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快楽は幸福とは違うのではないでしょうか
思い出だけが残り、幻の様に消えていく
永続性は無く、時に虚しさが残る

「苦しみを乗り越えて歓喜に至る」・・
苦行主義が幸福への条件?と思いたい?が?どう?

A 回答 (35件中11~20件)

質問者の考え方に根拠はありません


そもそも絶対的な幸福であろうが相対的な幸福をであろうが其れは重要ではないのです
幸福感を感じる事が重要なのです
加えて「脳神経細胞の表現型ゆらぎ」によって「何に対して幸福感を感じるのか?」其れは人それぞれです
それが多様性です
人それぞれなのだから質問者さんの「幸福の基準」はあくまで質問者さんの基準でしかなくそれを他人に押し付けてはなりません
質問者の「幸福の基準」を他人に押し付けるのならそれは「身勝手かつ傲慢」です
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この回答へのお礼

万人に共通する6つの品性を挙げた根拠は
全世界の 3000 年の歴史に及ぶさまざまな
文化を研究した後で示した、
セリグマン(アメリカの心理学者)の言葉を
参考にしているからです
更に
⓵生命の尊厳と価値②生存の実践と徳性、
及び③生活の調和と美という
幸福の「三つの領域」を具体的に示す事が
できるからです
更に
幸福への四つの対応
⓵人と自然との関係②人と人との関係
③人間が自身との関係④究極の信仰の関係
三つの見方
⓵我と非我②物と心③知と行
等々を具体的に示す事ができるので
「身勝手かつ傲慢」ではありません

お礼日時:2021/06/20 08:26

「トランス経験」によって「究極の幸福感」を得ることの意義それは


「幸福」は外に無く内にある事に気付く事
但し全て人達が「集中の限界」に辿り着けるわけでも無いしそうしなければならないわけでも無い
そもそも「幸福」とは主観によるもの
どのような事柄でそれを幸福を感じよるのなら当人にとってそれでいい
仕事の後の一杯の酒を飲んだとき
好きな歌を聞いているとき
ペットと戯れている時

その人にとって「幸福」を感じられる一時があればそれでいい
幸福は主観によるもの絶対的な正解・不正解は無い故に
トランス経験を目指すのか正解が?
大我を目指すのか正解か?
その絶対的な正解不正解は無い
トランス経験を目指したいならそうすればいい
大我を目指したいならそうすればいい
個人個人の自由
「幸福の条件」を満たして幸福感を得られるならそれでいいが「幸福の条件」を満たしたからと言って幸福感を得られるとは限らない。その条件を満たせないと感じて不幸感を感じる人がいる
大事なそれぞれの幸福感であって「幸福の条件」ではない
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この回答へのお礼

「幸福」は外に無く内にあると気付く事は良い事ですが
トランス経験は永続性がないため一瞬の幸福感で終わり
現実に戻ります、 

どのような事柄でもそれに幸福を感じる事は悪くはありませんが
一瞬の幸福で良しとするのは、六道を巡る事になります
環境の変化で一転して地獄を味わいます
「相対的幸福」だからですね
それに対し、幸福の条件を満たせば永続的に幸福を感じます
これこそ「究極の幸福」でありを「絶対的幸福」と言えます

幸福の絶対的な正解・不正解は無い・・のではなくあるのです
外からは見えずらいだけです
結論的にいえば「幸福は自分自身をどう確立するか」
という問題だからです
トランス状態が自己を確立したとは言えません
いかにも品性がありません
自己陶酔、自己満足の領域を出ず、万人のためとは言えません

万人に共通する6つの品性を挙げてみます
一は充実すること
二は深き哲学を持つこと、
三は強い信念を持つこと
四は朗らかに生き生きと暮らすこと、
五は勇気を持つこと
六は寛容さを持つことである。
つまり、これが、
幸せを実現する六つの鍵ではないでしょうか

