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人間は生態系に含まれるのでしょうか。

捕鯨問題での論点として、捕鯨を禁止したために魚が食われて生態系が壊れた。漁場が荒らされた。
という意見があります。

ここで疑問に思うのは人類が捕鯨をする前にも何らかの平衡状態というものが存在してもしかしたら鯨がたくさんの状態が生態系だったのかもしれません。
(どんな状態だったかご存知の方は教えてください)
といっても私は反捕鯨ではないのですが生態系を論ずるのではなく単に食べるために捕る、魚場を荒らさないために捕るという理由だけでもよいのではと考えています。

捕鯨問題はさておき生物の課題として、
生態系がバランスされた状態というのは何を指すのでしょうか。
人間がいないとしたら続いたであろう状態を続けることでしょうか(言い換えると人間は生態系に含まれない)。
あるいは人間が何かを捕食して保たれるものが生態系でしょうか。
絶滅種が生まれないようにケアすることでしょうか。

A 回答 (5件)

こんにちは。



自分の考えでの結論では「含まれない」と思います。

本当の生態系がバランスされた状態とは
高度な知能を持つ動物(人間)の息がかかっていない環境下での動植物が増えもしないし減りもしない状態だと思います。

上記の条件での環境下で考えて、時代と共に変化する気候条件(氷河期など)では特殊な生態を持つ動植物などは環境変化に対応できず遭えなく絶滅してしまう運命の種も沢山います。

ここまで人間の生息数が増えた現在では、昔ながらの「捕って食べる」で生計を立てている方々も少数ながら居りますが、基本的に「育てて食べる」のが人間の基本生態だと思います。

それなので高度な知能を持った人間は、もはや生態系と言う食物連鎖の枠から外れ、生態系を崩さないように管理し、共存する能力を持つ特別な役割だと思っています。

この回答への補足

質問後に思ったことを補足として述べると、時間、空間的にローカルな平衡状態というのもあるわけでそういうものを指して生態系と呼んでいるのであれば、
言葉の使い方としては問題ないかなと思いました。
ただその場合は生態系という言葉のイメージにとらわれることなく、どっちの生態系が好ましいかという議論はすべきと思いました。
よって質問としては、一般に認識されている生態系、望ましい生態系、有力な説がある生態系とすべきだったかもしれません。

補足日時:2005/03/01 16:06
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

そうですね原則的には人間がいない状態を生態系と呼び、それを維持することが人間のためにもよいことかもしれません。
逆にいうと別の平衡状態を創出できるほど人間の力がないのですね。

お礼日時:2005/03/01 16:30

【生態系】自然界のある地域に住むすべての生物群集とそれらの生活に関与する環境要因とを一体として見たもの。

エコシステム。(以上、大辞林より)

> 人間は生態系に含まれるのでしょうか。

ヒトが関与している生態系では「含まれている」、関与していないなら「含まれていない」が妥当ではないでしょうか。

ある均衡の取れた状態が、何らかの原因で破綻し、また別の(あるいは元の)均衡の取れた状態へ移行して安定する、というサイクルを考えたとき、その移行期間を指して「壊れている」「乱れている」と表現することはできると思います。

その環境にいる生物種のすべてが絶えてしまった状態は、安定均衡ではありますが、もはや生態系とは呼べません。

しかしそれ以外は、より多様な生物種がいる複雑な生態系(「豊かな生態系」と呼ぶことが多い)から、きわめて限られた生物種で構成されたシンプルな生態系まで、連続的に想定することが可能だし、実際に存在します。

私は多様性が重要なのではないかという考えに立っていますが、“優れた”少数の生物種で事足りるのではないかと発想する人もいます。

均衡の取れた生態系という概念と、生物の多様性という概念とが混在すると分かりにくくなるように思います。加えて、どちらについても、人為がからんでいるかどうかとは無関係(別問題)ではないでしょうか。

ある海域でヒトがクジラを獲りつくしてしまっても、恐らくその海の生態系は、クジラ不在で均衡状態を得ることでしょう。クジラがいなくなることで種数が減るだけかもしれません。反対に、他の生物種が増えて多様性が増すかもしれません。
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この回答へのお礼

生態系の定義だけでなく、
生態系の価値、見方も示してくださり参考になりました。
系を評価する指標もいろいろ定義できるわけですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/04 21:53

こんにちは。


このような疑問を持たれるのは、人間が生産活動を行ない、環境というもに大きな影響力を持っているからですよね。ですが、人間も生物である以上きちんと食物連鎖にも含まれ、立派な(あまり立派とは言えませんが)生態系の一員です。

