最速怪談選手権

人を大量に殺しても、人を大量に救っても、死んだら同じですか? それとも違うと考えますか?

例えば、
他人を騙すのが空気のような人、嘘と付き、他人を死に追いやる極悪人。

純粋で仁徳に優れ、いつも人を助け、人の為に行動し、多くの人から慕われる人。

どちらも死んだら、ただの「死」なんですかね。

あるいは死んだらあの世で閻魔様や天使様が待っているというのは、今世を生きる人への戒めにすぎませんかね?

あるいは、来世というのがあれば「引き継ぐ」(前世からの因縁として)ものなんでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

前者は、縄張り争いで多数の敵を打ち倒した戦士。


後者は、種の保存のために多数の味方を助けた医師。

そう考えると、何が違うのか分からない。

敵を助けたとか、味方を殺したとか、そうなると話は変わってくると思うけど。
例えば、敵は敵でも高貴な気質を持った相手を助けたとか、味方は味方でも、愚かで悪意ある味方を切り捨てたとか。
そうなると、善いことをしたことになります。

賄賂もらって敵を助けたり、自らが悪意持って味方を殺したりしたら、悪い事をしたことになる。

結局、どの様な心で為したかが重要であって、何を為したかは二の次なのかなと思います。

善いことをすれば人は栄え、悪しきことをすれば人は廃れる。
これは本当でしょう。来世に業は引き継がれるというのは、善いことを行えば良い未来が来て、悪い事を行えば悪い未来が来る、程度に思っていると良いのでは?

善い行いの元である善い心、悪い行いの元である悪い心、それらが何処から来たのか考えると、転生の疑問も解決するかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>善いことをすれば人は栄え、悪しきことをすれば人は廃れる。

⇒これは確かに言えてますね。

お礼日時:2022/08/11 16:00

死はあらゆる人に平等です。


大抵の人は生まれて100年もすれば死にます。
死後はなにもないかもしれないですし、なにかあるかもしれないです。
なにかあったときに保険となるのが生前の行いだと考えれば
宗教的倫理観をもって生活をすることになるでしょう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
何かあるという過程の方が、人間は美しく生きるかもしれませんね。

お礼日時:2022/08/11 16:01

そりゃ違うでしょう。

母親は子供の為なら火の中でも飛び込みますよ。

この世に子供を残しためなら命をも捨てるのです。

これが親の愛、進化のため、存在・存続するためのタスキ渡しです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
違いますか。断言しちゃいましたね。

お礼日時:2022/08/11 15:59

どちらも、単なる人ですよ



人徳に溢れる人に育つのも
他人を騙したり、傷つけたりする人に育つのも


すべては環境ありきの話ですもんね

環境がなかったら
社会がなかったら

人を助けることも、人を傷つけることも

出来ないもんね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

欲望の赴くままに生きること
可能な限り善行を積むこと

人とはなんでこうも違うのでしょうか。

お礼日時:2022/08/11 15:58

1. 推測するしか決められないこと・あるいは推測によっても何も決まらないこと こういったものごとについては それらを包み込むような概念を充ててみて 何とかならんものか処理しようとすることがあります。




2. 死後をふくむ未来については 《予期としての現在》だとして――また 過去は《記憶としての現在》だとして――このような広義の概念たる《現在》をそれらの時間にかぶせることをします。


3. 《永遠の現在》という――意志行為としての――仕組みです。
(もっとも けっきょくは《予期》に推測が入っていることに変わりないのですが その推測も現在時において実際に成している意志行為の内にふくまれるという点が のぞむらくは ミソです)。



4. ということは 一生を終えるまでは そのつどの現在時が決め手であり 一瞬一瞬そのつどの意志行為ないし人格存在の全体のあり方で 未来の自己の――よしあしにかんする――評価が決まるという寸法になっています。






5. さて 意志行為のよしあしについては じつは本人がよく分かっています。

6. 何かを想像したり計画したりするとき それがよからぬことの場合には 胸にヤマシサ反応が――必ず・おそらく良心のハタラキによって――起きます。

7. そして この反応にも逆らってその何かを行動に移そうとするなら――さらに胸の高鳴りが増しヤマシサ反応は一段とつのり―― 心は・そして身における神経細胞の自然でふつうのハタラキが―― 横道に逸れます。

7-1. 神経細胞が ヘンなつながりを作ってしまい しかもそれでも何もなかったかのごとく 推移してしまうようです。のちにツケがまわってくるのかどうか。

7-2. 自由意志の自由は――そこには余裕をこいて脇にそれてしまい得る自由度が潜在しているけれども それをふくむ自然本性たる基本の自由は―― とうといものであり ちょっとやそっとで朽ちることのないように めぐみに満ち溢れているらしい。敗者復活が用意されている。しかも何度も。




8. ヨコミチに逸れるよからぬことというのは 基本としてウソ・イツハリです。自然本性たる心にさからっています。


9. さらに具体的で決定的な脱線は――ひとは社会的な存在であるからには―― 自分の心をだけではなくほかのひとの心ないし意志行為を踏みにじることになるウソ・イツハリです。