逆に、
この条件を満たせないからと言って
不幸を感じても、苦難と戦う事は悪くありません
苦難がなければ充実はない。
充実がなければ幸福もないからです

お礼日時:2021/06/19 09:23

質問者さんが本我なるものを追求する質問者さんの自由ですが、何をもって「幸福」とするかは人それぞれですし「幸福」と感じる事で「幸福」を実感出来る事からだからこそ「幸福感」は重要なのです。


故に「トランス経験」は「究極の幸福感」を実感出来る事で意味がある上に「トランス経験」をすること「脳のステージ」がアップします。
「脳のステージ」がアップするとはどう言う事か?それはより深い領域で「思考」出来るようになると言う事です
これを繰り返していく中で「水が渦を巻きながら中心に流れ込む」ごとく「コア」に向かいます
但し一方からそれに向っても「コア」にたどり着けない。
「コア」にたどり着くにはあらゆる方向からそれに向かわなければならないのです
そのために「多極思考」・「多層思考」・「多角思考」・「多面思考」しなければならないのです
それを踏まえて言えば質問者さんはご自身の考え以外に認めないところがあることから、質問者さんの「脳のステージ」が上がってない上に「単極思考」・「単相思考」・「単角思考」・「単面思考」している事から質問者さんは「コア」にたどり着くことはないでしょうね
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この回答へのお礼

「トランス経験」は「究極の幸福感」を実感出来る事で意味が・・・
それこそ
幸福を一方向から見る「単極思考」・「単相思考]に見えますが
たしかに
何をもって「幸福」とするかは人それぞれですが
トランス経験を目指すのが正解か、?
大我をめざすのが正解か、?
両方正解か、?

幸福を研究している多くの研究者
ジョン・スチュアート・ミル。
ハーバート・スペンサー、セリグマン
などの学者の幸福論を少々知っておりますが
トランス経験は、幸福の条件のランク外ですね、
何故でしょうかね

参考までに
セリグマン(Martin E. P. Seligman)アメリカの心理学者は
幸福の条件を
「知恵と知識、勇気、仁愛、正義、節度と精神の卓越」
と解釈されています

お礼日時:2021/06/18 08:03

誰の頭の中にあるものそれが「脳」 


「脳」は「脳脳の持ち主」そのもの
「脳」を知ることは「己」を知ること
「脳の状態」を良くする「己」を良くすること
この「己」こそが「自我」であり質問者さんが述べているところの「主体としての自己」
脳のコンディションを整えるという事は「自分が自分らしくする」と言う事ですから。
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この回答へのお礼

ソクラテスの「汝自身を知れ」とは
脳を良くする事ではないと思いますが

幸福を追求する
セリグマン(心理学者)
アリストテレスやジョン・スチュアート・ミルなどの学者も
ハーバート・スペンサーも
幸福の条件に、
脳科学やトランス状態云々などにも触れていませんが
脳科学者の中野信子さんも
「正解を選んではいけない」とまで言っていますね
参考程度にしましょう
そこで足踏みしてると、先に進まないような気がします
求めるべきは
自我の奥にある本我ですね

お礼日時:2021/06/17 07:58

一元的に考えると不幸なのか?



( ̄~ ̄;)

人間って考えたいように考えてしまうから
不幸ってより

単に現実なのかと思いますね

悲劇のヒロインに成りたい人は
悲劇のヒロインを演じる人生を送るだけであって

回りからしたら不幸にうつるけど
演じてる本人は、満足してるのかも?
( ̄~ ̄;)暴論かなぁ~


拝金主義に踊らされてる人も
どれだけ金を集めても満足出来ないみたいで

ネットで叩かれてる
有名な派遣会社の会長さんなんかは

( ̄~ ̄;)どうなんかなあ~
パで始まるあの会社ですよ~

一元的に捉えて生きることも
間違いではないのは事実であって
その人がなにか燃やし尽くせる人生なら

安易な他人の評価や理論は
無用の長物になりますもんね

お礼の問いかけを見落としてました
遅くなってm(__)mごめんなさいです
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この回答へのお礼

