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学校文法、記述文法など現在の日本語文法論では、語の基本的な二大区分として自立語/付属語という区分がなされている。これは次のような内容です。

① 自立語(じりつご)
自立語は、単独で文節をつくることができる単語である。かならず文節の最初にきて、一つの文節に一つだけある。

② 付属語(ふぞくご)
付属語は、単独で文節をつくることができず、つねに自立語のあとに付く単語である。一つの文節に付属語がなかったり、二つ以上あったりする。

この区分の誤りについては、先に、「付属語、自立語という誤り」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11225788.html?pg=1& …

を提起しましたが意味不明な非論理的な応答しか得られませんでした。
この品詞区分の本質的な誤りの何が問題かを再度提起し諸賢のご意見を賜りたいと思います。

言語は話者の認識の表現であり、語は意義を表すもので、この語を分類するためにはその本質を明らかにし科学的な分類が必須である。しかし、自立/付属というのは語の本質ではなく、上記のように「単独で文節をつくることができる単語」「単独で文節をつくることができず、つねに自立語のあとに付く単語」などという語の機能/形式に基づく分類でしかない。

このため、助詞/助動詞などの区分も語の意義、つまり内容ではなく「単独で文節をつくることができず、つねに自立語のあとに付く単語」などという語の機能/形式に基づいているため、何ら内容に触れることができず、子供でも誤りなく使用する助詞「は」「が」の意義を未だに明確にできないのが現状です。また、格助詞「に」「で」の相違についても本質的な意義を明らかにできず混迷しています。

先の質問に対しても、この誤りが自覚できずに助詞は語ではないという意味不明な応答も見られ、品詞区分の本質的な誤りの問題点が理解されていないのが現状です。これに関し、

「は」「が」論の前提 : 何が欠けているのか。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9085 …

文法的でない単語があるのか?
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9720 …

他で詳細を論じていますので参考にしていただき諸賢の見解をお伺いできればと考えます。■

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    なお、これらの欠陥は認知言語学に依拠し生成文法の説く普遍文法を批判する、

    『言語は本能か - 現代言語学の通説を検証する』; Vyvyan Evans (著), 辻 幸夫 (翻訳), 黒滝 真理子 (翻訳),〔開拓社 (2021/3/22)〕

    にも引き継がれており言語本質を明らかにすることができていません。

    ” Syntactic_Structures”を名乗られているようでは過去の人となる他ありませんね!■

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/05 11:20
  • >>「君と私は友達だ。」どういう風に解釈すればいいのですか。

    まず、語の意義と文の意味とは異なる段階であることを理解する必要があります。語の意義は規範としての概念であり、文は話者の認識の表現です。

    この文は、「君」と「私」という二者を格助詞「と」で並べ、彼ら他との比較対象による特殊性の認識を副助詞「は」で表し、それを肯定判断辞(指定の助動詞)「だ」で「友達」という関係として認識表現しています。この個別の対象に対する認識と文との関係が意味です。

    >>それはそれは助詞「は」「が」に「特殊/普遍/個別」に分類する・カテゴリー化する機能があるから

    いいえ。
    <~する機能がある>というのは結果の解釈に過ぎず、因果関係が逆転した後付けの論理に過ぎません。助詞「は」「が」は語で意義を表すもので、語自体が、「特殊/普遍/個別」に分類したり、カテゴリー化したりすることなどできる訳がありません。↓

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/07 13:39
  • もし、できるというのであれば具体的に説明してみて下さい。言語言霊論という観念論的な解釈以外ありえません。

    丁寧な応答に感謝致しますが、残念ながら内容は機能と本質を混同した非科学的なもので、記述文法、生成文法、認知言語学など現在の欠陥言語学の論理と同レベルでその誤りと、限界を露呈するものとなっています。■

      補足日時:2022/09/07 13:40

A 回答 (5件)

>ごく概略を言えば、自立/付属などという形式、機能ではなく言語の本質である表現過程に基づき客体的表現の語である<詞>と主体的表現の語である<辞>に二大区分され、助詞/助動詞などは話者の主観を直接に表現する語である<辞>に区分されます。



語を分類するのに「客体的表現の語」と「主体的表現の語」に分けるというやり方も、「対象言語(reference language)」と「メタ言語(metalanguage)」に分けるというやり方もありますね。また「自立語」と「付属語」に分けるというやり方もありますね。どれが正しいか間違っているかと決めつけない方がいいと思います。
言語は、主体である話し手が「ある出来事を表現したいと思って発する」ので、元来「主体的なもの」ですね。出来事を客観的対象として伝えたいときは「客体的語」を使い、主観的に自分の感情を表現したいときは「主体的語」を使うということです。それだけでなく言語をその使い方や働きについて考察し、機能的に分類することも出来るわけです。
このように言語にはいろいろな面があるということでいいと思いますよ。

>そして、辞の中で客体間の関係、資格など静的な関係認識を直接に表現するのが助詞で、判断、推量、意志、時制など動的な主観の認識を直接に表現するのが助動詞です。

「君と私は友達だ。」という文の中には「と」「は」は「助詞」、「だ」は「助動詞」があります。「静的な関係認識を直接に表現するのが助詞」「動的な主観の認識を直接に表現するのが助動詞」ということですが、この文ではどういう風に解釈すればいいのですか。

