっていける要素が少ないのでしょう。

子供の頃に貧乏というのを経験しているなら、つつましいというたところで結構豊かな生活をしているはずですよ。「新車のローンが大変」ならば、新車が買えるじゃないかとかね。コミコミ50万円のボロい中古車を買っても「我が家にマイカーが来た!家族でドライブに行けるね!」とテンションが高くなる家だってあるわけじゃないですか。850万円で生活が苦しいなら、2000万円でも「方々のお付き合いにお金がかかる」とグチが出るものですよ。お金ってそういうものだっていうのは身に沁みてご存じだと思います。

質問者さんは、ちょっと例えが悪くて恐縮ですが、口減らしのために女郎屋に売られたけれど、身請けをされたみたいなものじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃるとおり、人生のスタートが底辺だったため、ささやかなことで十分幸せです。

毎日たっぷりのお湯のお風呂に入れる、とかね。

例えに納得です。

お礼日時:2014/10/23 20:08

武士でいえば、200石前後です。



旗本なら、下っ端ですが、地方でこれだけ
もらえるなら中堅クラスです。

旗本の下には御家人がいますので、旗本
というだけで大したものです。
ただ200石ぐらいだと、使用人の面倒も
みなければならず、生活は結構苦しかった
と思われます。

地方なら、マアマアで、能力が高ければ
藩の幹部も夢ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

我が家の年収も、地方ならそこそこと思うのですが、なにせ首都圏は住居費が高くて・・・。

江戸近辺に住んでいては、楽な生活も難しいということでしょうかね。

お礼日時:2014/10/22 19:58

rihorinko さん、こんばんは。




そうですね。一石、10万円として八五石でしょうか?ですが、これは実収ですから、四公六民として大体二二〇石程度でしょうか?ですが、ほかに使用人として侍や下男、下女がいますから、この人たちの給金を別途考えると三〇〇石位でしょうか?大名家の家来なら上士ですし、幕臣なられっきとした旗本ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんだか、持ち上げていただいて、恐縮です。

でも、今まで考えたことも無かったような身分を与えられて???うれしい限りです。

お礼日時:2014/10/22 19:55

そんな職業はなかった、あなたは今の時代安定した職を持つ


ご主人を大切にしないといけませんね。

あえて言えば官僚(武士)になるのかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

主人には本当に感謝です。

お礼日時:2014/10/22 19:52

回答とはずれてますが、


気になって
収入850万円の世界ランキングを調べてみると(あくまで下記のサイトで)

世界では
   0.11%
 1000人に1人くらいの高収入!

 6,586,429人目に位置しています。

 http://www.globalrichlist.com/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんだか、リッチな気分になれました。

年収に見合うリッチ感が自分に得られないのは、首都圏で住居費に多くを持っていかれるせいもありますが、過去の貧乏生活がトラウマになって、せっせと貯金ばかりしているせいかも・・・。

お礼日時:2014/10/22 19:50

石高で計算するといまの金額で10万円くらいだそうですから


850万÷10万=85石
そうですねー、やっぱり厳しいそうですよ。
大体、当時の団子が2文くらい、いま買うと一本100円弱?。
現代のほうがはるかに暮らしにくそうですねー。w
そういえば秀吉の女房、ネネ(おねちゃん)ちゃんは150石だったかな?
家康公の庇護の元、つつましく生涯を送ったそうですよ~・・
だんなのケツを叩いて150石(1500万)になるようがんばってくらはい!!ww
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

江戸時代のほうが、生活が厳しそうですね。

現代でよかった・・・。

お礼日時:2014/10/22 19:46

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