生物界には、地球上の大量の化学物質が集められています。窒素、酸素、水素、炭素など、主に生物の身体を構成するものですが、それが太陽エネルギーを消費して絶えず循環しています。そこには食物連鎖というシステムがあり、人類には「消費者」という役柄が割り当てられています。そして、「分解者」というもののお世話になって生物化学物質循環の一端を荷っています。人類は自然界の弱肉強食という掟からは上手く逃れましたが、ここから抜け出したというわけではありません。

人類の最も特異な部分は環境改変能力です。知能や道具を使い、これほど見事に環境を改変してしまう生物は人間だけですよね。ですが、決してそれは人間だけということではなく、そこに住む全ての生物がみな少なからず環境に影響を及ぼしています。
例えば、ビーバーはダムを作りますし、葉切りアリはアブラムシの養殖を行ないますよね。ですが何よりも、現在の地球環境、即ち、平均気温摂氏15℃、大気圧1013hPa、酸素濃度20%というのは生物によって作られたものです。
良く「豊かな自然」などと言いますが、「自然」というのは、このようにして出来上がった生物環境のうち、手が加えられていないものを人間が勝手にそう呼んでいるだけです。ちょっと理屈っぽい言い方をしますと、本当に自然な状態とは、そこでは生物層によるエネルギー消費も物質循環も一切行なわれず、全ての化学物質が惑星全体で均一に分散している状態を指します。まあ、それはともかくとしても、生物層が地球環境というものにどのくらい大きな影響を及ぼしているかはこれで分ると思います。
現在の地球環境、あるいは生物環境はそのようにして作られたものです。摂氏15℃、酸素濃度20%という環境がなければ人間も生きてはゆけません。生態系とは、そこに住む生物が互いに影響を及ぼし合いながら、その環境を共有するものです。ですから、人類もその恩恵に預かる生態系の一員であり、それをやめるというわけにはゆきません。

このように、生態系とは人類も含め、そこに住む生物が互いに環境を共有する系です。生物は互いに影響を及ぼしながら、またその環境に変化に適応して生きています。人類もその一員なのですが、ただ、人間は生産活動や環境改変という手段を使わなければ生きてゆくことができなくなってしまいました。その結果、他の生物から受ける影響は少ないのですが、逆に影響力はたいへん強く、ときには必要以上の消費を行なってしまいます。ですから、その生態系に人間の数が増えると、他の生物はむっちゃ迷惑するわけですね。これも、人間がその環境に暮す生態系の一員である証拠です。

>生態系がバランスされた状態というのは何を指すのでしょうか。

生態系のバランスが保たれるということは、エネルギーが供給される限りそのシステムが自発的に継続されるということです。
太陽エネルギーが供給されれば植物は育ち、食物連鎖は継続されます。食物連鎖が継続されれば化学物質は土に返り、植物が育ちます。バランスが保たれるということは、このような循環が自発的に継続されるということです。
このように、誰の手も借りずに自発的に構成、あるいは継続されることを「自己組織化」と言います。生態系は極めて複雑な自己組織化現象であり、それは柔軟性を持っています。柔軟性があるため、ある程度の環境の変化には絶えられますが、臨界を越えれば破綻します。生物の大量絶滅なんてのがそうですね。そして、一旦破綻しても、システムを組替えて継続されるのもまた自己組織化現象です。ある生物が絶滅してしまえば、別な生物がその生態的地位を埋めます。

では、人間の手の加わったものは自己組織化ではなく、生態系ではないということになります。まあ、確かにそうなんですが、自然を相手に人間のできることってたかが知れてますよね。自然を保護したいと思っても、そこにいって1年中水をやったり餌を運んだりなんてことはできません。やはり手を加えるにしても、自然本来の力を使わなければそれをひとり立ちさせてやることはできないんです。絶滅動物を救いたいと思っても、その生息環境を壊してしまったのですから、人間の技術だけでその動物を救うなんてことはできませんよね。
人間も、自然界のシステムに取り込まれた、ちっぽけな一員でしかないんです。ましてそれを思い通りになんてね、できやしませんよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
人間が生態系に含まれるかという質問自体サイエンティフィックではなく反省しています。

このような疑問が生じた理由を考えてみると、
エネルギー収支の面だけからみても生態系のメンバーとして重大な地位を占めながらも、
人間がいなくなったとしてもカタストロフィックな変化は起きずわずかにことなる別の平衡に達するだけだろうという思いが人間が生態系に含まれないと感じさせた理由かもしれません。
もう一点は人間が存在する前は平衡に達していた(あくまでも人間生存時間において)が現在は人間のために平衡ではないのではないか。
つまり生態系という言葉の中に自己組織化により安定であるものという意味を含めていたためのようです。

