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1980年代までは嫌露の方が、嫌中、嫌韓よりも多かったのですか?ソ連が崩壊して、2000年代に入ってたから、嫌中、嫌韓の割合が増えて、嫌露の割合が減ったと聞きました。

A 回答 (5件)

・正確には1980年代はロシアではなく、まだソビエト連邦の時代です。


当時は東西冷戦時代であり、日本では毎日のようにソ連機による領空
侵犯に備えて自衛隊機がスクランブル発進しており、80年代当時は
北海道にソ連が侵攻してくるという内容の「仮想敵国ソ連」という
書物がベストセラーになっていたくらいです。

ソ連が崩壊してロシアが誕生しても経済力は高くなく、日本として
はソ連時代よりも脅威は感じなくなったものです。

・中国とは1972年に日中国交正常化をし、パンダが中国から日本に
贈られ、日本ではパンダブームもあって中国に対しては好意的なムー
ドだった時代です。
当時の中国を紹介するニュース映像には、たくさんの自転車が北京の
街中を走っていた印象があり、日本よりかなり遅れたのんびりした国
というイメージでした。

1989年に天安門事件が発生し、中国が危険な国というイメージに
変わっていった転換期になったと思います。

・韓国は建国以来、日本文化の流入を禁止していた国です。
現在でも日本文化の流入に関しては制限があるようです。
これに対して日本では、2003年にNHKが「冬のソナタ」という韓国
ドラマを日本で放送したところヒットし第1次韓流ブームとなり、
現在につながっています。

特に女性を中心にした韓流ブームに対して、日本の男性は韓国を見下
す傾向が昔からあった為、韓流ブームの盛り上がりと相反して”嫌韓”
が言われるようになったと記憶しています。

以上のように1980年代当時は、日本にとって仮想敵国はソ連であり、
中国や韓国はまだ日本に比べて国力も弱くて途上国レベルだった筈
です。
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あくまで私の主観です。



対中は、当時、NHKのシルクロードという番組がブームになり、その影響もあって、中国に好感を持つ日本人が、嫌いな者よりも圧倒的に多かったです。

対韓は、まだ韓国は日本に対して文化などで閉鎖的でした。韓国のドラマも、まだ日本には入って来ていませんでした。日本人の多くは重大政治事件のときだけ、韓国の名前を聞くだけで、韓国そのものを知らなかった時代でした。
近くて遠い国だったのです。

対露は、1980年代にゴルバチョフが登場してからは、完全に親露になりました。
北方領土問題に敏感だった右翼が、そんな世論に神経を尖らしていた時代でもあります。

取りあげられていませんが、重要なのは対米です。
対米は、政府も国民も、現在のようなアメリカべったりではなかったのです。
文化的には完全にべったりでしたが、政治的には、まだ戦時当時者が社会の中心、ちょうど社会の上層部にいた時代でしたから。
もちろん自民党政権は日米同盟を外交の基軸にしていたことは変わりありませんが、対米関係には、世論に気を使う必要が政治にはありました。経済的にはアメリカと、自動車や鉄鋼などで真っ向から対立していた時代です。
レーガン大統領と中曽根総理との親密性を、ことさら強調する報道が盛んに行われた時代でした。
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国単位でどうだったかは、詳しくはわかりませんが、自分の経験の範囲で書きます。



ソビエトがあった頃は、冷戦時代でしたからね。
ロシアは西側の敵ということで、今ほど情報も入ってこないから、鉄のカーテンの向こうで良くわからない、なんだか怖い国という感じだったと思います。

中国は、4000年もの歴史のある国、日本に多くの文化をもたらした国ということで、むしろ尊敬の念さえあったように思います。嫌いという印象は殆ど無かったような。

韓国、というか、朝鮮は、年寄りは昔から差別してましたね。
なんでだか子供の頃はよくわからず、吐き捨てるように悪く言う親たちに違和感がすごくありました。
朝鮮学校の子は怖いと、同年代の子たちはよく言ってましたが、私は実際に交流することはなかったので、好きでも嫌いでもない、隣の国って認識しかありませんでした。
今みたいに、韓国の人の言うことがいちいち入ってこないので、興味を持つ機会もなかったし。

80年代に10代だった人は、私と同じような認識の人も多かったのではないでしょうか。
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対露は、嫌露一色で全然盛り上がることがなかったからです。

親露は、鈴木宗男ただ一人だけなので面白くなくて盛り下がりました。またスタルヒンを最後に在日ロシア人も途絶えたので全く話題にならなくなりました。それに対して対中・対韓は全く違います。在日中国人も在日韓国人も多く、犯罪者も少なくない。また中国・韓国も日本人の国民感情を逆撫でする反日言動を再三繰り返し続けてきました。中韓とも経済成長に伴って自信をつけて来ていて反日の本性をむき出しにして日本に向かってきたのです。その影響で嫌中・嫌韓が増えたのです。
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嫌露は東西冷戦の終わりとともに薄れましたが、問題は解決したわけではありません。


嫌中は、1980年代は中国は後進国ですから、相手にしていないということではないでしょうか。オリンピックの開催=先進国への仲間入り儀式という面もあります。日本は1964年、中国は2008年、韓国は1988年です。
嫌韓は、難しい韓国の歴史をたどる必要があると思います。
朝鮮戦争は1948年に始まり1953年に休戦しましたが現在、終戦しておりません。その後1987年まで、韓国は軍事政権国家でした。1973年に民主政治家金大中氏が日本の東京で拉致されるという日本では考えられないじけんもありました。そういう国ですから、国内に興味のある人自体が少なかったと思われます。
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