>助詞「は」「が」の相違はこうした対象の認識の在り方の相違として特殊/普遍/個別の側面を捉えたものということになります。

それは助詞「は」「が」に「特殊/普遍/個別」に分類する・カテゴリー化する機能があるからできることですね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

>>どれが正しいか間違っているかと決めつけない方がいいと思います。

言語本質に基づいた科学的な分類が唯一で、他は誤りです。誤った品詞区分のために、語の正しい理解が阻害されます。

>>「対象言語(reference language)」と「メタ言語(metalanguage)」に分けるというやり方もありますね。また「自立語」と「付属語」に分ける

これらは、言語表現の過程的構造という言語本質を捉えられない誤った、非科学的な区分です。

>>どれが正しいか間違っているかと決めつけない方がいいと思います。

言語本質に基づいた科学的な分類が唯一で、他は誤りです。誤った品詞区分のために、語の正しい理解が阻害されます。

>>言語は、主体である話し手が「ある出来事を表現したいと思って発する」

それは表現一般の性格に過ぎません。
言語は表現の一種で、表現の中の言語の特殊性、普遍性を捉えないと科学的、論理的な解明はできません。表現自体主体的ですが、言語は概念による表現で、この概念の内容が言語の表現過程に基づき主体的/客体的に二分されます。

>>出来事を客観的対象として伝えたいときは「客体的語」を使い、主観的に自分の感情を表現したいときは「主体的語」を使うということです。

客観的/主観的と客体的/主体的は次元の異なる概念で全くの誤りです。認知言語学の間主観性という誤った概念も同様な誤認に基づいています。これらは言語表現が規範を媒介とした概念による表現であるという本質を捉えられないための誤謬に過ぎません。

>>このように言語にはいろいろな面があるということでいいと思いますよ。

いいえ。
言語本質が全く理解できていない誤った理解です。
言語だけでなく表現一般にはそれぞれいろいろな面があり、それらが現象的なものか本質的なものかを正しく理解しなければなりません。

>>言語をその使い方や働きについて考察し、機能的に分類することも出来るわけです。

科学的な分類は対象の本質に基づかなければならず、形式や機能による分類は非科学的な誤った分類で、対象を正しく捉えたものではありません。この非科学的な形式/機能による分類に依拠するしかないのが現在の言語学の最大の欠陥、限界です。

自然科学、社会科学の科学としての発展と論理が全く理解できていないということです。

→以下補足へ

お礼日時:2022/09/07 13:36

大丈夫?


矛盾してるよ?
気がついてないの?

>残念ながら苦闘したまま何の方向性も出せずに終わった事実を
>理解されていないのでしょうか?

あのさ、社会規範を考えてないと言うから、考えてるよって言っているの。
苦闘したことを認めるってことは、社会規範を頭に入れてたってことを認めることだよ?
分かる?


>手旗信号、モールス符号など種々の媒体が可能で存在します。

それらは音声と意味を持つ言語記号を写したもの。
言語ありき。
分かる?


>音声以前にまず概念と身ぶりの結び付きによる身振り言語が生まれ、

見てきたの?
すごいね!


>認知言語学にからめ時枝の過程説が評価されたり

「これらの欠陥は認知言語学(...)にも引き継がれており言語本質を明らかにすることができていません。」といったばかりのくせに!
記憶は大丈夫?


>現在の工学的な自然言語処理の理論的基礎としても注目され

ふ~ん、で、成果は出てるの?
あなたは評価してるの?


おっと、時間だ、またいつか遊んであげるね。
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この回答へのお礼

Thank you

ははは!!!

毎度の豚ズラですね!!

まずは、自分の立ち位置をしっかり自覚しましょう。

お礼日時:2022/09/06 11:59

ソシュールを理解していないことが明らかだね。


ソシュールは社会規範としてのラングとそれを書き換えようとするパロールの両面を捉えようと苦闘した人だ。

「発音を持つ」がいやなら能記をもつでもいいがね。
文字なんて、せいぜい数千年の歴史しかないし、少なくとも20万年の歴史がある音声を忘れてはならない。
文字ではなく、手話の存在を忘れるなと言うなら、ごもっともですというしかないが。


>アクセントとは何かを明確にする必要があります。

じゃあやってご覧なさい。


>過去の人となる他ありませんね!

言語過程説はとっくにそうなってるけどね!
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この回答へのお礼

つらい・・・

適切なコメントをありがとうございます。

>>ソシュールは社会規範としてのラングとそれを書き換えようとするパロールの両面を捉えようと苦闘した人だ。

残念ながら苦闘したまま何の方向性も出せずに終わった事実を理解されていないのでしょうか?
そして、それは「それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何一つ輪郭の確かなものは無い。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」というカント哲学の不可知論的発想の必然であるということです。

>>「発音を持つ」がいやなら能記をもつでもいいがね。

言語は概念認識の表現であり、音声以前にまず概念と身ぶりの結び付きによる身振り言語が生まれ、やがて概念的把握の発展と音声言語の発展により消滅することになります。音声とは感性的表現の一手段でしかなく、手話、手旗信号、モールス符号など種々の媒体が可能で存在します。現に、回答者はPC画面のドットの集積を通じ交通している事実をどのように理解されているのでしょうか?

