「平成」を感じるもの

死後の世界があるかどうかなんて死んでみないとわからないですよね?
生きている時に死んだ後のことを考えるなんてただの時間の無駄ですよね?

A 回答 (12件中1~10件)

分からないのにないという一方の方を断定し、あるという可能性を完全に放棄するのがおかしいことに気づけていませんね。


分からないことは決めつけないのが正しい認識です。多様性や可能性に満ちたこの世界を狭い考えや知識で決めてしまうと生き方も同じように狭く小さなものになります。もっと広く大きな知識や考えをもった方がより良く生きていけます。
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おっしゃる通り、死後の状態が分からない人は「大多数」だと思います。



しかし、死ぬ前の修行で分かる「真の聖者」もおられると聴いています。

例えば、チベット仏教のバルドのヨーガは死後の状態を理解し操作できる修行だと聴いています。

また、仏教の宿命通や死生智は生前や死後を認識し理解する能力・神通力であると聴いています。

死後の事も含めて未知を探求して、適切な対処をする努力と成果を挙げる要素は無駄ではないと思います。

少なくとも、知性的な努力と、その積み重ねが科学や医療、政治や経済にも発展をもたらしたと思います。

誤った情報の思い込みは避けるべきですが知性的な研究や真摯な修行は存在してます。

その方がある意味とても、現象をありのままに見る智恵のある態度だと思っております。

本当に死後を理解する方法と確かな能力を得て、自他共に利益をもたらせたなら素晴らしいですね。

本質的でみんなに利益となるであろう内容、丁度よく分かりやすい質問、ありがとうございました。
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そう思うなら地獄行考えても無駄、今まで多くの人々が天国行を願っていた、間違った教理、思想を吹き込まれやすやすと地獄に下った、間違っ

た宗教観が日本民族をダメにしている!
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違います



現代文明は「死を忘れた文明」と言われるのです
世界の抱える大きな問題も、この死と言う問題を
避け、無視、タブー視する所に、解決の道が開かれないのです

我々は一つの例外もなく死刑の判決の下った死刑囚なのです
何時、それが施行されるか分からないだけなのです

人間は、真っ先に他を差し置いて、この
死の問題を解決しなくてはなりません

哲学するのは、「いかに死すべき」かを学ぶためなのです
それはそのまま「いかに生きるべきか」なのです
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死んだらわからない。


わかる能力がない。

世界があって、わかる能力がないのではなく、世界もなくわかる能力もな
い。
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今までどれだけの人間が死んできたと思っているのかw


死後の世界なんてあったら、満杯だよwww

https://note.com/12daiki/n/n29055b1c068d
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今までたくさん死んだ人がいるのに、誰一人として、死後の世界のことを厳正に伝えてこないんだから、無いと考えるのが妥当。


死後の世界について映画まで作った丹波哲郎氏もなにも言ってこないし。

死後の世界は無いか、あっても無駄死にで伝えられないのどちらか。
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実は死んだら無と断じる根拠も希薄です。



  死んだ死体を見て見たまんまの感想しか言えないって、どんだけ安直か。

  世の中は知らないことだらけで90%以上だそうです。


  目に見えないから存在しないと言い出したら、宇宙のダークマターもダークエネルギーも全宇宙の全体の94%だそうで、これらは人間の力では認知不可能です。残り4%しか見えない人類にこの世の事などどうして把握できましょうか?
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死後の世界を考える事で今の生き方に希望が出てきます。



死後の世界を考えて今を幸せに生きる人と死後の世界を無視して生きる人なら無駄だと思います。


知らない事を知ろうとする気持ちやわからないものを追求する事は大切な時間とも考えています。
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