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大航海時代の船乗りたちはそもそも、東にオスマン帝国がいたもんだから、海に貿易路を求めるしかなかったんですよね?

A 回答 (3件)

そうです。



当時は、中東の方が強かったのです。

それでカトリックと組んで海に
乗り出しました。

プロテスタントの登場で信者を減らした
カトリックは、信者獲得の為に
国家と組んで、海外に乗り出した訳です。

だから、欧米以外のクリスチャンはカトリックが
多いのです。
戦国時代に来日した、イエズス会もカトリック
でした。


○大航海時代の要因

 この時期に、スペイン、ポルトガル両国によって
「大航海時代」が開始されたことの要因、
または背景としてあげられることは次の4点である。

・ヨーロッパにおけるアジアに対する知識の拡大
(13世紀のモンゴルの侵入、マルコ=ポーロなどによる)
・羅針盤・快速帆船・緯度航法など、遠洋航海術の発達
・ヨーロッパでの肉食の普及にともなう香辛料の需要の増大
・レコンキスタが進行して、キリスト教布教熱が高まっていたこと


☆「外的な要因」
この時期に小アジアに興ったイスラーム教国である
オスマン帝国がバルカン半島・東地中海・西アジアに進出し、
従来のイタリア商人による東方貿易に不利な状況が
生まれたことがあげられる。
東方貿易が途絶えたわけではないが、ヨーロッパの商人たちは、
より直接的に香辛料などをアジアから輸入するための
ルートを開拓する必要に迫られたという背景もあった。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/07/21 09:49

そうだと思います。


オスマン帝国とアラブ商人の存在でしょう。
ペルシャ帝国がオリエントとインドの道を整備しました。
アラブ商人は、その道を使って、交易をしてました。
アレキサンダー大王は、インドとの交易の利権獲得の為に、東方遠征
をしたと唱える学者もいます。
アレキサンダー大王が亡くなった後、アラブ商人は自分達の利権は、
ガッチリ守っています、したたかなんです。
長年に渡って、オリエントと中央アジアを牛耳っていたのです。
後進国のヨーロッパ人が、陸路でインドに向かえば、アラブ商人の
餌食になります、海路しかなかったのです。

海路の道を追求したので、文化、科学、芸術の後進国だった、ヨーロッパ
が今や、世界を牛耳ってます。
この次は、覇権主義のロシアや中華人民共和国でなく「零」を発見した、
概念と頭脳の国、インドに世界を牛耳って貰いたいですね。
日本はインドの後をついて行くのです。
スズキ自動車工業の鈴木修会長は、先見の明有りで、凄い、御方ですね。
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それまで調味料は塩しかなかった時代、十字軍でスパイスを発見してから

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