>>じゃあやってご覧なさい。

既に時枝による音声論、言語表現と非言語表現との統一という観点からのリズム・アクセント論が三浦つとむ他により展開されております。

>>言語過程説はとっくにそうなってるけどね!

何を御冗談を。認知言語学にからめ時枝の過程説が評価されたり、三浦つとむの動詞論が不十分な理解のもとに摘み食いされているのが現状で、現在の工学的な自然言語処理の理論的基礎としても注目され、生成文法、認知言語学を越える科学的言語論としての注目、展開が始まったばかりです。

御歳93歳のチョムスキーのお筆先に縋るしかない面々は全面的崩壊を迎える他ありませんね!■

お礼日時:2022/09/06 10:54

「助詞・助動詞」の意義つまり意味とか内容って具体的に何ですか。

皆さんに分かるように説明してくださいませんか。
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この回答へのお礼

応答ありがとうございます。

確かに、本来それを提示しなければなりませんが、概要は上記に示した、


「は」「が」論の前提 : 何が欠けているのか。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9085 …

「は」「が」論の前提 : 何が欠けているのか。(Ⅱ)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9090 …

他を参照いただきたく。その他にもこのような誤った区分が否定の形容詞、形容動詞などの誤った品詞区分を生み出すことを指摘しています。

ごく概略を言えば、自立/付属などという形式、機能ではなく言語の本質である表現過程に基づき客体的表現の語である<詞>と主体的表現の語である<辞>に二大区分され、助詞/助動詞などは話者の主観を直接に表現する語である<辞>に区分されます。

そして、辞の中で客体間の関係、資格など静的な関係認識を直接に表現するのが助詞で、判断、推量、意志、時制など動的な主観の認識を直接に表現するのが助動詞です。

助詞「は」「が」の相違はこうした対象の認識の在り方の相違として特殊/普遍/個別の側面を捉えたものということになります。

詳しくは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)他を参照下さい。■

お礼日時:2022/09/06 11:51

>語は意義を表すもの



違う。
意味と形式を持つ記号。
意味だけではなく、発音を持つことを忘れている。
意味なくして何の言語かというのと同じく、形式無くして何の言語か。


内容と形式の両面を持つ以上、形式面での考察を忘れてはならない。
内容を考えれば十分だ等とほざくのは片手落ちの最たるもの。

「は」「が」がそれ自体アクセント核を持たず、先行語のアクセントに依存することなど、どうでもいいとお考えか?

まあ、それはそれでもいい。
しかし、そういう研究をくだらないと見下すのはどうかと思うぞ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。
現在の言語論の持つ根本的な欠陥を露呈されており、いわゆるソシュールパラダイムの掌中にあり非常に参考になります。
簡単にコメントさせていただきます。

>>意味と形式を持つ記号。

記号とは何かが理解できていない初歩的な誤りです。
卍、+、*、#、$、@などの記号と言語の相違が全く理解できていません。

言語はその規範が成立すると、使われる範囲が社会的に拡大していき、人々は同じ規範を使うように強制されます。誰もが共通に使うところの普遍的な規範が、実践的に必要とされています。これに対して、記号の規範にはこのような普遍的な性格が欠けています。我々は必要に応じて、自分個人のための・特殊な記号をつくり出し、独自な記号を工夫して使用することができます。このような個別的な規範も実践的に必要とされています。
地図記号の中には、どの地図にも共通しているものもありますが、これも独自の記号を用いてはならないというわけではありません。

規範論をもたない粗雑なソシュールパラダイムではこうした言語と記号の本質的な相違を捉えることができません。

>>意味だけではなく、発音を持つことを忘れている。

「発音を持つ」などとは、慣れない日本語学習者のレベルですが、質問者と回答者はPCの画面を介しコミュニケートしている事実を理解できていませんね。どこに「発音」などという音があるのでしょうか?
これも 音声第一主義という現在の言語論の根本的な欠陥を露呈しています。

>>形式面での考察を忘れてはならない。

当然のことですが、記号や言語が形式と内容という対立物の統一、つまり調和する矛盾としての存在であることが全く理解できていませんね。絵画や音楽もまた内容と形式の統一ですがこれらは直接に感性的な形の表現で、言語のような概念を媒介とした表現ではありません。この本質的な相違の理解が必須です。形式主義的な現在の言語論では扱うことができません。

>>「は」「が」がそれ自体アクセント核を持たず、先行語のアクセントに依存することなど、どうでもいいとお考えか?

どうでも良くはなく、アクセントとは何かを明確にする必要があります。

このように見てくれば、そういう研究をくだらないと見下すのではなく、そういう研究の欠陥と限界を明らかにし克服することが必要だということです。■

お礼日時:2022/09/05 11:11

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