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誰もいない森の木が倒れたら音はなるか?

有名な哲学の問だそうですがみなさんはどう思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

哲学というか量子論について述べた思考実験ですね。



量子論的な解釈をするなら、観測するまではなった状態となってない状態が重ね合わせで生じ、観測によりそれがどちらかの状態に帰着する、というのが答えです。シュレディンガーの猫と同じようなもん。しかし、そもそも誰もいないのだから、そもそも木が倒れたか否かがわからないってのが厳密な話であって、なったかなってないかは確率的には倒れたなら音は出る事象に収束するのが従来の経験的な状態変化でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

こちらの勉強不足のため後半4行がよく理解できませんでした。

お礼日時:2022/03/10 03:17

量子論を誤解している人がいるので一言


観測することでその状態が確定するのではなく観測しなければその状態を確定出来ないと言う事です。
なぜなら観測する以外確認することができないからです。
上記を踏まえて観測しなければ確認できないので確認出来ないと言う点でその事実があってもなくても変わりません
よって誰もいない=観測者がいなければ音がなるならない・木が倒れる倒れない以前にその森が存在していないと言えると言う事です
これは多分に実在論でしょうね
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この回答へのお礼

知覚していなければ存在はしていないということなのでしょうかね。

いわゆる独我論ってやつでしょうか。

お礼日時:2022/03/10 03:14

ど素人で、量子論もチンプンカンプン。



でも、音は「なる」と、思います。

「誰もいない森の木」と言う設定は、何ら「特殊な条件」を
示していない、と思う。

「森」と言う言葉、「誰も居ない」と言う状況は、
「日常の平凡な状況」であり、そこに「屁理屈」を
付け加える必要は無い、と思う。

「音はなるか?」については、結局、「音」は、
振動に過ぎないのだから、人間が存在しようが、しまいが、
「振動のエネルギー」は、影響されない。

測定する、とかしないとか、それは人間の勝手であって、
そういう「屁理屈」を言うところが、「哲学」の
「衰退」を招いている、と思う。

私は、哲学というのは、自分のような、市井の人間が、
素直に理解できるものであるべきなのに、屁理屈ばかりが
多くて、「くそ面白くもない」ものになっている、と
思っている。

無知であれば、何でも、好きなことが言える。
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この回答へのお礼

なるほど。

科学的な見方ですね。

お礼日時:2022/03/10 03:11

少し気になって、調べたら、



唯心論:バークリー唯心論:バークリー「存在するとは知覚されること」されること」

と言うのが出てきました。

流石に、アイルランド、キリスト教徒の「傲慢さ」が、
出ている。

キリスト教徒にとって、自然とは、征服するもので、
日本人の、「生かされている。」と言う考えとは、対極だ。

人間様が、「存在すると知覚してやること」が、世界の
存在を「許してやっている」と言う事だろう。

だから、「存在すると知覚出来ない音は、存在出来ない。」となる。

何という「傲慢さ」か。

私は、「お前がいても、居なくとも、倒れた木は、音を出す。」と
言いたい。

これだから、キリスト教的価値観と、それに毒された「日本哲学」は、
信用できない、と思う。
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この回答へのお礼

知覚されていないものの存在を認めるということは人間の推論能力、すなわち理性に信用を置いているということになろうかと思います。

バークリーからすればそれはそれで傲慢であると考えたのかもしれません。

お礼日時:2022/03/10 03:10

実在性を理解されていない様ですが


存在していないから観測出来ない
存在しているが目の前にいないので観測できない
観測出来ないと言う点では
「存在していない」 と言う事と「存在しているが目の前にいない」ということは同じことだということです。
よって観測するものがいない森は観測出来ないと言う点で森が存在しなのと同じだということです
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この回答へのお礼

難しいんですね。

「知覚していなければ存在はしていない」という理解では違うということですか?

お礼日時:2022/03/11 00:03

誰も居なかったら


音を聞いた人がいないから

音がなったのか?
音がなってないのか?
証明は出来ないですもんね

そもそもの音てものを認識する人が居てこその音てなはなしですね

人は他人が居てこそ人である

他人が居なきゃ、誰も人だと認識してくれないですもんね
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まさか、3回目を書くとは・・・・。



「観測できなければ、存在しない」???

理解できません。

自然科学のあらゆる法則は、
「人間が存在しようが、しまいが」、
そこに「存在」する。

人間は、そこにあるものを、「確認」するだけだ。

人類が、この地球に存在しようが、死滅しようが、
「水」は地球上に存在し、人類の存在に、「影響を受けない。」

人間は、それを「水」と認識しただけだ。

音も同じ。

「誰もいない森の木が倒れたら音はなるか?」と言う
設定では、「観測」なんて言葉は出てこない。

音は「振動」に過ぎず、この設定では、音はなる。

ただ、人間は存在せず、それが認識できないだけだ。

人間が「認識できない」事が、「存在しない事」だというのは、
人間のおごりだろうと思う。

この宇宙で、人間が認識できるものは、1%もあるのだろうか?

そのとき、人間は、「認識できないから、存在しない。」と
平気で言うのだろうか?

