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社会主義の立場から戦争反対をとなえた、とはどういうことですか?具体的な考え方を教えてください

質問者からの補足コメント

  • 日露戦争のあたりを勉強中です。開戦にあたって反戦論を唱えた社会主義者がどのような観点から反戦論を唱えたのかを知りたいです。

      補足日時:2023/01/12 14:55

A 回答 (6件)

飽くなき利益を追求する


資本主義だから、帝国主義になった。

帝国主義だから植民地主義になり
植民地を巡って、戦争になったのだ。
(第一次大戦のこと)

だから、資本主義をやめて社会主義に
すれば戦争もなくなる。

社会主義の理想たる共産主義に至れば
国家は否定されるので
戦争もあり得ないことになる。



○帝国主義とは
国家が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、
他国や他民族を侵略し、
強大な国家をつくろうとする思想。
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当時の社会主義は、天皇主権国家の富国強兵政策に基づく軍国主義に対抗した「平民主義」と「平和主義」に立脚している。



当時の社会主義とは、すべての国が社会主義の理想に共鳴すれば、庶民に自由な世界となり、戦争がなくなる。平和になれる。世界的にそういう流れで社会主義が主張されていた。

だから、世界中の社会主義者たちは日露戦争に反対した。その動きは日露双方からも出ている。
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>日露戦争のあたりを勉強中です。


どうしてそういう情報を最初に書いてくれないのでしょうね・・・・・

当時はロシア帝国であり、社会主義体制には組み込まれていません

そうなると、兵士として動員される末端の農民や労働者を守るという観点で考えても良いでしょう
特権階級はそもそも徴兵されないとか兵員となっても優遇されるなどがあり
命を掛けるのは貧しい人々=社会主義へのシンパシーのある人達
守る価値があるでしょう
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検索すると


特に日露戦争時の反戦・平和の主張をさす。1903年日露国交が緊迫化すると《万朝報》による理想団の黒岩涙香,幸徳秋水,堺利彦,内村鑑三は非戦論を展開。その後黒岩が主戦論に転ずると3人は退社,幸徳,堺は平民社を創立して《平民新聞》を刊行,社会主義の立場から反戦を主張。内村は《聖書之研究》により非戦を訴えた。→反戦運動

社会科で学ぶ有害内容です。戦後の赤教科書のままなんですね。学生の時こんなデタラメを刷り込まれると無責任な人間になります。

反戦というか戦わない平和な時代を築いたのは徳川家康。幸徳秋水,堺利彦,内村鑑三なんて歴史的検討、現実評価、反戦根拠も示さない空理空論のゴミ思想家です。
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共産主義者のプロパガンダです。

もちろんウソです。共産主義は人命軽視人権無視です。ソ連もその受け皿ロシアも好戦です。
日本の知識人とやらも戦争反対ですが知識がないから戦争反対を唱えます。侵略国家には何一つ抗議しません。逆に日本が武装解除すれば戦争が起きないと正しいことを言っています。なぜなら皆殺しですから戦争ではないですね。
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その状況説明がシンプルなのでよくわかりません



社会主義とか思想的なものが根本にあるのなら
単に平和主義ってわけじゃなくて
資本主義陣営と社会主義陣営との対立の中で、市民の行動に自由がある資本主義国で社会主義陣営への支援活動の一環としての反戦活動という可能性もありますが・・・・

単純な平和主義なら共感できるけど

社会主義的な裏の目的があるなら、共感しにくいなぁ

という考え方
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