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このような問いをしてみたくなったのは、原始時代の人間に現代人の様な美醜は無かったのではないかと“ふと”思ったからです。

請う、ご意見・ご感想。

質問者からの補足コメント

  • 今回はニャンポコさんの再回答を期待していたのですが、、、

    残念。

      補足日時:2022/06/24 11:40

A 回答 (9件)

原始時代の人が言うたわけでもなく


当の本人が思ったから言うたわけで
いずれも宗教派生の言葉ですよね。
「原始時代」は関係ありません。

いうても原始のほうが野蛮ですし
美醜はそれなりに溢れていたと思います。
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この回答へのお礼

野蛮が影を潜め、理性が台頭してきたのはなぜ?
人間の容貌も、それに伴って変化してきたのでは?

こんなことを考えていると、輪廻や因果の“法則”が否定できなくなります。

容貌は心的表現が、顕著だと思いませんか?

お礼日時:2022/06/22 09:03

心と見える身体が繋がってるから・・



心に ゆとりがあれば 顔も 穏やかになる・・

原始人には 今の様な ゆとりは無かった・
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この回答へのお礼

原始人は動物性が人間性を上回っていたはず。

そう思うと、動物的ゆとりの顔は持っていたように思います。

だから、現代の理性的ゆとりの表情は“まだ”、と云いたい。

お礼日時:2022/06/22 09:10

1. 次のようにびみょうな反対意見を述べます。



2. 
★ 輪廻転生
☆ は もし同じ人が一度死んでふたたび同じ人として生まれ変わることだとすれば それは 同じDNAを持った人が過去にはいないからには これまでに現実に起こったことはありません。論外です。


3. 
★ 因果応報
☆ は 因果応報という仮説です。ものごとの因果関係に規則性を捉えたという自然科学的な因果の法則とは 別です。

4. 経験事象が因果の法則に則って現象することについて それとは別に・それらの事象の上に人びとの意志行為が関係していると見なす思想的な見解です。
祟りといったものの見方が 典型です。

5. つまりおそらく:
★ 現代人の美醜が古代人より顕著であると思えば
☆ といった美学の問題だとするならばそれは 神がどう振る舞うかをめぐる神観にかかわる――つまりは 真理いかんや善悪を問うところの――おのおの主観の問題だと考えられます。じっさい 善因善果・悪因悪果などというのが 仮説の内容です。




6. けれども 因果応報の説は 実証されていず 実証されるかされないかが論証できないたぐいの思想です。主観的な神観――または 特殊絶対性――として規定されます。

7. 雷に当たったという原因で身体機能が壊され死んだという結果が生じたと見るのは 物理的な事実であり因果律です。

そしてその上に 生前その死んだ人は或る人に不当な処遇をおこなったという事実があってこれを 突然死という結果の原因であると見るのが 応報の説です。つまり 祟りです。



8. つまり・ただし 因果応報説は 論理に飛躍があります。主観的な・また気持ちの上で多くの人の共感を得ることのある考えです。

9. 
★ 因果応報の真偽は、現代人の美醜が古代人より顕著であると思えば、これを信じざるを得ない。
☆ という見方は 良心・信教の自由にもとづき 自由でありしかもその自由までの思想です。

10. 信じるための根拠が 反論の余地なしとなれば別ですが そうでないと考えられますから 信じることはできないというもう一方の見方をも 許容する心の寛さが 大事だと思います。


11. プーチンやシーチンピンについて因果応報説を当てはめて捉えたい気持ちが湧き起こる と同時にそのほかに 互いにまったく同等・対等の存在としてゐやまひつつ 自由な意見を交わしてゆくことが 大事だとなる・そのようなたぐいの問題ではないかと。


12. ひょっとしてわが気持ちのままを言わせていただくなら この自由で対等な――存在としての――立ち場を実践することが出来たなら・そしてそのような人びとが多く輩出してくるならば ひょっとして因果応報なる愛の鞭はくだって来るかも。――あまいかなぁ。
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この回答へのお礼

輪廻や因果に付いては、捉え方が違うと思います。

「個」そのものが、そっくりそのまま生まれ変わったり、果を受けたりすると云うようには、捉えていません。

肉体が滅びるように、精神も滅びるのだと思います。
でも、骨が残るように精神も残る“部分”があるのでは?

