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垂仁天皇の時代まで天皇が亡くなると、選ばれた民が生き埋めにされていたそうですが、それが埴輪に変わったというのは本当ですか?

日本書紀によれば、生贄にされた人の泣き声が土の中から聞こえていたそうですが、声が出せるという事は、生き埋めではなく、蓋をされただけで、あとで村の人が助けに来たのでしょうか?

それを見かねた野見宿禰という人が、「生きている人間の代わりに、埴輪を埋めてはいかがでしょうか」と、作り物の人柱を垂仁天皇に願い出たそうです。
それ以降、人柱の代わりに埴輪が古墳に置かれるようになったそうです。

ということは、埴輪の数だけ、それ以前は、民が生き埋めにされていたのですか?

質問者からの補足コメント

  • 墓は死んだ人が埋葬されるのに、なぜ天皇は生きている人を埋葬していたのですか?

      補足日時:2021/08/10 00:37
  • 天皇も生きたまま古墳に埋葬されたのですか?

      補足日時:2021/08/10 00:37

A 回答 (2件)

それは違うと思います。

埴輪は埋葬された方を守る、一種の守護
とされているようです。ただ何人かは埋葬された方を守るため、
生贄として埋葬された説はあります。
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埴輪は初期は円筒埴輪で、古墳の土砂流出を防止するためでした。

土木上の理由です。古代には殉死は洋の東西を問わず行われていましたが、実際には殉死の跡はほとんど発掘されていません。古墳本体以外の調査はあまり行われないとか、骨が残っていないとか理由は考えられます。
気になるのは箸墓の培塚ですが、たしか陵墓参考地で調査できないのでは。
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