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「学ぶ」とはどういうことですか。また、学んだことはどのように生かしているかも教えてほしいです!

A 回答 (8件)

知らないことを知る努力が学こと、学ぶのは学校だけではありません。

知らないことを知りたいという好奇心は人間の本性で赤ん坊や幼児は好奇心の塊です。周囲の様子、人の言動を見て学んでいます。学んで覚えたことが知です。知は人それぞれで大きな知を持つ人もいればそうでない人も。大人になって社会に出ても学ぶことだらけです。学ぶこともなく知に気が付かない人もいます。
学んだことを知として生かせば人生が開け豊かになります。知のある人は世の中で活躍し貢献したり富を得ることも可能です。知の乏しい人はドツボに嵌り抜け出ることができません。不平不満の塊です。

学んだことはどのように生かしているかは人それぞれです。学んだことを忠実に実行するのが職人、新たな学びがないと時代遅れのポンコツになります。5年経てば世の中変わっています。
学んだことから発想を得て新たなものを作るのが学者、起業家。

学而不思則罔 思而不学則殆・・・・・論語
学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはありません。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2021/11/25 07:25

チャレンジしたいことをよりスムーズににできるように、生きる楽しさ・喜びをいっそう増幅できるように、できなかったこと・難しかったことをより簡単にできるように、・・・する手段・方法などが、「学ぶ」ことなのかなと思います。


例えば、学んだ「FX」・・・片手間に「学んで」やっていましたが、今月の利益確定・・50万円、今年の利益確定・・500万円は超えています。
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学ぶとは人間になるためです


幸福になるための条件です
この、短い一生を最大に有意義にするものです
学は光・無学は闇、知は力、無知は悲劇です
ですから学ぶとは、知識と知恵を言います

学んだ知識をどのように生かすかは知恵によります
ですから「知識と知恵」を学ぶ教育が必要です

「知識と知恵」を学ぶ教育が国の未来を作ります
全人格性を開花させるのは「教育」の力です
教育こそ不幸の闇を打ち破る光原であり太陽です
教育により人間を善く、賢く、強くなれるのです
教育は自立のための環境作りであり子供の幸せのためです
使命の自覚を促すための、魂の触発であり
人格の価値を創造する、最高の芸術です
人類の未来のために、最も大切なもの
美しい盆栽を育てるのではなく、
大自然のなかで大地に深く根を張り、
天に伸びる、堂々たる大樹を育てる事です
それは教育以外にないのです
更に
知識と知恵、知恵と実践についても考察する必要がある
孔子が「言に於いて訥し、行に於いて敏する」と強調するのは、
知っているのにできないのが人の常で、道理は簡単でも実行するのは
容易ではないからである。
それは単に理論信仰、パスデザインだけではなく、
常に理想を実践する事で、より良い生活をしたければ、
人自身を変えて「精神の改革」を行わなければならないと考えられる

よりよく生きるために
知識、知恵、精神改革、行動、と言う事です
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古人曰く


「学びて思わざればすなわち罔(くら)く、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」

https://www.kanaju.org/rijichokowa/03.html
https://meigen.shiawasehp.net/k/koushi04.html
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学ぶとは上手くなること。

ただ、知るだけじゃなくて。
雑学くっちゃべって自慢するために学ぶんじゃなくて。自分が上手く生きるために、あるいは他人を、環境を、上手く生かすために学びを活かすのが理想。
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専門家ではありません。

見聞きしたことや経験したことを覚えることから始まるのが「学習」でしょうね。ただそれは記憶なだけで終わることが多いのは,なぜそうなるのかということと,それはどういう手続きを含んでいるかという整理がなされていないから。それはまだ知識とは呼べないわけ。高校までの教育はこの段階でほとんどが終わっているでしょう。物理学だって記憶科目ですからね。
 大学の教育や,興味を持った記憶情報について独学をすることでは,その情報がどういう論理で得られているのか,根拠を理解して整理・分類して脳みその引き出しに入れる作業を「勉強」と呼びます。「学習」とはちょっと違う。だから,高校の物理学で覚えたことがなぜそうなのかを知るし,さらにその知った手続きは物理学以外にも使えることがあることに気づいたりする。つまり,見聞きしたり経験したことの原因からその事実へのプロセスを理解するのが「勉強」「学ぶこと」なわけ。しかし,一旦引き出しに入れることに成功しても,それが開けられない場合がほとんどだったりする。使えない知識は知恵とは呼ばないわけです。いつでも取り出して,応用して使える知識を知恵と呼ぶわけ。それには,高校までの学習で記憶することとその情報は必須だし,大学等におけるその根拠とプロセスを理解して使ってみるという行動も必須になるわけだ。これで使える知恵にすることを大きくとらえた「学び」と呼ぶんではないですか。
 最近の学生さんは「教えてください」と言う。目の前にあることの説明を聞いて覚えようとする。これは学習レベルであって勉強にはなっていない。だって,その疑問になっている問題や課題は,別の機会に使った知恵を使えば解決できるから宿題や試験に出している。これを応用と呼ぶわけだけど,使える知恵になっているかを宿題や試験で出す。工学部で土木の勉強をしたとしても,就職してちょっと勉強すれば造船の仕事もできたりする。だって力学は分野によって違うわけではないから。仕事では常にまだ誰も解決していない問題に直面する。トンネルを掘っていてあることが起きる。どうしよう。まだ誰もそれを経験したことがない。ここで,あるプロセスが使えることに気づいて試行したら効果が出た,という行為が学びを応用し始めた第一歩。高校生にはできない。そのプロセスと論理を脳みそには入れてないから。うまくいった試行を実際には適用して問題を解決しているのが現場の技術者たちです。これを知恵を「活かす」と呼ぶわけだが,応用することです。
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何か会得することでは。


自動車学校で学んで
車の運転ができるようになる。
仕事に生かしています。

他のことも似たような話でしょ。
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たとえば英語を学ぶとする。

そしたらアメリカ人に対して道を聞かれたら教えてあげることが出来る。

また日本は民衆主義国家だと学ぶ。そうすると日本は国民に主権があるのだと分かる。そして民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。

民主主義国においては、立法者や政府ではなく、国民に主権がある。世界各地のさまざまな民主主義制度には微妙な違いがあるが、民主主義政府を他の形態の政府と区別する一定の原則と慣行が存在する。

民主主義とは、市民が直接、もしくは自由選挙で選ばれた代表を通じて、権限を行使し、市民としての義務を遂行する統治形態である。
民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。
民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。
民主主義国は、全権が集中する中央政府を警戒し、政府機能を地方や地域に分散させる。それは、地域レベルの政府・自治体が、市民にとって可能な限り身近で、対応が迅速でなければならないことを理解しているからである。
民主主義国は、言論や信教の自由、法の下で平等な保護を受ける権利、そして政治的・経済的・文化的な生活を組織し、これらに全面的に参加する機会などの基本的人権を擁護することが、国の最も重要な機能のひとつであることを理解している。
民主主義国は、すべての市民に対して開かれた、自由で公正な選挙を定期的に実施する。民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない。
民主主義は、政府を法の支配下に置き、すべての市民が法の下で平等な保護を受けること、そして市民の権利が法制度によって守られることを保障する。
民主主義諸国のあり方は多様であり、それぞれの国の独自の政治・社会・文化生活を反映している。民主主義諸国の基盤は、画一的な慣行ではなく、基本的な諸原則の上に置かれている。
民主主義国の市民は、権利を持つだけでなく、政治制度に参加する責任を持つ。その代わり、その政治制度は市民の権利と自由を保護する。
民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」
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