これが、いわゆる霊魂と云う奴で、心の種となるように思います。

霊魂=私、ではないと思います。

お礼日時:2022/06/22 09:19

輪廻転生


生命に限らず、すべての存在は無くならないのです
目の前にあるものが粉々になって飛び散ったら
存在しなくなるのか、そんなことはない、
粉々になって存在するのです
存在の反対は無ではない、存在の反対も存在なのです
生命とて同じです、死んだ状態で存在しているのです
すなわち、すべての存在と同じように、生命も再生するのです、

因果応報は
科学であり、道理であり、数学であり、法則です
あの世は証明できないのと同じに
あの世が無いと証明できませんよ、ね
しかし
科学の原因と結果の法則、物質不滅の法則
質量不滅の法則、エネルギー不滅の法則
からすると、
死んでも無にはならない、チャラにならない
と想像できますよね
因果応報を信ずれば、今の人生、正直に一生懸命生きますね
社会の安定、犯罪防止に役立ちますね。

美醜の感覚器は古代人とて同じです
脳が喜ぶか、脳が拒否するかです
ただ、その境涯により差が出てくるのです
同じ芸術を見ても
感受性の低い人と高い人で違うし
深い哲学のある人や知識と経験のある人と、
ただ無意味に生きてる人と、感じ方は違うのです
ピカソの絵を醜いと感じる人もいます
何の価値もなない駄作を褒め称えるアホもいます
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この回答へのお礼

輪廻と因果の積み重ねによって、現代人の美醜が顕著になった、と云うように捉えています。

お礼日時:2022/06/22 09:23

面白い視点ですね。

でも、ちょっと苦しいですかね。

現代人は容姿の美醜に囚われ、苦しむ人が多いから、その因は人間の悪行によるものである、ということですね?

原始時代はおそらく、美醜には今ほどとらわれていなかったとは考えられます。生きること自体にほとんどの時間を費やし、外敵から身を守ることで頭がいっぱいであったろうと思います。

形の良さよりも、男なら体の大きさ、女なら太っていて健康そうな人が美しいとされていたのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

苦しくは無いのでは?

質問の意図を受け止めていただきました。
有り難うございます。

ところで、輪廻と因果が関わる、と云う事へのお考えは?

お礼日時:2022/06/22 09:32

ホモ・サピエンスが生き残って、ネアンデルタール人が滅んだ、のは何故か?


ホモ・サピエンスは他の生き物と一対一では戦えない弱い存在であった。
だから、大きな集団を作ることで生き延びることができた。
集団を作る能力はあった。言語や歩行や物々交換の為の物を作る為の知能や手先の器用さなどです。
もっとも、重要なのは弱さ。

美醜とは、相手の警戒を緩めて、コミュニケーションをしやすくする為に発達した。
残念ながら、此処でも、因果律しか成り立たない。
しかし、良いことをすれば自分の心は豊かになって、明るく生きられるのは事実であることから、因果応報は主観に於いての心の状態としては、真実と言えるでしょう。
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この回答へのお礼

重要なのは弱さ。

成る程。
これが理性を発達させたのですね。

お礼日時:2022/06/22 09:36

そう思うと、動物的ゆとりの顔は持っていたように思います」←そうですか



初歩的な部分から あなたが間違ってるだけだと思いますよ
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この回答へのお礼

その間違っているところを、指摘してください。

お礼日時:2022/06/22 09:34

その間違っているところを、指摘してください」←あなたには無理



これには進化論否定が必要なので・・

「動物から人間に進化したのでは無く 初めから 進化過程は決まってた・・」・・と 考えられる人で無いと分からない・・

・・・・・・・・・・・・・・・
人間が物を作る時 頭の中には既に完成図があり 材料を揃え 各行程を経て 頭の中に描いた物が実体化する・・

神も これと同じ事を しただけ・・

進化論は 最初と最後を省略し 行程だけを論じたもの・・
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この回答へのお礼

お返事を有り難うございます。

わたしには無理でした。

お礼日時:2022/06/22 09:45

★ (№3お礼欄) ~~~~~~~~~~


・・・
肉体が滅びるように、精神も滅びるのだと思います。
でも、骨が残るように精神も残る“部分”があるのでは?

これが、いわゆる霊魂と云う奴で、心の種となるように思います。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 特殊な神観として 因果応報説が――その主観内において――否定され切らないでのこるのは 確かにこの:
★ いわゆる霊魂と云う奴
☆ であり または 生命性のことだと わたしも考えます。


つまりあるいは ものごとの事実についての因果の法則が人間の意志にもかかわって――《個》としてであろうと一定の社会としてであろうと かかわって――良し悪しや美醜をふくめた心の問題をめぐる応報として捉えられるるのは それは まさにこの心霊体ないし生命性のチカラによるのだと考えざるを得ません。



★ 輪廻や因果に付いては、捉え方が違うと思
☆ えないのですが。
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この回答へのお礼

ブラジュロンヌさんがよく使う「ビミョウ」に違う様に思うのですが、そこをうまく把握出来ないでいます。

お礼日時:2022/06/24 11:38

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