ありがとうございます

現実の社会は
「幸福」と言う言葉など無縁だ、と
人生を絶望している人は少なくない

しかし、一休さんのように
「有漏路より 無漏路へ帰る一休み
 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」とか言ってる
この言葉の意味は・・・
この世で過ごす時間なんて、生まれてからあの世へ帰るまでの
一休みの時間でしかない。 だからこそ、
雨が降ろうが、風が吹こうが大したことではない
との開き直りみたいな考えです

アレキサンダー大王のように
「いかなる急場にもみずから艱難辛苦を引き受ける」
凄いのもいる


回りからしたら不幸にうつるけど
演じてる本人は、満足してるのかも?
( ̄~ ̄;)暴論かなぁ~

決して暴論じゃないですよ

結論的にいえば、
「幸福は自分自身をどう確立するか」という問題だと思うんです

お礼日時:2021/06/16 08:16

幸福感を与える生体ホルモンにはβエンドルフィンの他にセロトニンがあります


セロトニンは幸福感を与えるだけでは無く恐怖感や不安感等のマイナスな感情・感覚を抑える働きがあります
故にセロトニンの分泌量が少なすぎる人は不安感や恐怖感が抑えきれずそれが積もって絶望感に苛まれるようになるのです
ですから絶望感に苛まれている人達にはその原因の排除に加えてセロトニンを多く接種出来る食生活に改善してもらう
です
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この回答へのお礼

医療を医学を否定しませんが、それに頼ると
人間が自身との関係、すなわち主体としての自己の、
客体としての自己状態に対する把握ができず。
他人との付き合い、コミュニケーション、インタラクティブを含め、
この基礎の上で合理的かつ有効な“主体間性”を、つまり良好な感情の
表現に問題を生ずるのではないでしょうか

心理学も幸福への手助けとはなるでしょうが、それに頼ると
「自己意識」あるいは「自己概念」と言うものが薄れ、
自己認識、自己コントロールを含む。人と自分の関係状態において
のキーポイントが失うわれるようなな気がします

お礼日時:2021/06/16 07:49

訂正


一瞬に大量に分泌される状態それがβエンドルフィン→☓
一瞬に大量に分泌される状態それがトランス状態→○
です
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この回答へのお礼

大変勉強になりましたが
持続する「絶対的幸福」を目指す人には、
瞬間の幸福に見えます

人類の根本問題であり、永遠に追求すべき課題の答えが
トランス状態、とは、はたして、どうかな、?

お礼日時:2021/06/15 08:23

質問者さんは体験が無い&理解力が無い


ですね
脳の生理において「幸福感」や「満足感」・「充実感」と言ったプラスの感情は「βエンドルフィン」と呼ばれ「生体ホルモン」が分泌されることによって湧き上がります
この「βエンドルフィン」が一瞬に大量に分泌される状態それが「βエンドルフィン」です
因みに質問者さんはご自身の「産みの苦しむ」に関する体験談を話されていますが、その中で出せなかった答が出せたときの事について触れていらっしゃいますその際に質問者さんの脳内で分泌されたのがβエンドルフィンですね
βエンドルフィンは「報酬系」に分類される生体ホルモンでβエンドルフィンが分泌されやすい人幸福感や充実感・満足感が感じやすく更にその感情がもっと欲しくなって更に追求や探求等ヲン行うのです。
生命の底から湧き上がるような真の幸福を感じるにもβエンドルフィンの分泌は書かせませんし、βエンドルフィンが分泌されれば「真の幸福」を追求するいわばそのトリガーにもなるのです
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この回答へのお礼

