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最早、整形は芸術であるようです。

私などはもう古い世代に入っていまして、私たち以上の年代ではナチュラルに感じられるものはともかく、そう思えないものも多く、痛々しくもあり、不自然さも感じ、冒涜に近い感情もありで、あまり賛同はできない人が多いのではないかと思います。

勿論世代でキッチリ分けられませんが、好ましいと思わない人と、思う人との違いは何だと思いますか?哲学的に思想的に感覚的に。

A 回答 (15件中11~15件)

不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。

外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。不気味の谷理論とも。元は、ロボットの人間に似せた造形に対する人間の感情的反応に関して提唱された。
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この回答へのお礼

不気味の谷ですか。

この理論を提唱された森正弘博士は昭和2年のお生まれだそうです。その世代の感覚と戦後生まれの感覚と、また令和生まれの感覚…「生命」に対する感覚は随分異なっている可能性があると思います。
ですから、将来は不気味の谷の一点がかなり変動してゆくのではないかとも思いました。

整形をした顔に対する嫌悪の念も、生命に対する感覚を元に生まれてくるのであろうと思いますので、やはり、変化してゆくのでしょうね。

お礼日時:2022/07/08 11:33

人間、見かけや格好で判断してはいけません 大切なのは外見です あいや



問題は中身です。若い頃はファッションに憧れていきなりチルチルパーマや

いっそ成形する人も居るでしょう しかし

「心頭髪膚これ父母に受く 敢えて棄損せざるは孝の初め成り」

と言う儒教の教えを尊重する人なら 整形はいかんと思うでしょうね。

昔は長髪もOKだった。命にかかわる事でなければいいだろう と思う人は

整形もいいと思う人も多いでしょうね。

整形って後遺症があるんですかねえ?
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この回答へのお礼

https://yahoo.jp/6RCHvb

ローランド君は出来がいいと思う。しかし、桑田真澄の息子はハッキリ言って気持ちが悪い。10人が10人そう思っていると思いますよ。要するにセンスが悪いということになるでしょうね。

顔面造形が芸術たり得ないとは今のところ断定できないけれど、化粧をすることとと同じことと考えれば、まあ、お洒落には違いないだろうけれど、それだけのことと言えるかな。

お礼日時:2022/07/08 11:19

私は整形を容認より、強く承認します。



個々が見た目から劣等感でやる気を失い、卑屈な考えを変えることが出来るなら、やればいいと。

人により整形の定義はいろいろです。
朝鮮の人は、骨格をいじることは整形、それ以外はナチュラルと。
日本人は、メスや針を使えば整形と。レーザーは別なのだと。

私は、医学的処置をすれば整形と見ています。
たとえば顔の目立つほくろレーザーで取る。
イボを液体窒素で取る。
そんなことも劣等感も一緒に取り除けるので良いと思います。

ポジティブに生きれるなら、何でもやって良いと思う。
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この回答へのお礼

整形の定義は様々なようですが、私だってイボをとったり(昔はイボコロリ)
歯をきれいにしたり、ぜい肉を取ったり(ダイエットですが)しています。ちょっとした劣等感の排除にはなっているでしょうが、すぐに忘れますがね。

つまり、問題は整形したとしてもどれだけ劣等感がなくなるか、ということもあると思います。
上手くゆく場合もあるでしょうが、きりがなくなって、何百万とか何千万とか使ってしまうなんてこともあるようです。
それに、人間の劣等感って、肉体的なものだけではなくって、様々なものと繋がっているようですから、そう単純なものではないと思っていますよ。

お礼日時:2022/07/07 16:05

アラサー女性です。


私自身は整形について、推進も否定もしません。

女性って子供の頃から容姿をジャッジされて育ちますし、着飾っているかどうかで、周りの態度が明らかに違ったりしますよね。
より美しくなろうとして、化粧や服を研究したりするのは世代を問わずしてることだと思いますし、整形もその延長だと思ってます。

私自身はちょっと個性派な顔の方が好みなので、整形顔はあまり好みではありません。でも、整形した人が満足できるならいいと思ってます。

もちろん、自分のありのままの姿を誇りに思えるのは素敵だと思いますが。
でもそれ以前に、人の自尊心を傷つけるような場面が多すぎると思いませんか?
子供の頃から、「老けた」だの「〇〇はブス」「目つきが悪い」だの、うんざりするほど容姿に対する侮辱や悪口を耳にして育ってますし、メディアも「女は美しくあるべし」と煽り立ててきます。
整形後の人に対しても同様です。

とにかく放っておいてあげて欲しい、整形したい人のことも、したくない人のことも侮辱せず、自由にさせてあげて欲しい、というのが私の考えです。
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この回答へのお礼

勿論、「この人整形したな」と思う人が目の前に現れたとしても、そのことを指摘したり、それが理由で差別したりしないことは、明らかにヅラをかぶっているオジサンが目の前に現れても(知り合いに何人かいます)指摘したり差別したりしないのと同じです。そういう対応の人が大多数だと思います。
当然、自由ですから、自由を侵害する言動をする人はまずいないですよ。

昭和40年代くらいまででは、経験上ですが、容姿だけで虐められることはありませんでした。それプラス性格上のこととか障碍の有無とかですね。

それが、その後、容姿に対して「責める冷たい目」というものが増大したなと思っています。容姿だけではないですが…
それが一番の背景にあるなとは思っています。

男性の整形も多いですよね。また、容姿がよくないと言えないような人達のケースも多いようですし、非常にマニアックな感じの方も多いようです。

お礼日時:2022/07/07 15:56

好ましいと思わない人と、思う人との違いは


何だと思いますか?
 ↑
社会の事を考えるか否かだと思います。

社会の事を考えず、自分のことだけ
から判断すれば、好きにしたらよろしい。

しかし、社会に与える影響てのがあります。

整形の氾濫は、外観重視の風潮に
拍車を掛けることになりませんかね。

それは果たして、好ましいこと
なのでしょうか。




哲学的に思想的に感覚的に。
 ↑
社会学的に考えました。
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この回答へのお礼

整形の氾濫が、外観重視の風潮に拍車を確かにかけていると思います。

そのことの主犯格は、メディアの取り上げ方だと思います。

哲学的、思想的には、外観重視の世界観、と言えるでしょう。

お礼日時:2022/07/07 15:16

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