夏が終わったと感じる瞬間って、どんな時?

なぜ古来日本では巫女が神聖化され男性は俗物とされていたのか?

A 回答 (5件)

質問が初めから正しいと答えを決めて反論を最初から受け付けないでおこうと決めて行動しているように見える。



巫女が神聖で男性が俗物という論理は全く根拠がない。

男性でもカンナギ・神主は居る。

だから全くの嘘。

大方最近はやりの女系推進トンチンカンコーナーでしょうね。

全くのでたらめ。

ここまでくると馬鹿としか言いようがない。
倫理も道徳も全くわからぬ人の言う言葉。

こういう事を書いて男性がどれだけ傷つくか全く配慮なし。

更に毎回論破されて、いい加減おかしいと気が付かぬ馬鹿者。

そもそも、
質問者さんも、
そういう父親から生まれて来たわけで、そこに気が付かず、親をも侮辱していることになる。

恋人がこんなことに気が付掛けば間違いなく振られると思う。
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卑弥呼が魔鏡を使い神聖性を民に示したからでしょう。


当時はシャーマニズムの時代です。
民たちは、力を示した卑弥呼は崇めるべき存在であり、弟はその威光を着て政治を行なっていたのだと思います。
だから卑弥呼死後、弟だけでは国?が治らず、卑弥呼の後継者として娘を祭り上げたのでしょう。
某国なんていまだにやっているような、よくある話です。

女性は子供を産むので、神聖視されている文化もありましたが、卑弥呼の鬼道においては「魔鏡」が根幹にあるのではないでしょうか。
2代しか続いていませんし、性別は関係ないと思いますよ。


時代が少し戻りますが、
実は邪馬台国の直前に神事として銅鐸を祭る(祭ったと考えられている)文化がありました。
400年程度続いたとされていますが、銅鐸文化では、時代を追うごとにその大きさは増していき、装飾も立派に成っていったようです。
より立派な銅鐸を作った者、グループ(各地に点在していた)が神聖性をアピールしていたのでしょう。
その時代には巫女という存在は確認されていません。

その後、鏡が現れ、同時に銅鐸が消えました。それどころか、大量に破壊され、埋められた形跡も見つかっています。
卑弥呼の台頭とも時代が近いので、ここに大きな転換点があったとは思っています。



以下、結構ファンタジーな蛇足に入ります。

私は、卑弥呼と天照大神が同一人物なのではないかと妄想しています。魔鏡(光)を扱う卑弥呼と天照大神って似ていると思いませんか?

天照大神が天岩戸に隠れた場面は、卑弥呼が亡くなった事、出てきた場面は、後継者の宗女が現れた場面。

想像でしかありませんが、浪漫がありますね。
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仮定を積み重ねて事実に至ろうとする。


これは詐欺商法の有名な手法だ。

つまり、こういうことを主張する女は詐欺師だ。
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天気とかの占いは死活問題なので


女のほうがあたっていあたのでしょう。
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多くの場合、男では集団を統治し続ける事が出来なかったからです


ただし政治に参画した女性が巫女だけだったとは限りません
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