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「私はその本はもう買いました」という文で、

1. 「本」は目的語ですか。
2. 「は」がついているから主題ですか。その本について言えば、私はもう買いました。
3. 目的語でもあり、主題でもあるのですか。
4. 「私」も同様主語でもあり、主題でもあるのですか。
5. 「私は」の「私」は主題であって主語ではないというようなことを言う人が時々いますが、これは間違いですか。

質問者からの補足コメント

  • 文法用語で間違っているところがあれば直してください。

      補足日時:2022/10/21 17:47
  • 皆様の回答がだんだん難しくなってきて適切なコメントができませんが、ゆっくり読ませてもらいます。
    分かることは、「私はその本はもう買いました」の「本」は目的語ではないと言う人と(ほぼ)目的語だと言う人がいるということ。

    私の考えが発散してきていますが、
    1. 象は鼻は長いがしっぽは短い
    2. 象は鼻が長いがしっぽが短い
    1、2 は同じ意味だろうか。
    象は主題であって主語ではないと言う人は 1 の鼻、しっぽも主語ではないと考えるのだろうか。

    他にもバリエーションとして以下のような文も考えられます。
    3. 象は鼻が長いがしっぽは短い
    4. 象は鼻は長いがしっぽが短い
    3 で象としっぽは主題で鼻は主語なのだろうか。

      補足日時:2022/10/23 09:16

A 回答 (19件中1~10件)

1. 「本」は目的語ですか。


 本は補語です。

2. 「は」がついているから主題ですか。その本について言えば、私はもう買いました。
 この「は」は特殊性の認識を表す副助詞で、主題ではありません。

3. 目的語でもあり、主題でもあるのですか。
 補語で目的語ではありません。

4. 「私」も同様主語でもあり、主題でもあるのですか。
 述語(部)「買いました」の主語で主題ではありません。この「は」も特殊性の認識を表す副助詞です。

5. 「私は」の「私」は主題であって主語ではないというようなことを言う人が時々いますが、これは間違いですか。
 間違いです。
 文レベルに主題はありません。主題は題名に示されるような文章レベルの概念です。■
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2022/10/21 18:04

「その本は」は主題の提示です。

その本についていえばの意味です。
また「私は」は主語「買う」は述語です。目的語は当然「本」ですが、それは当然のこととしてまた煩雑を省くため省かれています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「その本は」の「本」は目的語ではないということですか。

お礼日時:2022/10/21 18:21

1. 「本」は目的語ですか。



そういう位置づけではないと思います。

2. 「は」がついているから主題ですか。その本について言えば、私はもう買いました。

おっしゃるとおりと思います。

3. 目的語でもあり、主題でもあるのですか。

違うと思います。あくまで主題かと。

4. 「私」も同様主語でもあり、主題でもあるのですか。

おっしゃるとおりと思います。

5. 「私は」の「私」は主題であって主語ではないというようなことを言う人が時々いますが、これは間違いですか。

辞書などでもそういう語釈が多いのですが、個人的には違う考え方です。
「主題であって主語ではない」というのは、「は」と「が」の使い分けを簡便化するために編み出された安易な手法ではないかと思う。

「主語」の定義としては、
尾上圭介氏の、
《「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」》
認知言語学のラネカーの、
《主語とは「描写対象としての事態の解釈において中心的な地位を与えられる要素》
などという解釈を支持しているところ。

・太郎は花子に本をあげた。
・太郎が花子に本をあげた。

「本をあげた」の主体が太郎である点では同じです。
動作主なので、《認識の中核》《解釈において中心的な地位》と捉えて良いと思います。

6.
>文法用語で間違っているところがあれば直してください。>

専門家ではありませんので、先達の知見を参考にしつつ、自分の感覚にフィットする内容について個人的な解釈を述べることぐらいしかできません。
主語の定義は何か、とういう点だけでも意見が割れています。
正否というより、その妥当性についてどう思うか、ということから始めざるを得ないようです。
個々の感覚が重要になってくるのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
本は主題であり、目的語ではない。
私は主題でもあり、主語でもある。
ということですね。

