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0. 人と神とは 連続体仮説のごとく言わば地続きであって けっきょく一体である・・・か?

1. 質問者としては 非連続の見方(想定)に立っているけれど そのように《神と人との間には絶対のへだたりがある》としつつも そのあとでは 絶対なる神の側から 相対なる人間に向けて 何らかのハタラキカケがあると見得る。
――と捉えている。

2. 具体的には ヒラメキがある。あるいは ヤマシサ反応(良心)がはたらく。

3. 連続説は けっきょく この《神とわれとのタテの関係――これが 信仰である――》において ハタラキカケがあると想定する限りで 《仮りに》その間柄が 連続していると見ている。
――それほどおどろくべき見方にはならないと考えられる。



4. 非連続説では 神を 非経験の場と想定し これを人間の認識をめぐっては 《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ incomprehensible incomprehensibility 》と捉える。《非知》とよぶ。

5. 連続説では そこから一歩踏み込んで 神からのハタラキカケについてそれは 《原因と結果の関係つまりは 摂理のチカラの作用関係 あるいはつまり 人間に向けてあたえる生命力といった意味での推進力》として そのような《概念》をふくむ認識としても 《仮りに》捉える。
――ことになるのではないか。

6. そのとき神は――非連続説での非知に対して――言わば《仮構知・虚構知・仮想知》と呼べるかも知れない。或る種の因果関係としての《認識が入り込む》ところが 特徴である。



7. ところで ここで 次の聖書のくだりを見て欲しい。
▲(ヨハネによる福音 1:13) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1:13   οἳ  οὐκ  ἐξ  αἱμάτων  οὐδὲ  ἐκ  θελήματος  σαρκὸς  οὐδὲ
ἐκ  θελήματος  ἀνδρὸς  ἀλλ᾽  ἐκ  θεοῦ  ἐγεννήθησαν
https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/1/1/t_co …

1:13 Which  were born,  not of blood,  nor of the will of the flesh,
nor of the will of man, but of God.

1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、
ただ神によって生れたのである。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/john.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

8. すなわち――神とわれとのタテの関係において そこに観想をめぐらせ忖度して〔仮りに〕得た表象内容は―― こうだと言う。: 

 《われがいま・ここにあるのは 
 血筋――コイトス――による〔のみな〕のではなく
 肉の意志によるのではなく
 人間の意志によるのでもなく
 神の意志による》

9. このとき もしこのヨハネの聖句に関する限りで その《神-われ関係》は上に述べた連続説と非連続説とのどちらにもとづいたほうが 分かりやすいか?
――これを問いたいと考えます。どうでしょう?

10. 質問者は 連続説によって 直接の摂理関係ないし生命付与の関係を想定するよりは どちらかと言うと 間接的な――あるいは 非知なるナゾとしての・したがって 非思考における――カカハリを想定するほうが 無根拠なる根拠として ふつうに自然であると感じますが どうでしょう?

A 回答 (2件)

自由意思を使うのがわかってた。



だからソドムで滅ぼし
ノアで滅ぼし
お気に入りの人間だけ残した。

なんか変な話だと思いませんか?
自分が技量不足で不良品を作ったのに
俺たちが滅ぼされるなんて
そんなことなら
なんのために作ったのかな?
作られて何かいいことあった?
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この回答へのお礼

★ 自由意思を使うのがわかってた。
☆ ええ。


★ だからソドムで滅ぼし
ノアで滅ぼし
お気に入りの人間だけ残した。
☆ どうですかねぇ。

つまり 旧約の時代 民族神としてのヤハヱ―とユダヤ人との関係が おもな歴史ではないかと思われます。

〔アダムとエワにおける自由意志の問題(いわゆる原罪の問題) そしてこれは ウソ・イツハリという意志行為の問題であり そのツテでは カインによるアベルに対する人殺しの問題へと続いて 共生のため《ひとの意志や心を踏みにじらないこと》といった命題を示すところは すでに人類一般にとっての話になっていると思います。〕


★ なんか変な話だと思いませんか?
自分が技量不足で不良品を作ったのに
俺たちが滅ぼされるなんて
そんなことなら
なんのために作ったのかな?
作られて何かいいことあった?
☆ それは 人という経験存在が《相対性の世界を生きるということ》をあらわしているのだと思います。

これは 否が応でも人間はそういう生き物であるしかないとなるのではないでしょうか。《世界‐内‐存在》だとも言われます。


★ なんのために作ったのかな?
☆ 二つの応答になるかと。

① 何のためでもあるというふうに 《すべて自由》なのだと思います。

② なんで《不良品》につくったのか? と神にあまえること・とことん甘え続けることも いいと思います。

そのような弱音が 多くの人びとのあいだで きよらかな心を見出させるなら 言ってみれば聖なる甘えとなってゆき 神はひょっとして何かをしてくれるかも知れない。・・・

お礼日時:2022/08/30 20:23

神によって


作られた人間は
神の真似をして
悪いことばかりしてる。

神の名のもとに
植民支配をし
残酷な仕打ちを原住民に与えた。

悪いやっちゃ!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神によって
作られた人間は
神の真似をして
悪いことばかりしてる。
☆ いや それは むろん自由意志があたえられていたからでしょうし 神は人がその自由意志を勝手に行使することになると分かっていた。

つまりは 神の言うことを守らなくなるし あたかも神の真似をするようにもなると。

★ ~~~
神の名のもとに
植民支配をし
残酷な仕打ちを原住民に与えた。

悪いやっちゃ!
~~~
☆ 諾。

そして問いは それでも―― 一たん切れた神とのきづなであっても――何らかのかたちで人は神とつながっているらしい。

どのようにか? 直接にか間接にか?

そして だとすると この横着な人間が このあとどうなるか?

お礼日時:2022/08/30 17:58

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