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「わび・さび」の美意識。今の日本人も持ってますか?

【わび・さび】貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする。本来は侘(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い。人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている。

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A 回答 (1件)

現代人も持ち得るという見方を述べます。





 こころなき身にも
 あはれは 知られけり
 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

たとえばこのうたが わび・さびを表わしていると言われます。

こころなき身とは 出家したゆえ 世間を棄てたということらしい。情感の〔共同性の〕世界から離れた。

人情のかけらもなくなったけれど もののあはれが 夕暮れの風景を前にしてこれが心に映ると なお持ち上がってくる。


現代人でも 自然環境を心に映すのでなくても あは! と口ずさむときがある。とすれば 決して人間性として変わったとは思われません。


われわれにとって環境と言えば ひとつに人間関係だと思われる。

そして問題は 人間不信にまで行かずとも 信頼関係のゆらぎである。あるいは 喪失。

つまり さびしい。わびしい。

また 自分としても 信頼関係を築けずにいたとしたら どこか誰かに詫びたい気持ちがある。なさけなさを感じる。

やはり さびしい。と思っていたら 目の前の世の中は ひとつも変わらない。ものごとは うつろいゆかざるを得ないことばかりであるが そのことが変わらない。

となると 正直に言ってわが心は 錆びついてしまった。誰かに詫びようにも そういう気にもならない。

ここで あは! というため息のような嘆き(長息)のような音声が口をついて出る。


わ・な・かに親愛称をつけて われ・なれ・かれと言うように あはも あはれと成る。

親しむ・いつくしむのごとく あはれむという概念をも得る。

そこで ふと思うと 錆びついた心に それでも あはれみの情が生じた。と思った。


さて どうなんでしょうかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。

お礼日時:2021/06/14 18:21

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