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東日本大震災以前にも津波で被害が拡大した例はありました。
その典型例が日本海中部地震(83年5月26日発生、104人)、北海道南西沖地震(93年7月12日発生、202人)です。とくに後者は、奥尻町を壊滅寸前まで追い詰めた地震です。
なのになぜ、津波の教訓を生かせなかったのですか。どちらも歴史に埋没された感があります。
今でこそ、津波の被害がクローズアップされて、津波は怖いよと小学校のうちから教わりますが、東日本大震災が起きるまではあまり無関心だったのはなぜでしょうか。
さらに、もう少し、言うと、日本海中部地震より、北海道南西沖地震のほうがさらに扱いが悪いです。
なぜなら、2年足らずで阪神淡路大震災が発生したからです。ただ、こちらは、都市型、直下型地震で、上の3つとは全くタイプが異なります。
しかし、東日本大震災は現実は戦後最悪になってしまった。
当時の東北地方の人たちは、阪神淡路大震災の被害の教訓がほぼ完全に生かされたこと、揺れ自体の被害があまりにも軽微すぎたために油断したきらいがあります。
そこが被害を甚大化させたのです。死者が5桁を突破するという記録の中では前代未聞の地震が起きてしまったのです。
今は津波への意識が高まっています。今こそ、日本海中部地震や、北海道南西沖地震のことを知っている世代は若い世代へ語り継ぎ、若い世代は知る努力をする必要があると思います。

質問者からの補足コメント

  • では、あなたは福島を市の町と発言した鉢呂吉雄元経済産業層を擁護するおつもりですか。あなたの言っていることはそれを肯定することになります。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/06/14 08:28
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A 回答 (4件)

では貴方は、私が批判した東電原発政策の親玉である政府を擁護し肯定するのか?



私は教訓を生かさない東電を大馬鹿者として、その親玉の馬鹿さ加減を合わせて批判した。

補足の政治家が何を言ったかは知らない。
私が批判した大馬鹿政府の一員が何を言ったか知らないし、今さら知るつもりも無いから擁護も肯定もしようが無い。


改めて答えるが、
教訓を生かさない東電の甘い想定が、福島の住民に何かしらの誤解を与えていただろうと、私は思っている。
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過去の教訓は残っている。



その教訓が限度と勘違いする大馬鹿者がいる。

教訓は活かされてこそ意味が有る。
それを活かさぬ馬鹿者がいる限り、教訓は意味を成さない。

教訓を活かさぬ東京の馬鹿者が、東北の被害を更に大きくした。
…原発で死者は増えなかったと言い切るなら話は別だが。

原発が正確な想定を行っていれば、自治体の対策も違っていた筈。
この回答への補足あり
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どうしても「想定外」になってしまうことがあります。

はっきり言ってしまえば、対処は不可能だからです。

最高40.5メートル。当時は最高と謳われた10mの堤防も意味がなかったのです。

過去にアメリカ西海岸で想像を絶する大地震が起き、大津波が襲った時には暫く沿岸部に誰も戻らず住むことがなかった…、などと言われています。歴史上において、世界では100メートル級の巨大津波に襲われたこともあります。

近年のものだと1700年の米西海岸カスケード地震が有名です。
https://wikipredia.net/ja/1700_Cascadia_earthquake

そもそも人類の知的レベルでの都市計画や居住エリア選択はじめ論外で、襲ってくださいと言っているようなものです。コストにも見合いません。1000年単位の大きなスパンでは、必ず大地震と大津波に襲われる他にないというのに…。

例えば100メートル級の堤防を作って日本列島を完全に囲うとして、現状の方法では高さだけ積み上げても薄過ぎて大津波の場合は水圧に耐えられず崩壊して浸水してしまいますし、日照権など諸問題も出て、結局は堤防周辺にも住めなくなります。

また仮に人工の山を作って陸地を囲う方法を考えましょう。そうなると盆地よろしく気候変動を人工的に起こすような問題ですし、そこを「想定外」で突破する大津波に襲われた場合に排水もなされない話になってしまいますし、大津波で人工ダムよろしく大きな湖ができますね。

そして予算は幾ら?復興予算の方が安いのでは…、結局は「想定外」で作るほど予算が復興面でも莫大に膨れ上がるんですよ。常識的に自然とお付き合いする他ないですね。
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なぜか?というと


それまで太平洋側での津波は、津波警報が出す予想よりも低いことが多く、波高1m以上のものはほとんどなかったから、です。

また宮城県沖は元々地震が多く、津波警報もよく出ていた場所で「地震に対しての津波の大きさ」という認識がそれほど大きくなかったのです。

しかし東日本大震災は、一つの地震、ではなく地震が連鎖して起きマグニチュード9.0と共に継続時間が6分もある超大型地震で、その結果津波もけた外れの波高と何度も継続的に津波が襲うという事態になったのです。

地震直後の現地の人たちからすれば「東北の太平洋沿岸がすべて揺れるような地震だった」という認識は持ちにくく、そのため津波からの避難が遅れたこと、津波の高さがあまりにも高く、そして遠くまで到達したことなどがあげられます。

たとえばもっとも被害が大きかった宮城県女川町は最高波高が20mに達したとされていて、4階建ての建物が完全に水没しています。
 このような津波を想定できる理由は当時存在しませんでした。(歴史的な考証はありましたが、あの日・あの時にそうなると想定できた人はほとんどいません)

また波高が高くなんども押し寄せる津波は内陸のかなりのところまで入り込み、自動車に乗っていた人や歩行者などを飲み込んでいきました。

津波がどのくらい内陸に入り込んだかというと、たとえば仙台では「仙台東部道路」の盛土が津波をせき止めて、それ以上の侵入を防いだのですが、この道路は大体海岸から3km程度内陸であり、逆にいえば「海岸から3キロ内陸までの人・自動車・建物は津波の被害を受けた」ということです。

これほど津波が内陸に入り込む想定もできなかったし、またこの地域では道路までの間に高い建物や高い丘陵などがほとんどないので、3キロ以上の距離を逃げることはかなり困難であったことも被害を大きくした理由です。
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