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「彼女のアニメ作品には、いつも胸を打たれるものがある」という文には、「胸を打たれる」の主語は必ず「私」であるか?それとも「読者たち」のような三人称でも良いのか?つまり、その文の意味は「私が胸を打たれる」であるか?「読者たちが胸を打たれる」であるか?教えていただけないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 皆さんのおかげで、ようやく分かりました、皆さんのご説明誠にありがとうございました

      補足日時:2022/03/29 11:10

A 回答 (6件)

これだけ読んだら



(私は)彼女のアニメ作品には、いつも(私の)胸を打たれるものがある(と思う)
なら文章を書いている人の受け身としてあり。
この場合は対象は私のみ。

この文章の主語がアニメ作品なので読者達が対象なら
受け身の“られる”だとおかしい。

彼女のアニメ作品には、いつも(読者達の)胸を“打つ”ものがある。
この文章なら私の胸とも読者達の胸ともとれる。
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前後の文脈次第で以下の3通りが想定できます。



1.私
2.読者たち
3.私を含めた読者たち
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主語は「ものが」、述語は「ある」


解釈の仕方としては、「・・・・と私は思う」がついて主語が「私は」になる。
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それだけでは判断出来ません。

「私」「みんな」、もっというなら三人称「山田さん」である可能性もあります。「山田は山田尚子監督が好きだ。彼女のアニメ作品には、いつも胸を打たれるものがある」となっていれば「胸を打たれる」のは山田ということになります。

「彼女のアニメ作品には、いつも胸を打たれるものがある」という文1ついきなり見せられたなら、「私(言ってる本人)」をイメージする人が多いかもしれません。でもあくまで勝手なイメージであって、「みんな」だとしてもおかしくはないです。
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「私」または「私たち」で、「私たち」は「we」、つまり一人称複数です。

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断言しているのなら、ほぼ、話者が主語でしようね。


なぜ“ほぼ”なのかと言うと、文章作法に鈍感な人がいないとも限らないからです。

「胸打たれる事でしょう」ならおおかた読者が主語でしょう。
なぜ“おおかた”なのかと言うと、話者が未見の作品について語っている場合があるからです。
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