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ペドフィリアと呼ばれる人が一定数存在します。私は子どもが好きです。しかし、それは一般的に好きであってペドとは違い、ただ純粋に可愛らしいと思います。間違っても性の対象には決してなりません。しかし、世の中
にはそういった子供を性の対象にする人がいます。善人、悪人の問題でなく、で性の嗜好であるので、仕方がないような気もしますが、率直に意見を述べると、気持ち悪いしそのような人を軽蔑してしまいます。
本題は、自分は本当にペドフィリアではないというら確信が欲しいです。私は、強迫性障害、加害恐怖、懺悔恐怖があります。自分がいつしか、とてつもない犯罪を犯すのではないか、もう犯したのではないかとビクビク怯えています。一般的には理解し難いかもしれませんが、そういう病気のようです。今はペドフィリア、小児性愛にその病気が執着しております。どんなことがあっても性犯罪者だけにはなりたくないです。そのようなことをずっと考えると、もしかすると自分はペドフィリアかもしれないという観念に囚われてしまいます。この病気について詳しい方、克服のためのアドバイスください

A 回答 (1件)

自分で違うと断定しているのに、それを克服なんて出来ませんよ(笑)



法律ってのは、人同士がトラブルのない生活が送れるように、
人が勝手に作ったルールであり、本能を無視しております。
なので、本能を抑止する倫理を強く植え付けるのが一般的。
おそらく、一般人は、
目上の者(親/教師/上司/先輩など)幼い頃から植え付けたり、間接的にも(マスコミ/友人など)学んでいると思います。

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私の父親は、ニュースで犯罪者が出るたびに、「この親が可哀想」と嘆いていました。
確かに、被害者が一番可哀想なので、本来の第一声は「酷い」とか「この被害者は可哀想」ってのが定番だと思いますが、
そうやって身内も被害者って事を間接的に、私に教育していたので、「犯罪なんて絶対にやってはいけない」って事を洗脳されちゃいました。

犯罪の妄想はも言論も自由なのですが、
その妄想が過ぎると、脳が麻痺して実行してしまう犯罪者も居るでしょうし、
そんなキャラにもなってりますので、
妄想をも禁止にしたり、接触をも禁止にした方が良いのかもしれませんね。

それと、「類は友を呼ぶ」とか、個人では弱いのに集団では集団心理で調子にのってしまう事もあるので、仲間を選ぶ事も大事です。
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