生命科学あるいは脳科学に大変お詳しいようですが
トリガー程度でならいいんじゃないですか
幸福と言うのは
とらえ方、見方、方向によって、異なるのです
高い所か見る、広く広角に考える。深く読む事が大事だと思います
「βエンドルフィン」も幸福を満たすための物理的な一側面と
見られますが、現実に、人生に絶望した人を前に
βエンドルフィンの分泌を目指せ~と、
科学の講義は必要ないように思います

お礼日時:2021/06/15 08:06

因みにトランス状態は「目的が達成」された等の「区切り」がいいときになりやすい。


私が体験した3回のトランス状態のうち2回は本番シャッターをきったときになりました。
撮りたい写真を撮るために「集中の限界状態」まで集中していたので撮りたい写真を撮ったその瞬間が脳の強制リセットタイミングとしてはベストでしたね
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この回答へのお礼

体験した人にしか分からないかも知れませんね
心理学の理論より体験ですね

お礼日時:2021/06/14 06:17

質問者さんは理解されていないです


「何かだけ集中しそれだけに意識を向け周囲に全く意識を向けなくなる」と周囲の変化に気が付かなくなり人やその他の生き物が接近してくる気配すら感じなくなります
具体的に言えば「気が付かないうちに真後ろに立たれ気が付かないうちに襲われてしまう状態」です
故に「何かだけに集中しそれだけに意識を向けて周囲に全く意識を向けなくなる状態」は危険な状態なのです 
と言うことです。
ですので殆どの人達は「自己防衛本能」に従って自ら危険に晒すような集中はしないしできないのです。
逆に言えば「自己防衛本能」に贖って自ら危険に晒すような集中が出来るごく僅かな人達の多くが普通の人達には出来ない事(理解出来ない)事が出来るのです
「集中の限界状態」では「雑念」は一切わきませんし周囲の音も一切聞こえません。どんなにうるさくても「静寂に包まれる」のです。
「集中の限界状態」では誰かが「危ない!」とか「逃げろ!」とか叫んでもそれが聞こえなくなるのです
このことからも「集中の限界状態」が危険な状態であるかがわかります
「身の安全確保」の為には「周囲の確認」は必要でそのために「周囲に意識を向ける」のですが「集中の限界状態」ではそれが完璧に行われていないために「身の安全確保」の為に脳が脳自身を強制的にリセットして「意識の切り替え」を可能にして周囲に意識を向けられるようにするのです。その際脳が一瞬麻痺します。それが「トランス状態」です
トランス状態は「挫折」とは全く関係ありません。
そもそも「集中の限界状態」は「極限なまでの探求・追求・欲求等」によって到達する領域です。「挫折」するようでは決してたどり着けない領域です
因みに「集中の限界状態」に達していながら「トランス状態」に達しない場合ひたすら「集中の限界状態」が続きます
そうなると「空腹感」や「渇き」すら感じなくなり飲まず食わずでそれを続けることになるので「トランス状態」に達しなくても「貧血」その他で倒れます
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この回答へのお礼

貴重な体験をされたようですが
「事実」といっても一断面のみ見れば
「真実」とまったく違った様相を呈する場合もあります
また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、
方向によって、異なるばあいがあるのです
物事に「状態」や「性質」はあっても、固定的な実体はないのでは?

命がけで集中して作品を作り上げた芸術家の視点では
笑い話にしか聞こえないかも知れません
詩人や文学者の目から見ると、底の浅い寝言に聞こえるかもね
哲学者や宗教家から見れば、所詮「小我」の域を出ない、大我への
道標にもならないと言われるかも知れません

人間は個別に見ると個性的であり流動的なのです
一場面を、一瞬間を切り取って、それが真実であっても
所詮一部でしかないのです
立体的の捉えると、心理学の枠に収まらない、
科学の方程式に当てはまらないのが人間です
画一的に結論する事はできないのが人間です
不可能を可能にできるのが人間です
トランス状態にとらわれる事なく
生命の奥底から湧き上がるような「真の幸福」を追求する事も
大事なのではないでしょうか

お礼日時:2021/06/14 06:08

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