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国民統合というのはナショナリズムの基本であって、そのナショナリズムの中枢に天皇を持ってくるという日本国憲法は、完全な天皇中心主義なのではないですか?

A 回答 (3件)

国旗や国歌は、多くの国では国家の象徴とされています。


しかし、日本では、国旗と国歌が正式に国の象徴とされたのは1999年の「国旗及び国歌に関する法律」が制定されてからのことでした。

天皇の国家の象徴とされたのは1946年に発布された「日本国憲法」だが、現実問題として天皇が日本の象徴して機能し始めたのは古代から、遅くとも平安初期の頃からでしょう。

「完全な天皇中心主義」という言葉の内容は測りかねますが、ナショナリズムの中枢に天皇が存在していることは事実であると思います。

問題は、その「ナショナリズムの中枢に天皇が存在していること」という事実が、日本国内および諸外国との関係性に置いて、そのような意味を持ち、どのような影響を与えているのか。その辺だと思います。

ご質問文の調子からは、「ナショナリズムの中枢に天皇が存在していること」が大きなマイナスに捉えられており、だからこそ「完全な天皇中心主義」という私には違和感が生じる言葉が使われたのかという印象があります。

ぜひ、その「完全な天皇中心主義」の内容と評価について、もう少し具体的にお話を頂ければと思います。宜しくお願いいたします。
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その通りだと思います。




途上国が途上国なのは、国民が統合
されていないからです。

統合されていないので、年中、内乱
などをやって、それで経済が発達
しないのです。
イラクやアフガンなどがそうですね。

それで、国家は国民を統合するために
手練手管を使うわけです。

戦争もその一環です。
戦争ほど、効果的なモノもありません。

国旗とか国歌なども同じです。

文化的なモノとしては、言語や歴史を
利用する、というのもあります。

天皇もそうした統合ツールの一つです。


日本だって、幕末時は薩摩藩人、
会津藩人という意識の方が強かったのです。

そこで、山縣有朋と西周が相談して天皇を持ってくることにしました。
お前等は、薩摩藩人という以前に、
天皇が治める日本という国の国民だ、日本人なのだ。
これが成功したわけです。

これを国民国家といい、アジアで最初にこの
国民国家樹立に成功したのが日本で、
中韓などは大きく遅れを取りました。

アラブの春を見てください。
シリア、リビア、チュニジア、エジプト、
みな共和制国家ですが、大混乱です。
これに対し、モロッコ、カタール、バーレーン、
オマーンなどの王政国家はみな安定しています。

数千万、億の人々を統合するのは
大変なことなのです。
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まあ、そういう見方をすれば確かに「天皇中心主義」ですが、実際に「日本」という国の国家統合の基本は「天皇」なので、当然といえば当然です。



私たちが忘れてはならないのは「日本という国は、天皇の先祖がいなければ、民族として成立していたかわからない」という点です。

たとえばイギリスは、ローマ時代に侵攻を受けた地域とそうではない地域で別の国が成立し、いまでもイギリスは「一つの国・一つの民族」ではなく《4つの国が統合した連合国家》という形式をとっています。だから「スコットランド独立運動」というようなものが起きるし、それが不可能ではないです。

しかし日本は歴史的に、天皇を頂点とした朝廷が国家を作り、統治をしてきた国家で、たとえば「四国だけ独立しよう」ということはありえません。(沖縄は別の王国だったので、やろうと思えばできますが例外です)

つまり「日本国」とか「日本国民」という枠組みをつくったのが天皇である、わけですから「日本国の統合の象徴」というのは、事実であって、それを「天皇中心主義」というならその通りです。
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