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働きアリの法則

働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリに変わり全体としてはまた2:6:2の分担になる。
よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

このように働きアリたちの割合は結局は2:6:2に落ち着くのだそうです。
もし働きアリたちが人間の言葉を理解できるとして「なぜおまえたち蟻は2:6:2になってしまうのか?」と質問したらアリたちは何と答えるだろうか「よくは分からないがそれは理だろう、そのようにしか考えられないものなのだよ、そしてそれは正しいのだ」と言うかもしれない。

勿論常識的に考えれば2:6:2になることが一番種族保存に適うからそのような法則になったのだろう。
アリたちはそのほか卵の世話をすることも正しいし、餌を運んでくるのも正しい事だと分かっている。このように考えれば私たちも同じ動物である限りにおいて群れ仲間の保存、いわゆる種族保存に適うことをすべて正しいと言うのではないだろうか。つまり種族保存こそが絶対善であり、それに適うことを私たちは「正しい」と言っているのだと思うが、皆さんはいかが思われますか?

A 回答 (17件中1~10件)

全生物が種族保存で生きていましたが、近世代高等文明を持った人類は種族保存を是としないことを平等といい人権と称し法制化してますね。


私も異存ありません。
なので江戸時代頃までは人類を含め全生物が種族保存を正だったのでしょう。
水槽で群れる中でいじめる魚を排除すると他の子がいじめっ子になる。
これも種族保存なのかな。
興味ぶかいね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
平等は何のためにあるのか? その群れ仲間が存続しやすいため。アリストテレスは正義とは平等であると言った。それはみんなに平等に分け与えればそれが一番群れ仲間が存続できるからだ。
人権は何故作られたのか? その群れ仲間が存続しやすいためだ。
憲法は何のためにあるのか? それも群れ仲間が存続しやすいためだ。
思想、哲学は何のためにあるのか? それもまたみんなが安心して幸せに暮らせる為にあるのだ。
本能は何のためにあるのか? 群れ仲間の存続の為にあるのだ。
このように私たちが「善い、正しい」と思うものは全て群れ仲間の存続、みんなの安心幸せの為になるからこそ存在しているのだ。例外はない、それは絶対なのだ。それは間違いだと言うならば、皆さんが「これは善いものである」と言うもので「みんなの安心・幸せの為」でないものを何か一つでも挙げてほしい。しかしそんなものはないのだ。あらゆる善いものは全て群れ仲間の存続、それは「みんなが安心して幸せに暮らせる事の為」にあるのだ。つまり逆から言えば「種族保存、みんなの安心幸せの為」に合致するものは全て善い、正しいと言えるのだ。

>水槽で群れる中でいじめる魚を排除すると他の子がいじめっ子になる。これも種族保存なのかな。
その通りだ。それが一番群れ仲間の存続になるからそのようなシステムになっているのだ。あなたは魚たちに対して自信を持って「それは間違っている!」と言えるのだろうか? 私たち人間の理性では理不尽のように思うかもしれないがそれこそが生物たちにとって一番存続できる方法だからそうなっているのだ。人間の理性など本能に比べれば屁の様なものである。そしてその屁の様なものは臭いのである。

お礼日時:2022/03/24 06:47

自分の使う言葉の定義を厳密にすることだ話はまずそこから

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

それでは貴方に問う「定義」と言う言葉の意味は何でしょうか? 善を定義する、とは善のイデア=絶対善を示すことです。また三角形と言う言葉のイデアは「内角の和が180度」と言うことです。「内角の和が180度」であるものは全て三角形と言えるのです。これは絶対です。全てのイデアは絶対なのです。ですから「三角形の定義は内角の和が180度です」と私たちは教わるのです。
これと同じで絶対善、善のイデアである「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」に合致することはすべて「善い、正しい」と言えるのです。私の言う事に何の矛盾がありましょうや。

お礼日時:2022/03/24 06:49

アリ~はそんな事考えてねーぞ


イワシの群れやバッタの群れと人間の群れと同じにするな

生命を委縮させ恐怖を与え、生命を手段に量産し、
絶望の中生きているだけで絶対善か???寝言言うな

善と悪とは「実体」ではない。どこまでも「関係」の概念です。
ゆえに、一人の人間がはじめから善人であるとか、
悪人であるとか決めることはできない。
「善人でも大善に反対すれば直ち悪に陥り、
悪人でも大悪に反対すれば忽に善になる」
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>「善人でも大善に反対すれば直ち悪に陥り、悪人でも大悪に反対すれば忽に善になる」

貴方に問うが、善人、大善とは何で、悪人、大悪とは何なのですか? つまり善悪とは何ですか? それが分からずに何故「「善人でも大善に反対すれば・・・・」と言えるのですか? 自分の発言に対して矛盾だとは思いませんか。

