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死ぬのが怖いのはなぜですか?

A 回答 (41件中21~30件)

色んな思い出を持っているからだとわたしは思ってます。


自分自身死んだ時のことを考えた時、今までの友達との思い出全てが自分の中で消え去っていくって考えると怖くなりました。
どうせ死んでも寝てる時と同じように何も思わず、起きるように目を開けると新しい人生がスタートしてるんだろうなとは思いますが、今あるものが全部無くなっていると考えると、怖いです。
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考えるから恐いだけであって



考えた妄想が恐さの元ですよ

恐がらなくても、人は死ぬ運命みたいですよー
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生きていたら「経験できないこと」だからでしょうね。

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人は魂があるからです。

また生きがいがあれば、死んでたまるかという感じになります。
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多分あなたがまだお若くて、コレから先に起こりうることに期待もあり、夢もあり、この世に好きな人々も多いからではないでしょうか?



後は死ぬまでの肉体的な苦痛や死んでからの意識や思考の有無等、分からないことだらけだからなのだと。

所が私はもう66ですが、人生ここまで来ると、かなり様々な体験も経験し、喜怒哀楽や色んな体験も感動も味わいました。

心から大好きな人や尊敬できていた人なども、もうあちらの世界にどんどん旅立つ人が増えてきます。(^^)

そうする内、不思議なことに良くしたものです。
だんだん死ぬ事自体が怖く無くなってきて、受け入れやすくなるものです。

死とは、ちゃんとした自然な寿命が来るまで、一生懸命逃げずに生きてきた人に与えられる、神様からのご褒美だと、私は捉えています。
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他の動物は死を怖がりません。

たぶん人間以外の生物は「今」を生きるために行動しているから将来の終焉としての「死」を理解できないのだと思います。人間は「将来」のために生きることができます。そう考えると「死」は将来の無い状況なので、恐ろしいと感じるのでしょう。それを恐ろしいと感じないためには「現生に続く死後」という幻想を信じるか、他の生物のように「今」を生きるだけになるかでしょう。
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それは、死を受け入れる事が出来ていないからです。

物事を良し悪しで区別する見方、或いは分別で世の中を見ているからです。

死が恐いという場合では、逆な見方をするなら『永遠の生』を夢見ている場合が多いようです。

死が恐い事も、永遠の命を希求する事もその原理は同じからです。

人間は目の前の現実を二つにしてみています、一つは虚の世界です。もう一つは真実の世界です。

従って目の前の世界は『虚の世界と真実の世界が混じり合って、その境目は分からないように出来ています。』

例え話になりますが、結婚をするという場合に何時までも幸福に包まれて死が分つまでそのままの場合と、逆に二人の仲がいかに努力を重ねたとしても苦労ばかりで、幸福とは縁遠い場合もあるかも知れません。こう云った関係性にも絡んでいます。

赤い糸で結ばれた関係という話があります。それは二人の関係性に京虚の世界が混じる事のない場合です。

お互いを想う時、見栄とか欲とか損得の入り込む余地がない場合を云っていると思います。そうして会えば会う程また会いたくなるとか、知れば知るほどもっと知りたくなると云う関係性に発展する場合です。

虚の世界観とは、相手を想う時、見栄とか欲とか損得の入り混じった考え方が多くて、会う度にもう沢山と云った気分になる場合です。

こう云った事が起こるのには理由があります。本人の考え方に、或いは本人の世の中の見方に関係が有ります。

始めの話に戻ります。死が恐いという場合に強弱が有ります。只怖いだけなら問題が起きません。その怖さが度を越して、生活が出来難いと云う場合も生じると思います。

こうなった場合では『恐怖症とか、ノイローゼ』という事になるのかも知れません。こう云う風に毎日の生活が出来なくなった人が宗教家の道に入って行くのだと思います。

釈迦が良い例です、王様の位までも継ぐ事が出来なくなる程の苦しみに悩まされた人と云っても良いと思います。そうして苦しみの果てに、安楽になる道を切り開いたからです。

人間の心の究極な癒しの心理学を開いた人と云っても良いのだと思います。

つまり悟りを開いたという意味です。恐怖症になって苦しんだ挙句、恐怖症の解決方法を編み出したと云う言い方が出来るからです。

ただその原理を説明する事は簡単ですが、悟りを説明したり、悟りを開く方法を伝授する事にはかなり無理がある様です。その理由は、日本中の釈迦の弟子とかその息子さん達が沢山存在しています。

今の仏教界の最大派閥である曹洞宗であっても、悟りを開く事が難しいと云った理由からか?『悟りなどは無い』という事さえも言う人達が幅を利かせるようになっているようです。

