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いい歳になって、独身とか仕事が安定してないとか
その上蓄えもなくて呑気とか。
自分の老いや家族の老い、死への恐怖があります。

ネガティブなことばかり考えてしまうというか、
いつか家族とも別れが来るし、若い頃は結婚して子育てとか漠然とイメージしていましたが、そうも行かず今は、そんな人とであってもいつかは別れると考えてしまいます…
結婚とか、子どもとか諦めてという気もあります。

お金の事とか、性格だとか老いとか人と比べ、無いものばかり考えてしまうのですが楽になる方法はありますか?

A 回答 (11件中1~10件)

瞑想ですね。

瞑想をするとするほどこれぐらいの問題は容易に解決します。お釈迦様がやっている呼吸瞑想が一番お勧め。

まぁ、やらないと解決しないがね。
この問題を解決したければもう行動以外のなにもない。
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死後の世界の事を理解されれば良いと思います。


初期の頃の話です。

普通、自分は物質的な肉体が自分だと思っていると思いますが
肉体は単なる物質的な入れ物で
自分と言う魂が抜けると
単なる肉の塊(かたまり)になります。
肉の塊ですから、単に腐って行くだけです
しかし、実際は
物質でない「魂」が自分と言う本質なのです。

死は突然に訪れます
自分と言う存在は魂の方にあった事が解ります。
肉体は貴方が動かす自動車のような物だったのです。
運転手の貴方が動かす自動車です。
貴方が車から降りると自動車は動かなくなります。

死ぬと肉体から霊体が離れて、
自分は霊体の方に存在しているのが解ります。
と言うのは
自分が今まで寝ていたベッドの部屋の上から自分を見て、
医師や看護師さんが下の肉体に慌ただしく何かをしている姿を見て
自分が死んだ事を理解し
死と言う物はこう言う事かとも理解します。

死んでもしばらくは
そのままの考え、思考力で魂として生きています。
死ぬ5分前と5分後では何も変わらないと言います。

その後、
自分が死んだ事を認識し
その事を色んな人に知らせようとします
すると思い出すだけで
その知らせたい人の所に移動できる事が解ってきます。
瞬間に移動します。

そして、
色んな人に自分の死を知らせて回ります。
この時、受け取る側は「虫の知らせを受けた」とか
言う表現の現象が起こっています。

この時、時間も超えて移動できる状態にあります
ですから
虫の知らせを受け取った時間が
本人がまだ生きていたと言う現象も起こります。

その後、
時間も自由に移動できる事から
過去に疑問に思っていた事も解決?(意味を理解する)
(なぜ、あの人は、あの時、私にあんな事を言ったか?等)
と言う事が理解出来るようになります。
見たい物は、ほとんど全部見る事が出来
なぜそうなったかと言う事や、
他のほとんどの事が理解できる状態にまでなります。
もうこれ以上見ておく物も無いと思うまでになります。

そうすると、
本人より先に死んだ人で
本人がもっとも心の許せる人(一番信頼できる人)が、
そばに来て
「もういいですか?」
(疑問に思っていた事を全部解決しましたか?と言う意味です)
「これ以上確かめるものは無いですか?」
「ついて来なさい」
と言って手をさしのべてくれます。
そして、その人と一緒に天国に行きます。

この間
こちらで言う所の49日と言う時間になりますが
この49日は正確では無いです。
仏教がこの期間の事を目安として伝えただけです。

この頃に死後覚醒が起こり
肉体を持って生きていた時とは
別の精神状態になって行きます。
それまで歩んできた色んな人生を回想できるのもこの頃です。
この事を「振り返り」と言いますが
生きていた時の事を全部、詳細に振り返り
反省する所は反省を指導霊に促されます。

その後、天国に向かいますが
天国に行っても終わりません
ここからが始まりです。
生きていた時の精神的な成長度合いで
進める世界が変わって来ます。

あまり成長をとげてない人は
天国の小学校の1年生に入学です
もう少し成長した人は中学校
もっと成長した人は大学くらいから
そこで、霊としての生活と勉強が始まります。

生活は自分の望む生活で
暑くも無く寒くも無く
食べる物も着る物も
何でも揃っている貴方が望む生活になります。

高度に進化した文明では
死後の世界が存在して
自分の魂は永遠に存在し
輪廻転生が起こっている事は
常識になっていて子供の頃に
しっかりと教育されるそうですよ!