お礼日時:2022/10/21 20:33

>私はその本はもう買いました


*この文を文法用語を使わないで、日本語学習の初心者に次のように説明しています。
「は」という言葉に出会ったら、次の語句が示すもの・ことの集合(カテゴリー)にそれがついている語句が属していると考えます。
「私」は「その本はもう買った」人間の集合に属しているということです。
「そん本」は「もう買った」ものの集合に属しているということです。
これをベン図を使って図示すれば目で見て確認できるので理解しやすいと思います。
「私はその本はもう買った人間です。」と言い換えられます。
文法的説明が難しいと言われている「象は鼻が長い」「僕はラーメンだ」などもこの方法を使えば楽で簡単に理解してもらえます。
がちがちの文法用語だけで勝負しない方法もあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「主題」という言葉で日本語を説明しようとする人が多いですが、私には「主題」が理解できないのでこの質問をたてました。

お礼日時:2022/10/22 10:32

なお、膠着語である日本語は主語は必須ではなく、述語から抽出されたもので、質問の例文では通常「私は」は省略されます。



つまり、主語は「認識の中核として存在するもの」でも「中心的な地位を与えられる要素」でもありません。■
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#3です。



>本は主題であり、目的語ではない。
私は主題でもあり、主語でもある。
ということですね。

はい。
因みに、
主題=「これから述べる内容、これから始まる会話などの中心となる題材(テーマ)」です。

「私はその本はもう買いました」
「私について言いますが、その本について言うと(それは)もう買いました」
という入れ子構文。
「その本」は「その本はもう買いました」という文の主題且つ主語ですが、「買いました」という述部の動作主体でない点に着目してみてください。
「は」の場合、動作主体でなくても主語になれる、ということです。

くどくなったら申し訳ないのですが主題についてもう少し補足させていただければと思います。
説明しやすいように例を替えますが、以下の2文を比較なさってみてください。

a. 太郎は花子に本をあげた。
b. 太郎が花子に本をあげた。

どちらの場合も「太郎」は動作主体ですね。
しかし、
a は「太郎」について述べている文
b は「本をあげたこと」について述べている文
という決定的な違いがあります。

b は、「花子に本をあげた」という動作について、「その主体が太郎であること」を言いたい文であり、そのため主格を指定する助詞である「が」を使っている。
a は、「太郎」について「花子に本をあげたこと」を言いたい文です。
b のように、《「花子に本をあげた」という「動作の主体が太郎であること」を言いたい文》ではない、という点が極めて重要。
あくまで、

・「太郎」について言ってみれば~、

という意図で主題として太郎を提示しているにすぎません。
人は、こうした意図で主題を提示したくなる気持ちになることがある生き物である、というようにお考えになることもできます。
同じように動作主体が述べられている場合でも、話者の意図次第でこのような違いが生じるということです。
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過去にいろいろな学説も出ているようなので、いまさら素人何か書くのは……とは思いつつ。


 当方は下記のように考えています。
 以下デアル体で失礼します。
【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方  教えてgoo〈1〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12285486151.html
===========引用開始
1)問題(topic)の下に答えを持ってくるよう予約する
2)対比
3)限度
4)再問題化
 
 この分類はよくできていると思う。ただ、同書の解説がホニャラララ。サラリと読んだときには「なるほど」と思ったが、じっくり読むと……。
 詳しくは↑のチャレンジ日記の〈1〉を読んでほしい。
 で、改訂版(エラいセンセーの説に改竄を加えるのは、とっても失礼。よい子は絶対にこういうマネをしてはいけません)。

1)主題
2)対比
3)限度・強調
4)その他
===========引用終了

「私はその本はもう買いました」

1. 「本」は目的語ですか。
 ほぼ目的語と考えてよいと思います。「を」にしてもほぼ同じなので。
 なぜ「は」にするのかというと、↑の分類でいうなら「2)対比 」のニュアンスがあるから?
「この本は」買ったが、「あの本は」買っていないという含みがありそう(現段階では不明ですが)。
 
