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2014年にクリミアを乗っ取られたウクライナはなぜ8年もロシアに反撃してこなかったのですか?

A 回答 (14件中1~10件)

内戦は長いこと続いてたよ


クリミアを、乗っ取られたと西側では報道されてるけど
それじたい間違った情緒なんじゃないかな?
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14年から現在まで反撃し続けています。

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クリミアを乗っ取らせたのは、優しく言えば親露政権、厳しく言えばロシアの傀儡政権です。

国を切り売りするような政権は国民の理解を得られるはずものなく、ヤヌコーヴィチはロシアに逃げ出しました。

その後も、内戦が続いていました。ロシア系住民という名の分離独立派が、ロシアの支援を受けウクライナで内戦になっていました。実際にはロシア軍の兵隊や傭兵が身分を隠して戦争を主導していたのです。マレーシア航空17便撃墜事件を起こせる程の兵器の提供をロシアから受け、外患助長状態でした。

2019年にゼレンスキーが大統領になってから、クリミア奪還を目指すようになりました。その間のウクライナ軍の進化は凄いものがあります。ザルジニー総司令によるアメリカ型軍隊への脱皮はその最たるもの。軍備と訓練で必ず来るロシアの軍事侵攻に備えていたのでしょう。

ロシアが攻めてこずに、ウクライナの軍備と訓練が更に行き届いていたとしたら、クリミア奪還作戦やクリミア大橋の破壊はあったにせよ、ロシア領に攻め入って領土拡大を目指すということは、やはりしなかったでしょう。補給線が延び切ることの危険性は、馬鹿なロシアよりよく理解しています。
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「盗人にも三分の理」ということだろうと思います。



クリミア半島は非常にややこしい歴史を持っています。大昔はウクライナでもロシアでもない、トルコ系のクリミア・タタール人の土地でした。

そこが帝政ロシアに征服され、ロシア革命によって「ソ連内部のロシアの中の一地区」になりました。

第二次世界大戦後、フルシチョフが何を思ったかロシアからウクライナに移管しました。当時は同じソ連の中だからあまり大きな問題にならなかったのですが、ソ連邦が崩壊したためにまったく別の国になったのです。

だからロシア系住民は多いし、ソ連崩壊直後にもクリミア独立運動はあったし、独立後のウクライナにおいては自治共和国という地位にありました。

2014年の「住民投票によるクリミア独立・ロシア編入」は真に民主的なプロセスではない、ロシアが裏で糸を引いていたことは明らかなのですが。おそらくはこのような事情のある土地について、西側諸国はそこまで強くウクライナに肩入れする気にはならなかったのだろうと思います。ロシアを非難してG8会議から追放し、一定の経済制裁を科した、でもそれ止まりでした。

他国からの援助なしに、純粋にロシアとウクライナの二国間で軍事的に対決したら、なかなか勝負になりません。ウクライナは2014年以降やはりロシア系住民が多い東部ドンバス地方とも紛争を抱えていましたが、ドンバスのほうはあくまで「独立運動」でありロシア軍は公式にはそこにいません(理由はあるのですが割愛します)。一方クリミアはさっさとロシア編入しちゃったから、そこへの攻撃はロシア本体への攻撃とみなされます。

ただしウクライナ側はクリミアに対し何もしてないわけじゃなく、本土側から送水する運河を止めています。クリミア半島は雨が少ないので農業用水が不足し、元々盛んだった稲作ができなくなったと言われています。

今年2月からの武力侵攻は、ロシアがウクライナ政府自体の転覆を図って首都侵攻した(失敗したけれど)点で、それ以前のいざこざとは一線を画します。

あと、クリミアのときは虚を突かれたのが、この一件を教訓にして米英あたりがウクライナに情報を供与するなど、ある程度準備ができていたということも対応の違いにつながってるだろうと思います。
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ドンバス戦争(検索してください)が続いていました


ウクライナとロシアは戦争をしていたのです
ロシアが突然ウクライナを攻撃したわけではありません
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他の回答にあるように、当時のウクライナはロシア寄りの政権で、


ウクライナ国民の多くがロシアに親近感を持っていた時代でした。

さらに当時のウクライナ軍は非常に脆弱であった為にロシア軍に
対抗するほどの力が無く、あっと言う間にクリミアをロシア軍に
抑えられてしまったのです。

当時ロシアは自国の船舶を自由に黒海へと動かせるようにする為
にクリミア半島を抑えたかったのであって、ウクライナ全体を
狙っていた訳ではないのでクリミア以外には攻撃しませんでした。
もし、当時ロシア軍がウクライナ全土に攻撃をすれば全土が抑え
られたと思われます。

このように以前はウクライナ国民・政府共にロシアを友好国として
考えており、さらにウクライナ軍が弱かった為にロシアに不満が
あっても軍事的な反撃はしなかったのです。

その後次第に国民感情が徐々に反ロシアになり、親欧米的な国民が
多くなり、政権が替わりアメリカが積極的にウクライナ軍を教育し
アメリカの武器も提供した結果、今年のロシア軍の侵攻に対して
ウクライナ軍が見違えるような戦果を挙げているのです。
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ゼレンスキーの前任のポロシェンコ大統領は新露派であったから、クリミア半島奪還には興味がなかった。

 ゼレンスキーは2019年にポロシェンコに代わって大統領に就任したが、ポロシェンコ派などを一掃して地歩を固めた2021年からクリミア奪還に取り組み始めた。 そして、2021年8月23日に、クリミア半島の奪還を求める国際会議「クリミア・プラットフォーム」を始動させた。 首都キエフで行われた第1回会合には40以上の国と国際機関の代表者が参加し、「クリミア併合を容認せず、非難し続ける」との共同宣言を採択した。

クリミア奪還を標榜(ひょうぼう)する国際的枠組みは初めてで、多くの欧州諸国が首脳や外相級を出席させた。米国からはグランホルム・エネルギー長官ら、日本からは倉井高志・駐ウクライナ大使が参加した。

共同宣言は「法に基づく国際秩序」の変更は許されないとの認識を強調し、国際会議をクリミア解放に向けた「協議と協調の場」としていくことを確認した。ロシアによるクリミア半島での軍備増強や人権侵害についても厳しく批判した。

ウクライナのメディアによると、ゼレンスキー大統領は「クリミアは再び国際的議題に戻った」とし、「各国の努力でロシアは交渉の席につかざるを得なくなるだろう」と述べた。

ロシアは会議の開催に強く反発して、ペスコフ露大統領報道官は「ロシアに非友好的な行事だ。会議でのいかなる声明も受け入れない」と述べた。露外務省のザハロワ報道官も「参加国を記録し、しかるべき対応をとる」と警告した。

以上のような経緯で、プーチンのゼレンスキー憎しの気持ちが強まっていき、今年2月のウクライナ侵攻にもつながった。
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クリミアの時の大統領は親露派だった。

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ウクライナ国内では、親ロ派民兵と政府軍との内戦は続いていました。


今回の戦争は、ロシア軍がウクライナに侵攻してきたので、
その防衛戦です。
今でも、ウクライナはロシア本土への攻撃はしていません。
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