お礼日時:2022/03/25 06:26

つまり種族保存こそが絶対善であり、それに適うことを


私たちは「正しい」と言っているのだと思う
 ↑
その通りですが、それは生物的
意味での正しさですね。

いわば、本能としての正しさです。

しかし、人間は前頭葉が異常に
発達し、本能の一部が壊れた動物です。

生物的意味の正しさでは、満足
出来ない場合があります。

生存を掛けて異種族が争った
場合はどうなるのでしょう。

正と正の戦いになりますが
それは全体として正なのでしょうか。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>生物的意味の正しさでは、満足出来ない場合があります。

本能的なものを善と言いう、理性的なものを正しいと言う。しかしその理性によって考えられた正しさも本能的善が元になっているのだ。善無くして正しいは考えられないものだ。


>生存を掛けて異種族が争った場合はどうなるのでしょう。

私は善の定義は「私より公を優先すること」と見つけた。つまり愛や思いやりだ。敵に対して思いやりをやれば自分たちは滅びてしまう。だから敵に対しての善はないのだ。
善とは本来群れ仲間の保存の為にあるのだ。だから種族保存の戦いはどちらも善であり悪はない。
しかし人間の戦いは私欲の戦いは悪なのだ。自分たちが十分に種族保存ができるにもかかわらず敵を滅ぼそうとすることは悪なのだよ。
本来ならば今回のロシアとウクライナの戦争はどちらに分があるのかを国連でとことん話し合って世界で決めればいいのだ。しかし世界はまだ仲間ではない、ゆえに世界でこちらが正しいと決めたとしても負けた国は妥協しないならば戦争となるのだ。だからね善は常に仲間の内でなければ機能しないのだ。

お礼日時:2022/03/25 06:38

nno.2.


主張する側であるお前さんがまず説明しろ。
自分の主張の裏付けを相手に質問返しで逃げるのがお前さんの一番駄目な所。
ダメなところを全部あげたらきりがないから以下省略。
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種族保存が絶対善なら


人間社会が、こんなに解りにくい世の中にはなってないよ

てな事実から、絶対善ではないと思うよ

種族のために社会のために個を完全犠牲に出来ないのが人間だもんね

また、社会や世の中なので、個の完全犠牲を求めるような状態は
異常だとしか言えないけどね

いじめで自殺に追い込むのとかって
個の完全犠牲を求めてますもんね
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>種族のために社会のために個を完全犠牲に出来ないのが人間だもんね

今、ウクライナは種族保存、群れ仲間の保存の為に自分を捨てて戦っているではないか。一般人も銃をとり戦い死んでいるではないか。


>いじめで自殺に追い込むのとかって個の完全犠牲を求めてますもんね

誰が求めているんだい。いじめで自殺する人が多くなれば種族保存に反するではないか。

お礼日時:2022/03/25 20:30

ウクライナで個を犠牲にできるなら


降伏して、ウクライナってな個を放棄するんじゃないかな?
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いじめで自殺に追い込むのは


事実だよ

自殺した人の被害妄想かも?知れないけど
葬式ごっこ
調べたらわかるよ
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種族保存が絶対善だとするならば、回答№4・tanzouさんが云う生物的意味に於いて、ですね。



shinさんは、人間は動物でしかない、との考えなのですか?
動物としての行為・行動をしていれば良い、との考えですか?

他の動物には無い、理性と霊性を備えた人間は不要だった・無駄である、との考えですか?

人間が備える理性からは、種族保存が“絶対善”との解釈は生まれない、ように思うのですが。

そもそも、絶対善なるものが、この世に有るのでしょうか?
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>人間が備える理性からは、種族保存が“絶対善”との解釈は生まれない、ように思うのですが。

人間も動物であり種族保存は絶対です。あらゆる生物にとって群れ仲間を維持することは絶対善なのです。人間も例外ではありません。善とは本能的なものであり理性で考えられたものが法律などの正しさです。しかしその理性的正しさも本能的善が元になっているのです。
法律は正しい、その根拠は「みんなの安心幸せの為」なのです。「みんなの安心幸せ」は群れ仲間の保存の為に必要なのです。

お礼日時:2022/03/26 19:53

アリの社会における2:6:2の法則が、アリという生物種の種族保存の目的のためのみにあるということの根拠が不十分であると思います。



あるいは、もっと広く、生物界全体のバランスの為に「ある」ということも考えられます。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>アリの社会における2:6:2の法則が、アリという生物種の種族保存の目的のためのみにあるということの根拠が不十分であると思います。

それ以外何があるのですか。本能は自己保存、種族保存の為にあるのです。

>あるいは、もっと広く、生物界全体のバランスの為に「ある」ということも考えられます。
その根拠は何ですか?

お礼日時:2022/03/26 19:55

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