2. 「は」がついているから主題ですか。その本について言えば、私はもう買いました。
 上に書いたように、「対比」と考えるなら、「主題」ではないだろう。
 
3. 目的語でもあり、主題でもあるのですか。
 違うと思います。

4. 「私」も同様主語でもあり、主題でもあるのですか。
「同様」の意味が不明。「本」は〈主語でもあり、主題でもある〉ではない。
「私」は〈主語でもあり、主題でもある〉
「は」で表わされる「主題」のうち、大半は〈主語でもあり、主題でもある〉(と考えるほうがわかりやすい)。
【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方  教えてgoo〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12289659876.html
===========引用開始
 〈1〉では助詞のハの80%は「主題」と書いた。
 一般の方々は、こういう記述を見たときに「主題ではなく主語を表わすのでは」という疑問が湧かないのだろうか。このあたりをちゃんと説明しないと、「主語」「述語」になじんできた日本人にはピンと来ない気がする。
「日本語には主語がない」って考え方はそのとおりだと思う。
 そのとおりだとハ(強調? 再問題化?)思いながら、自分の中にも納得できない気持ちがある。
「私は学生です」の「私」は主語じゃないのか?

 基本を理解するための考え方として、これは「主語」でもいいと思う。厳密に言うと「主語」ではない、と考えるのは上級者の仕事。もちろん、日本の国語教育が「日本語には主語がない」という考え方をしてくれて義務教育の段階でそう教えてるなら、それでもいい。
 現実には「主語」「述語」で育ってきてんだから、それを引っ繰り返すのはたいへんじゃないかな。だったら、そのまま「主語」でいいじゃん。「日本語には主語がない」と考えるのは、専門的な勉強を始めてからで十分だよ。
 もちろん、「主語」とはいいにく例も多々見られる。「きょうは……」あたりが典型だろうか。
「きょうは私がご飯を作る」の主語は……「私」だろうな。
===========引用終了

5. 「私は」の「私」は主題であって主語ではないというようなことを言う人が時々いますが、これは間違いですか。
「間違い」ではない。
 むしろ、論理的に考えるなら〈主題であって主語ではない〉になる気がする。
 でも、大半の日本人は異和感があるだろう。

 下記のような考え方もある。庵 功雄の名前で検索すると、ネットでも相当の情報が入手できる。
【「は」と「が」の使い分けを学習者に伝えるための試み】
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/7 …
===========引用開始
2.2 主語でもある「は」と主語ではない「は」
日本語教育という観点から最も重要なのは,「は」と「が」の位置づけである。 すなわち,「は」には「主語でもある「 は」」と「主語ではない「 は」」があること,
「が」は基本的に「主語」を表す(5)ことを教師側が認識し,そのことを学習者に伝 えることが重要である。
「主語でもある「 は」」と「主語ではない「 は」」はそれぞれ次のようなものであ る。
(3) 田中さんはこの本を書いた。 主題&主語
(4) この本は田中さんが書いた。 主題 主語
(3)の「田中さんは」は「は」がついているので「主題」であり,かつ,「書く」 という動作の主であるので「主語」でもある。一方,(4)の「この本は」は主題で はあるが主語ではない。「書く」という動作の主である主語は(3)と同じく「田中 さんが」である。
===========引用終了

 ちなみに……。
「私はその本はもう買いました」は相当不自然な気がする。
 こんな短い文に「ハ」は使うべきではない。
 通常なら「その本はもう買いました」ぐらいだろう。
「私」でなく「彼」が買ったのなら
「その本は彼がもう買いました」
 ぐらい?
 あるいは
「その本なら私はもう買いました」という書き方もある。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「その本はもう買いました」の「本」に関して、