仏教から”悟り”を取り去ったなら、精神性の浄化作用とか、心の癒しとか、死によっても覆る事のない絶対の安心、などが全て絵に描いた餅に変質してしまいます。

死が恐い事を増幅していった場合では、死に対する恐怖症になってしまいます。この生活で毎日の生活を死刑囚の気持ちで過ごした場合では、強雨y不詳の正体を見破る事が出来ます。

仏教で人間(自分)が苦しむ事を、『無明の故』と云っているようです。その理由が恐怖症の中に在ります。

人間の苦しみは、苦しんでいる人の脳の中に原因がある様です。人間の脳は誰の脳でも同じく出来ています。又白人であっても黒人であっても黄色人種であってもです。

そしてその無明と云う内容が『自分自身を知らない事に拠っています。』苦しみの原因が自分自身の中に存在している事を知らないという意味です。

神経症と云うものが有ります、又の名をノイローゼと云っても良いものです。仏教的な表現をするなら『地獄=意識地獄』の事です。

自分の意識が恐怖の虜になってしまって、その恐怖したものに縛り付けられてしまう場合です。

人が恐いという場合では対人恐怖症です、死が恐いなら死に対する恐怖症です。そしてその症状はあらゆるものが有ります。自分が嫌だとか受け入れたくないと感じたものは、全て症状になってしまう様です。

眠りたいと強く意識した場合では不眠症というものもあります。

人間の心は脳内に二つあります、一つは『我思うゆえにわれあり』という場合の『自我意識』です。

もう一つは大変に分かり難いものですが、『無意識の自分の意識』です。或いは生まれる前から全てを知っている意識と云っても良いです。

受精した瞬間から細胞分裂の順番まで全て成就出来る働きです。生まれた後でも全て自動運転で、脈拍数でも呼吸数でもホルモンの分泌であっても何でもかんでも全てを自動運転で行う事が出来る働きを働かせている意識です。

火事場ではクソ力を出させている者です。目にゴミが入りそうであるならば『自我意識を押しのけても、目を塞ぐように体を働かせているものです。

申し遅れましたが『仏性』と云うものです。人間の脳の機能を科学的に分析をしたものです。少し古い記事です。人間の脳の構造です。ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この右脳の中の人格が『無意識界を取り仕切っています。』納期が来た時にはせかせかと自我意識に働きかけています。

高い処に上がった場合では怖い感覚と同時に、どの程度危険かを教えています。

長くなるようですので短くしたいと思います。

神経症の場合は、右脳の意識とうまく調和が出来なくなった事を意味します。眠る場合では自意識が無くなって行って、無意識の意識が身体も心も支配する事になります。この交替が順調に行っていて切り替わりがあ分からない人を、健常者と云っています。

車の運転などでは、無意識の自分が運転をしています。その間に考え事をしていても、勝手に腕が運転をしています。腕に運転を任せておくなら大丈夫になっています。

吃音とか書痙なども同じです。自動運転になる様に無意識の自分と交替が出来ているからですが、交替を拒んでいるからです。

此処からが死に対する恐怖感の説明です。

自意識は言葉を持っています、言葉とは物事を割り切って出た結論の事です。言い替えるなら有限の世界の代表作と云っても良いと思います。自意識には有限の世界しか理解する事が、出来ない機能でできていることをいみします。

それに比べるなら右脳の意識は、永遠からやって来て永遠の意味を熟知している存在です。右脳の意識『仏性』は自分が何処からやって来て、帰る時も又永遠の世界に戻って行く事を知っている存在です。

自意識が死を怖いと感じる時は、右脳の意識が、助け舟を出そうと手を差し伸べている時に、その手を遮っているからです。

その関係性が分かる時を悟と表現します、

今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった事が分かる時です。

この感覚を表現する事が出来ない事を表現して『オシが夢を見たよう』と表現しています。

この動画で語っています。URL
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生への執着。


親が死んだら子供が困らないか
自分の身を犠牲にし、
爪に火を点す様にして
お金をため、
子供の遺産として
遺す。

ただ今は
かならず結婚できるとは
限らない時代来て
子供造らぬ人目立つので
子孫に今述べたこと出来ぬのが無念。

其れなら逆に
できるだけ自分の人生の
充実化を図れないかですね。


今はとりあえずコロナを乗り越えて
100歳超えて元気で生きたいですね。
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生への執着です

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それは単なる錯覚です。


人の悲しむ(苦しむ)姿を見て、怖いと思ってしまっただけです。
約1千年前の倭寇全盛期、中国人が倭寇を捕まえて調査した記録があります。
「倭寇とは・・・甚だしきは生死の別なし・・・・」とあります。
つまり、生も死も関係ない人間が居た事になります。死ねば死後の世界へ行くだけと、考えていたと思われます。今の日本人にも僅かながら、死後の世界観はありますので、理解できるかと思いますが、この感情が強烈に強ければ、死とは別の世界へ移動するだけであって、特別に怖くは在りません。
従って、この事例から死が怖いとは、単なる錯覚、思い込みです。
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