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昭和55年に我が国を公式訪問した際、彼は国務院総理(首相)で国家元首ではなかったのに、我が国は国賓としてもてなしました。なぜでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    詳しい方はいないようなので締め切ります。

      補足日時:2022/02/12 05:35

A 回答 (2件)

中国の場合は憲法の上に共産党があるようなものだから、おかしくないでしょう。



民主主義国から見ればおかしいですが。
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この回答へのお礼

いいえ、メッチャおかしいですよ。国家元首じゃありませんから。
事実その後訪日した国務院総理は華国鋒以外すべて公賓です。
共産国ベトナムは共産党中央委員会書記長が最高権力者で、国家主席は党内序列2位ですが元首(兼務することもある)です。従って書記長の来日時は公賓で、主席の場合は国賓です。
要するに政体の問題ではありません。

お礼日時:2022/02/10 00:59

ん?



昭和55年、1980年の五月訪日時はまだ首相兼党主席だったはずだけど?

1970年に国家主席が憲法上廃止されたので、首相兼党主席が元首扱いされても構わないのではないだろうか
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この回答へのお礼

正しくは「中国共産党中央委員会主席」ね。日本で言ったら自由民主党総裁みたいなもの。どう考えても元首ではないね。
当時支那では国家元首のポストが廃止されていたが、その間は孫文の未亡人で全人代常務委員長代行の宋慶齢が国家元首格だった。しかも華国鋒は前年暮れの中央委員会全体会議(中全会)で党内序列は6位に降格しており、総理と言えども実権のないお飾りに過ぎなかった。その後国務院総理が何人も日本を公式訪問しているが、すべて公賓だったことを考えると、華国鋒に対する特別待遇は異例というより異常である。

お礼日時:2022/02/09 19:50

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