10. そしてそこに当然ふくまれるのは――つまりウソ・イツハリを為す自由度をも持ったひとの自由意志による行為(意志の表明)を踏みにじる悪しきことにふくまれるのは―― その自由意志の主体であるひとという存在そのものを踏みにじることでしょう。


11. 自分であれ他人であれ ひとの存在を亡き者にすることは 自由意志たる心の――つまり 自己自身の――死です。究極の脱線です。

11-1. 戦争は 国家に主権があるという仮定(前提)で成り立っているものと思います。自己防衛とともに。仮想の現実です。

11-2. 自己防衛・緊急避難は いちおうヤマシサ反応の起きない自由に属し しかも――じつに・それでも――自力救済は みとめられていません。その限りで 戦争は 仮想の現実でしょう。

11-3. 自力救済の禁止は 敵討(かたきうち)や仇討ち(あだうち)を――そこにヤマシサ反応が起こり得るなら――ひとの自由のヨコミチだとみなす考え方でしょうか。



12. ヨコミチに逸れるウソ・イツハリそしてその究極としてのヒトゴロシ これが そのつどの現在時におこなわれようとするなら それによってそのつど未来が決定されるのだと考えます。


13. 自由意志の自由は この脱線を おそらくウソ・イツハリにかんしては 元の軌道に復帰させ得るとも考えるのですが。

13-1. 自由は人間の智慧と能力のことだというよりも 必ずしもそうではなく そのつどのヨコミチたる死の――その後の――克服は 良心の存在とともに めぐみなのかも知れません。死の克服というのなら 生命のチカラなのかも。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはりあると考えるのが妥当ですかね。

お礼日時:2022/08/11 15:57

人を殺した人は地獄。


救った人は天国。

そういう風に
堕ちるところを区別できませんかね。

まあ教えだけで
死んでみないと
確認できませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうなんです。
逆に明確にあの世の存在が証明されると、今世で変な生き方をする人が出てきそうです。

お礼日時:2022/08/11 15:56

昔~現在も霊能力をもつ人がいて


神様や天上界などのあの世を
見て発信できる人がいて
全国各地、世界中で
後光が出てる神仏の像を掘ったり
天女や天使や観音様や龍や地獄の絵や絵巻を描いたり出きる人がいるんじゃないでしょうか。

はじめから8行目まで書かれてる
地上で愛の思いで過ごしたかそうでないか
優しく出来なかった心の弱さの後悔が
来世でチャレンジしたいって思うんじゃないでしょうか

肉体は地球上での一時的な乗り物で
魂(心)は永遠に続くのなら
あの世の生活が
メインなんじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
こういう考え方もありだと思います^^

お礼日時:2022/08/11 15:55

まあこれに関しては私たち生命の意義や宇宙について考えるようなものですからね~。

終わりがないです。だってどうとらえるか、どう考えるかによって違いますから。

質問者様の一番納得のいく考えを探してみてください!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね^^

お礼日時:2022/08/11 15:54

一人殺したら犯罪者、100万人殺したら、なんとか、、って、ありましたね。



チャウセスクも、偉大な音楽家も石灰かけらて、終わりでした。

今世で良い人生なら来世も幸せとか、仏法でときますが、、正直わからないです。

何故生まれながら貧富の差があるのか、、

金持ちは、死ぬまで金持ちです。

ゆりかごから墓場までの人いますが、

ある意味幸せです

私は墓まで心配しないといけない


今流行りのオレオレ詐欺で暮らしたり、

パパ活で売春したり、

そんな、奴らが不幸かといったら、

そうでは、ないです

やつら、開き直ってます、、

生き様のような、気がします

一生懸命生きたか

どんなに、稼いでも、

あの世には、手ぶらで、旅立ちます
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ほんと、難しいですよね。
あの世があるとわかったらわかったで、変な生き方になる可能性もあります。

お礼日時:2022/08/11 15:54

死んだら何も無くなりますが、仁徳に優れ、人を助け、人から慕われる人なら、のこされた人達の次の社会の精神的礎になれますね。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

どっちも良い意味と悪い意味で歴史に名を遺すとは思います。

ただそれとは別に、本人自身の生き様というのは「死」の後に
どこかで継承するのかということです。

実は死んだ先って、現世の人間には誰もわからない確証の無い憶測なんです。


勿論、これは別の意味で死んだ先に何かがあった場合、
積極的に死を選ぶ人を増やす可能性がある意味からも、決して明かされるときは来ないでしょう。

いわゆる、宗教による自爆テロなんかも、来世を信じ込ませた結果なんでしょうが、それも胡散臭い。

 そしてそもそも
・人を大量に殺すこと
・他の動物を沢山、殺して食べること

は、人間視点では同じ人間を殺すのは悪という考えに過ぎません。
いや、はたまた戦争なら人を大量に殺すのは正義だったりします。

人を殺すことも人を犯すことも一般的には悪いこととされてますが、
その悪いことという定義自体が、社会を保つための建前のような気がします。

だから政治家が血税と私利私欲に使おうが悪いと思わないのも、
お前ら国民がその立場になったら、同じことをするだろうという考えかもしれませんよね。

お礼日時:2022/08/07 22:27

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