たたの「観念論」に思える。

どうして、そう「屁理屈」をこねるのだろうか?
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みみみみみさんおはようございます。


 誰もいない森の木がなくなくなくなくはなくなくなくないですよね?『https://en.wikipedia.org/wiki/If_a_tree_falls_in …』さんがあります。折伏に挑戦です。引用が「; the trees therefore are in the garden... no longer than while there is somebody by to perceive them.」です。その木は従って庭にあります。その木は次の間よりも長くはあらないです。そこに誰かがいてこれらの木を認識することによってです。『隻手の声』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7866712.htmlさんがあります。『音を持たない言葉』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12289812.htmlさんがあります。文を読んだときに理解した事柄が頭の中に順次生まれていきます。誰もいない森を想像する誰かがいます。倒れる木が地面とぶつかって音が出ます。『英語の否定文の脳内処理』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9010698.htmlさんが面白かったです。『隻手』https://genyu-sokyu.com/essay/20220101sumiさんがよかったです。『ウクライナ◯争を語る02/渡辺惣樹先生と対談』

があります。『神は完全であるがゆえに存在するのか』https://www.nagaitoshiya.com/ja/2011/ontological …さんより引用の「原始的な宗教の段階では、神は現実的対象であったが、時代とともに自らの具象性を抹殺してきた。ユダヤ教以降の父権宗教では、神は、現実的対象であることを否定し、具象性を完全に失うことで、普遍的な媒介者となっている。」がよかったです。『多重実現可能なものの例をあげてください。』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12381620.htmlさんがよかったです。『アートマン(私)は存在しない?!by釈迦』https://note.com/kagakutorasan/n/nee29f05f85eaさんは「ヤージュニャヴァルキヤのめちゃくちゃ偉大なところは、「私とは、認識するもの(認識主体)である。」と、定義したことです。これは、どんな凶悪な懐疑にも耐えられる「真理」です。
しかし、同時にこうも言っています。
「認識するものを認識することは絶対にできない」」と言います。仏国土です。国土は十界の衆生が住むところです。世間が差別です。一念三千です。世間が3つあります。国土を3つの世間が4つに分けます。10種類の衆生がいます。その1種類が仏です。他には修羅とか餓鬼とか9種類あります。仏の住む場所が仏国土です。仏国土は常寂光土です。錯覚があります。Anil Seth『Your brain hallucinates your conscious reality』https://www.ted.com/talks/anil_seth_your_brain_h …さんがあります。


寝具さんおはようございます。
無何梨さんおはようございます。
らめぇさんおはようございます。
 物が大きいです。量子力学が関係ないです。1個の電子が自分自身と干渉して干渉縞を作ります。『1つスリット実験』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12822972.htmlさんが面白かったです。
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「誰もいない森の木が倒れたら音はなるか?」



これはGeorge Berkeley (1685-1753)の提議した命題でしたね。
彼の主張は、すべての実在は「心因」的なものだととらえたのですよ。
ですから唯心論の主張です。

でも、これってすごく思い上がりの議論ですよね。
人間が存在していなければ、全てのものが存在しないという事です。
人間の歴史はたかだか500万年、宇宙の歴史でいえば瞬間でしかありません。
彼の議論でいえば人類が生まれるまでは何もなかったということになります。

結論から言うと音は当然なるでしょう。
音の実態は空気の振動です。
森の木が倒れたら当然そこに音は生じているはずです。
ただ音がなったことを誰も観測しなかったというだけですね。
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>「知覚していなければ存在はしていない」という理解では違うということですか?



人が知覚するかどうかが重要なのではなくて、その事象が確定するに十分な状況が存在するかどうかがその事象が起きたことが確定したかを決めるということです。例えば、Aさんが見た現象をBさんに伝える前の時点では、Aさんの中で答えは出てますがBさんの中では答えが出てないからその現象の存在はBさんの認知の問題だという言い方は厳密には違います。ただ、Aさんが見た現象をAさんがどう判断してそれをBさんにどう伝えるかという事象はBさんに情報が伝わるまえの段階では確定事象ではないのでそれまでの事象としてはどちらも一定の確率論としてどちらも存在するのです。つまり、事実としては確定してないのであって、Bさんの認知の問題ではありません。

マクロなレベルでの現象の話をすると実際は複雑すぎて実際は限りなく特定の現象が固定される次元の物事に収束してますが(=すなわちBの観察という事実だけが独立して議論されており実際生じた結果起きるあらゆる物事の影響は生じているから現象自体が自然科学で”絶対的”な事実として残り、限りなくBの認知の問題に置き換わる)、その結果非常にややこしいことになります。しかし、量子レベルの議論になるとその辺の話が顕著になるのでその結果「木が倒れたかどうか、倒れたが音がなったかならなかった場合」などのあらゆるケースが確率的な現象として記述できる程度に”重ね合わせ”で存在することになります。

哲学的な”認知”や”人間の思考限界”の話はまた変わって来ますけど(現象論などの分野)、少なくとも自然科学的にはそれそのものが実態で、確定してない現象は確率論的に理解すること自体が真実だという認識で概ね解釈されてると思います。
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