この先はまだまだ長いですので
この辺で終わります。

続きはこちらです
ジョージ・ミークの天国で進める世界
http://blog.livedoor.jp/life_trekker/archives/96 …
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老いや死が怖いです


 ↑
エリクソンの老年的超越理論というのがあります。

超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。

これによれば。

たとえ寝たきりになっても、100歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれ死ねる。

そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。
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心療内科に行ってください。

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> いい歳になって、独身とか仕事が安定してないとか


その上蓄えもなくて呑気とか。

お金は努力次第でなんとでもなります
家族の介護はできないならそういう届出を出したらいいだけ
非モテなら精一杯努力したら変わる可能性もあり
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死を受け入れて、死とともに生きることが、大人になるということなので。

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避けられないのだから開き直るしかないですよ。

皆必ず死ぬんですよこれだけは平等です。
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私も同様のことを考えていた時間が長かった記憶があります。




でも【それでも生きてきた現実がある】と考えると、無事で済んだとも感じます。もし手に入れていたら大変な事態になったことがあったかもしれなくて。結婚や子供の存在は自分の想像を超えるのではないかと。


手に入らなかったことは、今の自分にはなくてもよいことと思うようにしています。今後何がどう変わるかわかりませんけど。


また、次の時点で消えてしまうことであっても、いつ悪くなると考えられることでも、将来別れがくるとわかっていることであっても、

【体験したことはその後の未来を生きるエネルギーになる】

ことも確かだと思います。「思い出」ってそういうものでしょうし。心のエネルギーになったり。


生きる目的としては「思い出作り」もあるような気がします。それが心の支えになったり、年齢を重ねても作れるのでは。


それと、相手があることはこちらの思い通りにもならないので、想定外の苦労や辛さ、悲しみなども同時に想像する必要もあると思います。


手に入らなかったこと、実現できなかったことは、必ずしも良いことにつながるわけでもないのではと。悪い現実の想定がなかったりしますし。


ご自身にとっての「有るもの」とか、「楽」はどんな状態か?などを見直してみると、少し落ち着けるのではと思います。


私は都内在住の46歳会社員男性です。地方の田舎出身です。生まれつき血液が固まりにくい持病があって、生まれた直後からお尻が内出血で腫れたり、生活しているだけで関節内部で内出血を起こしたりして腫れて激痛が走る症状が起きたりしていろいろある人生を生きてきました。

「内出血がいつ起こるかわからないのに頻発するし、きっかけがわからない」という怖さがずっとあるので。生きている間はずっとです。いつまでかはわかりませんが。顔に内出血は経験がありましたが、脳や頭の内部での出血は避けられてきたので生きています。

学生時代も、傷みながらも無理して動いても、毎年合計30日間は動けなくなる状態になったりして、学業や人間関係も大変でしたし。病気が遺伝性のものだと16歳のときにかかりつけの医師に説明を受けた際、「こんな病気で同じ激痛と苦しみを子孫や家族に困らせたくない。自分の代で終わらせる!」と思って生涯独身を決意して今に至ります。高校時代に生物の教科書の遺伝の項目に、私の病気の家系図が掲載されていて、担当教師が説明を飛ばした時もショックでした。ネットもない時代で、本当に苦しい状況がたくさんありました。


生物の教科書の家系図と同じものは、16歳の時に医師から見せられていたのですが、16歳当時はそこに描かれている人の印が泣き顔に見えたので、未来の子孫や家族を泣かせたくないとも思いました。


いろいろなことがたくさんあって大学進学した後、大学の健康診断時に病気の症状が出て、学生課から持病について問い合わせや連絡が何度か来て困ったこともありました。医学部のある大学だったので、大学側が慌てふためく様子が疑問でしたし。私の持病は30年ほど前に薬害問題で取り上げられた病気だったので、大学側に誤解が広がっていたようでした。



