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二千七百年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの「失われた十部族」の一部族が東を目指し、最終的に極東日本にたどり着き、ヤマト王国が建国したのが三世紀と言われています。

紀元前660年頃から三世紀(10代崇神天皇)まで、「失われた十部族」は、ひたすら大陸を渡り、東に向かっていたとすれば、朝鮮の南の先端に、日本で見られるヤマトをシンボルとする前方後円墳があるのも合致するのではないかと思ったのですが。


朝鮮で見つかった前方後円墳は、12基。
新徳1号墳(咸平郡)は、全長約51メートル。横穴式石室と周濠、葺石を持ち、金銅製の冠片や鉄刀、馬具、玉類などの副葬品が出土。
月桂洞1号墳(光州広域市)は全長約45メートル。横穴式石室と周濠、埴輪を持ち、鉄斧や鉄鏃なども見つかった。
最も大きい長鼓峯古墳(海南郡)は全長77メートルで、横穴式石室と埴輪。

恐らく、前方後円墳が出土した朝鮮の南のあたりは、御一行が、日本に辿り着く過程で、数百年程、滞在していた場所だったのではないでしょうか?

前方後円墳12基。。
10代崇神天皇より前を12代遡ると、ニニギから開化天皇。。。

質問者からの補足コメント

  • 二千七百年前と言えば、その変の話だと思うので、神武天皇の時代くらいに、朝鮮の南あたりで天皇という称号を使い始めていたと考えるのは無理があるでしょうか?

      補足日時:2021/10/24 20:29

A 回答 (1件)

紀元前660年という数値は


日本を古く見せるために
わざと年数・寿命延長した偽作。

中国から伝わった占いの一種である讖緯説とかいうを使用。
そういうのを勉強したほうが良い。

神武天皇陵は大和の橿原と明記。

朝鮮などにあるわけないでしょう。

天皇という称号は天武天皇の頃に
大君・大王などの称号統一。

そういう基礎的知識を1から勉強しなおせ。

落第。
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