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秀吉が朝鮮から拉致してきた人達について、諸大名により捕虜とされていた朝鮮人7万人の内、家康の時代に、返還された朝鮮人は何割?
朝鮮通信使を3回行ってます。

A 回答 (2件)

豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、朝鮮側から捕虜として連行された朝鮮人は、推定で7万人以上とされています。

しかし、この中で返還された朝鮮人の具体的な数については、正確には分かっていません。

ただし、江戸時代に入り、徳川家康が朝鮮との関係を重視するようになると、朝鮮人捕虜の帰還が促進されました。その結果、多くの朝鮮人が帰還し、帰化したり、日本に残ることを選んだりしました。

一方、朝鮮通信使については、1590年代に3回にわたって日本に派遣されました。これは、朝鮮との外交関係を維持するためのもので、通信使には、高官や文人、技術者などが含まれていました。また、朝鮮からの帰国時には、日本側からの贈り物や文化財が贈られるなど、相互の交流が行われました。

以上のように、朝鮮人賊のうち、家康の時代に返還された具体的な数については分かりませんが、朝鮮との外交関係を重視した徳川家康の時代に、多くの朝鮮人が帰還し、日本社会に受け入れられたとされています。
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秀吉が拉致させたのではありません。

秀吉はたびたび奴隷狩りの禁令を出しています。
それを破って奴隷狩りに狂奔していたのは島津ですね。島津は日本国内でも奴隷狩りを行なって秀吉の逆鱗に触れていましたから。
結局、島津が攫ってきた奴隷の返還は有耶無耶になって薩摩藩の領民になりました。
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この回答へのお礼

九州のキリシタン大名が人身売買に加担してたなんて、領内には住みたくないですね。
異国の宗教に洗脳されて、自分も日本人だって事まで忘れてしまったんでしょうかね。
秀吉がイエズス会の宣教師を呼びつけ、なぜ日本人を奴隷にするのか詰問したら、「売る人がいるから」と回答したらしいけど、この回答、今もどっかで聞いたことがありますね。

お礼日時:2023/03/12 00:37

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