独身でおそらく一人で人生を終わるだろうと思っている私ですが、親世代以前の親族や、既婚者の友人たち、ご近所の方々や知り合いのケースなど、多くの人生模様を参考にしてきました。相手があることはいいイメージだけでなくて、予想できないトラブルも多いし、悲しみもあるし、自分ではわからないことが何かとあると知りました。

私の場合、いまも左ひざの内部に起きた過去の数百回以上に及ぶ内出血の後遺症で、曲げ伸ばしができない状態なので、いずれにしても「いつの瞬間の内出血が体のどこに起きてもそこで人生が終わる」という恐怖心を抱えながら生きています。


ちょっとお腹に力を込めただけでも尿に血液が混じるダメージがあるので、体の力の入れ方を間違えるといつでも人生が終わる怖さがある人生で。


それが、もし歩けない状態になったとしても、その状態に対して内出血の症状が続いていく恐怖もあって。体を動かせるときにできることをしないとと。


ちなみに、私の持病対策の製剤も世の中にはあるのですが、今までの人生のうち16歳のときに2度だけ注射した際、一本目で体が拒否反応を起こして発熱したり関節が痛んで動けなくなり、その症状を病院に伝えてかかりつけの医師にもう一本製剤を打たれた途端全身が動けなくなり、なんとか病院の玄関まで両親に肩を支えられながら歩いて移動し、実家に帰宅してから注射は打たなくなりました。


私自身も、今の仕事をどの時期まで続けられるかといえば、いつ終わるかわからないです。持病の影響の方が可能性が高いですし。


いま、昨日録画しておいた朝のニュース番組を再生して視聴していました。番組ではフランスで開催された「第十回国際アビリンピック」を紹介していましたが、不自由な状態を抱えながらも技能で日本代表の方々のさまざまな技術に感動していました。歯科技工、英文ワープロ、電子機器組立、ネイリスト、データ処理、機械CAD、写真撮影、フラワーアレンジメント、洋裁、コンピュータプログラミング、ホームページ作成、データ処理、ポスターデザイン、英文ワープロ、クリーニングサービスといった競技に出場された選手の方々がいらっしゃいました。


年齢を重ねるなかで、世の中の人たちの生き方から学ぶこともありますし、第一回の「国際アビリンピック」が日本で行われたことを知ったり、私が知らない分野にも生き方のヒントがあると思っています。


私には姉妹もいますが、私自身は独身ですし、一人暮らしをしているので、日常的に体に起こる内出血の対処は自分ひとりで行っています。「もう歩けなくなるのでは?」と思うこともしばしばで、十数年前に肋骨の内側に内出血が起きて、足首から鎖骨のあたりまで全身が腫れて紫色になったときは「ヤバい、終わった」と感じました。吐く息に血の匂いがして。そこからひざなどが曲げられなくなり、歩くときに腹部が痛むようになって松葉づえをつくようになりました。


でも、素直で正直な自分の目線、自分が感じたこと、考えていることを一つひとつ確認していくと、世間の考え方と違うこともありました。そうやって、自分自身の価値観を確かめていきました。


世間の価値観に合わせた見方をしすぎると、自分が素直に求めていることもわからなくなる気がします。


誰かとかかわる機会を作っていったり、技術を身に着けたり、国際的な話題に目を向けたりしながら、【これから得られるものに気持ちの焦点を合わせる】というのも生きる力や希望になるのではないでしょうか。
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常に悔いのないように生きれば良い。


そうすれば「今死んでも良い」と言える生き方ができますよ。

ちなみに自分は「今死んでも悔いはない」と言えます。
ジジイになりつつあるオッサンですが、仕事にも友人にも恵まれ昼間は楽しく過ごしていますよ。(睡眠時間は極端に短い)
その友人たちが幸せになるところを見ることが今の楽しみです。

・・・

ってことで、とりあえず友達をたくさん作れ。
そんだけで今のその気持ちはガラッと変わるぞ。
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ステージⅣと言われた時、なんかまあいいかと思いましたね。

おそらく、人としての種の全う、結婚も子どももできてそれなりに満足してるからでしょうね。
ここてよく発生する、年寄りや女性を卑下する輩には、哀れさを感じます。ああ、家庭が楽しくないんだなと。そんな虫以下でなければいいんじゃないですかね。
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