お礼日時:2005/03/02 16:24

地球規模で話すのであれば含まれますが、部分的に話すのであれば入らない場合もあります。



人が介入する前の鯨がたくさんいた状態も生態系としての一つであり、人が介入してからも一つの生態系です。違うのは、その地域を構成する生き物に「ヒト」という哺乳類がいたかいなかったかというだけです。
ついでに、生態系のバランスが保たれていると感じるのも崩れていると感じるのも人間的主観ですから、とても極端なことを言えば、絶滅種が出ようが出まいが生態系のバランスが一時的に崩れても、長期的に見れば崩れているといえないかもしれません。(弱肉強食のピラミッドを考えてみてください。生物の増加や減少は天敵や食物によって変わりますよね。)

「生態系のバランスが保たれた状態」というのはいわゆる「持続可能な社会」「循環型社会」というやつではないでしょうか。土から生まれたものがちゃんと土に返り、地球上の物質が一箇所に固まり続けないことなんじゃないかと思います

所詮、「生態系のバランスが~」とか、「環境が~」とか言うのは人間だけですから、つまるところは人類全体の感情や倫理に基づくものではないかと思います。(だからといって別に、生態系のバランスが崩れるたり環境が悪くなっても良いと言っているわけではありません。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

下の方にも書きましたが、
人間を除いた仮想の生態系の平衡を保とうという方法論において生態系という言葉が使用されているためこのような疑問が生じたかもしれません。

お礼日時:2005/03/01 20:07

私はヒトも生態系に含まれると思います。


高校生物でもそう習いました。

生態系とはある地域の、生物集団とその周りの無機的な環境を含む系のことであります。
自宅という生態系、新宿という生態系、富士山という生態系など、世の中にある生物のいる地域は全て生態系です。
人間も当然、生物なので生態系に入ります。(ヒトはちょっと高度な動きをする単なる動物に過ぎません。)

何か誤解されているようです。生態系かエコシステムで一度辞書を参照してみてください。

そもそも生態系が変化するということはあっても、破壊されるということはないのです。
捕鯨されて、鯨が少なくなったとしても生態系という系が破壊されているわけではありません。あくまで変質、変化しているだけです。

すみませんが、ここで分かりにくいたとえ話をします。
ある空き地Aという、草が10種類ある生態系が1つあったとしましょう。
このとき空き地Aという生態系を「箱」とします。
(空き地Aという「箱」には、砂、十種類の植物、水、ダニ、ダンゴムシ、などいろいろな生物的要素、非生物的要素が入っていると考えてください。)
ある日除草剤がまかれて、空き地Aの草は1種類だけになりました。生態系は変わりましたが、空き地Aという概念自体が破壊されたわけではないです。(空き地Aという「箱」すなわち生態系が変わったわけではないです。)
逆でも同じです。ある空き地Aという、草が10種類ある生態系に1種の花を植えたとしても生態系は変化しますが、空き地Aという概念(「箱」)は変化していません。

しかし人間にとって望ましく感じる生態系(貴方のおっしゃる鯨がたくさんの状態)から、望ましくない生態系(貴方のおっしゃる鯨が減少した状態)に変化したとき慣用表現的に、人間の都合で「生態系が破壊された」、とも言います。
しかし「生態系」という語句の正しい使い方としてはおかしいはずです。皆使ってますけど…

ともかく、ある生態系の変化に「破壊」という言葉を貼り付けることは、人間の都合によります。

「生態系がバランスされた状態」というのも人間の主観が入っており曖昧なもので、生物学の用語としては使えないでしょう。
何度も申し上げますが、「生態系」というものが破壊されたり、バランスが取れていたりはしないのです。
一般的な「生態系がバランスされた状態」というのは食物連鎖がうまくいっているという意味なのでしょうが…。生物学の用語としての使い方が誤っています。

補足ですが、地震などの天災などによる生態系の変化で、食物連鎖のバランスが崩れることもあります。
ヒトが関与するから環境が変わるというのは、その中の一部です。

絶滅種が生まれないようにケアするのは、かえって生物集団のバランスを壊す可能性さえありますのでよいとは思いません。しかし遺伝子資源として人間がある特定の種を保護したりするのは自由ですが。

とびとびにわかりにくい説明ですみません。
また、貴方の質問への回答からずれてしまい申し訳ありません。
あくまで個人の意見ですので参考までに…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
用語の使い方はよくわかりました。

このような問題意識は、
人間を除いた仮想の生態系の平衡が存在し、それを保てば人間も安泰だろうという意識からきているのかもしれません。

お礼日時:2005/03/01 19:37

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