> 3. 目的語でもあり、主題でもあるのですか。
 違うと思います。

> (4) この本は田中さんが書いた。 主題 主語
(4)の「この本は」は主題で はあるが主語ではない。

前者の「本」は主題ではない。後者の「本」は主題である。
ということですね。矛盾してませんか。

お礼日時:2022/10/24 14:41

No.1 です。



助詞「は」について補足しておきます。

「は」には特殊性の認識を表す<副助詞>と普遍性の認識を表す<係助詞>の二種類があります。挙げられた文の「は」はどちらも特殊性の認識を表す<副助詞>で、他の人ではなく私、他の本ではなくその本という、私、本の特殊性の認識を表しています。他で言われている比較・対照、他と区別する認識が前提にあります。

  これで【は】ない。
  あそこだけ【は】行きたくない。
  ここに【は】ない。

などの、助詞や助動詞に続く場合も特殊性の認識を表す<副助詞>の「は」です。そして、個別性の認識を表す格助詞「が」と組合わせ、

  象【は】鼻【が】長い。
  紳士【は】金髪【が】お好き。
  牡蠣料理【は】広島【が】本場だ。

のように使用されます。

これに対し、普遍性の認識を表す<係助詞>の「は」には比較・対照の認識はなく、対象の普遍性の即面を捉えた、普遍性の判断を表すものです。

  吾が輩【は】猫(猫族の動物)である。
  江戸【は】神田お玉ヶ池の赤胴鈴之助だ。
  万葉集【は】歌集である。
  地球【は】丸い。
  天皇【は】、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位【は】、主権の存する日本国民の総意に基く。(第一条)

のように使用します。この中に所謂主題と言われる場合があります。ただ、主題というのは文レベルの概念ではなく、文レベルではあくまで主語です。

この「は」も、個別性の認識を表す格助詞「が」と組合わせ、

  反作用【は】つねに作用と方向【が】反対で、大きさが等しい。
  
のように使用されます。

このように、「は」に意義の異なる二種類があるので、これをきちんと区分しないと混乱します。■
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#6ですが、ちょっと補足しておいた方がよさそうなので、またおじゃま致します。



「は」には特殊性の認識と普遍性の認識を表わす【二種類】があると言っている方がおられますが、「は」の本質的な意義は[ 主題提示 ]というただ一つです。

「A について言うならば B だ」と言いたい場合に「A は B だ」という主題提示を使う。

ということを覚えておけば、それで十分ですし、それが本質的な意義だということ。
《本質的意義》というのは、どういう意味かと申しますと、

人間とは何かを表現し、何かを伝えたい生き物であり、たとえば、何かについて何かを述べたいという本質的な欲求がある。

という基本的な命題に基づいて申し上げている次第。
そして、《何かについて何かを述べたい》場合には「A は B だ」という構文を使うわけです。

その中で、
《A 以外を意識せずに A を主題提示したい場合》があります。
これが三浦つとむ言うところの普遍性の認識というやつ。
また、
《A 以外を意識しながら A を主題提示したい場合》
もある。
これが三浦つとむ言うところの特殊性の認識というやつ。
《何かについて何かを述べたい》という認識については全く同じなのです。
何も難しく考える必要はありません。
そもそも本質的な意義が複数あること自体が不自然であることに気づかなくてはいけない。

「が」も含めた全体的な視野からまとめておりますので気が向かれましたらご一読いただけると光栄です。
https://blog.goo.ne.jp/hakowin1
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No.1 ですが少し補足させていただきます。



”三浦つとむ”の名を騙り滅茶苦茶なことを言われている方がいますので誤りを指摘しておきます。

言語は規範を媒介とした表現であり、意味を伝えるもので、語は意義を表します。

>>「は」の本質的な意義は[ 主題提示 ]というただ一つです。

などというのは単なる結果としての機能に過ぎず、語の意義とは関係ありません。三浦は当然ながら、そんなことは一言も言ってはいません。

三浦がどのように言っているのかは、下記他を参照下さい。

「が」と「は」の使いわけ
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9627 …

助詞「は」「が」と個別/特殊/普遍について
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9929 …

なお、三浦の著作

三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部 認識の発展』(勁草書房・1967年刊)の内容は下記を参照下さい。

http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=%E8%AA%8D% …
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