アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

韓国のラジオ体操『国民体操』だは1977に朴正煕大統領が確立普及させたとのこと。

ネットでちょっと韓国の体操のことを色々検索していたら
『ヌルプム体操』というのも出てきました。
こっちは朴正煕大統領の、娘さんの朴槿惠さんが普及させたとのこと。
それで例の崔順實さんがこの普及活動に絡んでいて、失脚の一因になったとも書いてありました。
https://youtu.be/0FPnxyuNP9I
朴正煕大統領の時も朴槿惠さんの時も体操の導入が大きな話題になったようですが、これを導入する利権みたいなものが朴正煕大統領時代にも、あったのでしょうか?

A 回答 (2件)

朴正熙は日本統治時代に満州国で高木正雄という日本名で満州国軍軍官学校を首席で卒業し、満州国皇帝溥儀から恩賜の金時計を授かっています。

朴正熙は満州国での軍人としての経験をもとに、戦後にクーデターで独裁政権(第三共和国)を成立させると、満州国流の統治方法を行い始めます。

朴正煕は軍事クーデター後の1961年6月に「福祉国家を達成するために全国民が民主主義の理念のもと、協働団結して自助自立の精神に郷土を開発し、新たな生活体制を確立する運動」として「再建国民運動」を導入します。いわば自分が起こしたクーデターを正当化する意味合いから、国民運動を主導したと言えます。
ところが、これは実質的に日本統治下で実施された様々な制度を大韓民国の国家統治システムとして復活・制度化させるものでした。こうしたことから、この運動は全体主義的と批判され、反日的批判もあり、国民の間に広がることなく数年後には実質的に終息していきます。

この「再建国民運動」の一環として、国民体力の向上を目的に1962年に「再建体操」が制定・実施されました。しかし「再建体操」も日本統治下の皇国臣民体操やラジオ体操を真似たものであり、行われる体操の実施順番は皇国臣民体操と全く同じ順番で同形式でした。つまり、日本統治下の皇国臣民体操の名前を変えただけのものだったのです。
このように、朴正熙時代の「再建体操」は、クーデター後の自身の政権を国民的なものとすることで正当化するために行った運動の一環として実施されたものにすぎず、その内実は日本流の国家統治システムを真似ただけで、利権などはなかったと言えます。

再建国民運動
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E5%BB%BA …
    • good
    • 1

途中で切れて投稿してしまったので続きです。


1977年の「国民体操」も「再建体操」と似たようなもので、ラジオ体操の真似と言えます。この当時、金大中事件などで日本との外交関係が悪化し、更に1976年にコリアゲート事件で米国との関係も悪化した上、人権外交を掲げるカーター政権の登場で米国との関係も悪化していました。更に、北朝鮮と軍事同盟を結んでいる中国が核開発を行っているのに対抗して核兵器を持つことも構想しており、周辺国との外交関係がどれも悪化して孤立感を深めていました。こうしたことから国内の一体感を高めるために「国民体操」を実施したと考えられ、利権はほとんど関係ないでしょう。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!