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既成宗教における神はまず第1に非知、非経験であることが基本ですよね。
ところが同時に既成宗教における神は例外なく人格を持ちます。
それどころか神の子イエス・キリストまでいます。
なぜ非知、非経験であるはずの神が人格を持っているのか?
またなぜ非知、非経験であるはずの神に神の子イエス・キリストがいるのか?
説明してください。

A 回答 (11件中11~11件)

すでに直近の質問と答えでで済んでいます。



★★ 【Q:神について議論することはいい加減止めましょー】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12904126.html

☆☆ (同上ANo.9) ~~~~~~~~~~~~
1. はじめに 神は 人知を超えており 超自然および超経験です。これを《非知》または《非経験の場ないしチカラ》と呼んでいます。

2. 別様に概念として説明するなら 神は 無限で絶対性としてあることを意味しますから 有限で相対的なこの経験世界にもとづく言葉(≒概念)では 表わし得ません。



3. そこで それでも神について人間は――あるいは貪欲な哲学は――推考をめぐらし何とか捉えようとしますし さらには一たん想定した仮説理論に立って思考を展開します。

4. 神についていろいろ忖度するということですが あらためて神については 絶対性であり 相対的な存在である人間とは 絶対のへだたりがあります。


5. ところが この絶対性なる神は 相対存在である人間を――とうぜんのごとく―― つつみふくみます。

6. となると たとえば経験事象として《有る無い》といった規定は 神がそれを超えているということにおいて 包含することにもなる。言いかえると 神は――表現として―― 《有る》とも《無い》とも互いに同時に言える・・・かも知れない。



7. 同じくたとえば相対世界における《因果関係》 これも神は超えている。と同時に 含み持っていると言えるかも知れない。

8. 言いかえるなら 神は 経験世界における原因と結果との関係過程からまったく自由であると同時に その過程に介在しうる・・・と言えるまでになる。




9. ここから 神について――言わばその派生的な属性として―― あたかも人間と同じように《意志を持つ》と思い描くことが生じる。

9-1. つまりは 神を人格化して捉える。擬人化した神についてのあたかも物語が つむがれるまでになる。聖書・創世記です。


10. ひとは 経験世界における現象・出来事について あたかも神の意志が反映していると捉えるまでになる。摂理といった考え方です。




11. このような忖度による神観は それとしてその人の主観内面で持たれるまでは 自由だと考えられるのです。

11-1. それをオシへとしあたかもそれが神であるとして説くシュウキョウになると アウトです。


12. 言いかえると 神についての物語は――そしてオシへをその経験思想として制限して保つかぎりそのオシへも―― 信仰から得た産物であり 扱いようによっては 神を仮りに指し示す指として機能しているかも知れない。正解たる神へとみちびくために引いた補助線であるかも知れない。



13. 以上のような事情と背景において 神の擬人化や意志を持つ神の像などが 持たれて来ている。――こう理解してください。と考えますが どうでしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ なおそれにつづく回答№10をも参照してみてください。
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この回答へのお礼

>9-1. つまりは 神を人格化して捉える。

神を人格化したいのであれば、非知、非経験から始める必要はありません。
人格を備えた超常現象として始めればそれで十分です。

お礼日時:2022/04/23 21:50

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