1.
▲ (アウグスティヌス:動物と共有する情念にかかわる愛について) ~~
2. したがって 愛の力は非常に大きく 愛によって長らく思惟しており
気遣いの膠(にかは)によって固着していたものを 自己を思惟するために或
る仕方で〔自己に〕還帰するときでも一緒に連れ込むほどである。
3. それは 精神が肉の感覚をとおして外側で愛好した物体である。
4. 精神はそれとの長くつづいた或る種の親密な交渉によってそれと縺れて
いる。だがいわば非物体的な本性の領域である内面へ物体そのものを一緒に引
き入れることは出来ないから 物体の似像(にすがた)を思い廻らし 自分で
つくり上げたものを自己自身の中へ引き入れるのである。
5. その似像をつくり上げるとき 自分自身の或るものをそれに与える。
6. しかし精神は自分のうちに このような似像のかたちについて自由に判
断する能力を保持している。これは適切な意味で精神であり 判断するため保
持されている理性的な知解力である。
7. 物体の類似によってかたちづくられるあの魂の部分を私たちは動物と共
有していることを知っている。
(アウグスティヌス:『三位一体論』第十巻・第五章 中沢宣夫訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
8. ところが 聖書は こう言う:
▲ (パウロ:情念を超える?)
9. キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十
字架につけてしまったのです。
(『ガラテヤ人への手紙』5:24)
10. ならば キリスト者は 《二重基準 double standard 》を持つのか?
11. この二枚舌の壁をクリアしようとするのが 〔このいまの情念編から
伸びて〕煩悩ないし欲望一般にかんする思想≒生活態度としての《無住処涅槃》
ではないかと思われる。
12. いまの主題のままでアウグスティヌスの考えるには こうである。:
▲ (アウグスティヌス:肉の情念とよき意志と人間の試練) ~~~~~~
13. さて生殖器に内在する肉の欲望を婚姻の純潔は善く用いるのであるが
しかもその欲望は〔アダムの〕堕罪後の今は 欲望は精神の法に反しつつ 生
むべき原因がないときにも 性交すべき刺激を与えるようなものであると私た
ちは考える。
14. もしそれに人が屈服するようなら罪を犯しつつ満たされる。もし屈服
しないなら 同意しないで 制御される。
(『三位一体論』13・18)
15. だから 魂は 善き意志によって 私的なものとしてではなく公共的
なものとしてこのようなものを愛するすべての人によっていかなる偏狭や嫉み
なく清らかな抱擁によって所有される 内的なもの 高みにあるものを捉えよ
うと自分のためであれ 他者のためであれ 気遣うなら 時間的なものの無知
によって――魂はこのことを時間的に為すから――或る点で誤り そして為す
べきようになさなくても それは人間の試練に他ならない。
16. 私たちが いわば帰郷の道のように旅するこの人生を 人間にとって
常なる試練が私たちを捕捉するように送ることは偉大なことである。
17. それは身体の外にある罪であって姦淫とは見なされず したがって容
易に許されるのである。
18. しかし 魂が身体の感覚をとおして知覚したものを得るために そし
てそれらの中に自分の善をおこうとして それらを経験し それらに卓越し
それらに接触しようとする欲望のために或ることをなすなら 何を為そうとも
恥ずべきことをなしているのである。・・・
(同上 12・9)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
19. 果たして この思索において人は タテマヘとホンネの溝を埋め得て
いましょうか。
20. 無住処涅槃とは 《肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》
とみづから宣言しつつ 《欲情や欲望のかたまりである凡夫(凡人)である状
態に いつも激しく接している》という生活者である。
21. ということは 実際問題としては 生活日常の中におけるふつう一般
に出遭われ紡がれてゆく二角関係が いわば巡礼の旅路でありまた《帰郷の道》
であるごとく おくられている。
22. ニルワーナ(涅槃)を言うからには 《試練》をともなっているので
あろう。
23. ▲ [16] 人生を 人間にとって常なる試練が私たちを捕捉する
ように送ることは偉大なことである。
☆ か?
24. この二角関係における相互主観性をめぐって いまかえって問題をあ
いまいにしてしまうおそれのある提案をあえてするとすれば そこに《ものの
あはれを知る》といった一つの参照事項をおいてみたらどうであろう?
25. 《時間的なものの無知》についての知を得ておこうというコンタンに
おいて。
A 回答 (16件中1~10件)
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No.15
- 回答日時:
これはbragelloneさんだから言うのですが、わたしも、これからどうしたものかと思案していました。
それは、いつまでこのようなQAサイトで質疑応答議論を繰り返せば、最終的な答えに行き着けるのだろうと言う事です。
たしかに、それぞれの時点での、答えや辿り着く地点、禅師の回答、更新はあるのです。しかしいつまでこのやり取りを続ければよいのかという不安や不満が、自信のなさや人間不信に基づき起こるのです。
始め良く、中ほどに良く、終わりも良い話を今回は出来ましたが、これからもそう在りたいものです。
結局は、私は問い、求めているのであって、それを堂々と述べることが、対等と平等と言う事であり、その相手が誰であろうとも、そうなのであるということが、往相にして還相を為すことなのであろうと思いました。
これでいいのだと思います。
常に初心であって、物事の真髄を究めようとしているその事が人のありえべき真の姿だと思われるのです。
維摩詰のような、病める菩薩であることもまた、正解なのだと思えるのです。
誰にもバレず、僭称せず、通じる時には通じる、その様な人でありたいと思います。
★ これはbragelloneさんだから言うのですが、わたしも、これからどうしたものかと思案していました。
☆ そうですか。
つまり 基本として これまで問い求めて来た主題や問題追究をなお推し進めていくことに変わりはないですが それにしても 一方で・一部の人たちには理解してもらえていますが 他方で――それはここでの体験として もう二十年近く時間を経ても―― 一向に普及しません。・・・思案します。
★ それは、いつまでこのようなQAサイトで質疑応答議論を繰り返せば、最終的な答えに行き着けるのだろうと言う事です。
☆ あぁ。えぇ。わたしの場合もまさしくそこです。
★ たしかに、それぞれの時点での、答えや辿り着く地点、禅師の回答、更新はあるのです。しかしいつまでこのやり取りを続ければよいのかという不安や不満が、自信のなさや人間不信に基づき起こるのです。
☆ そうですね。わたしの場合 経営学での修士で哲学は学府において専攻していませんので 初めの内は ドイツ観念論の系譜やギリシャ哲学などいろいろここでおそわりました。
そういった基礎が分かって来ますと 《哲学カテ》での――井戸端会議であってよいのだとしても――進展の遅さには 残念感がただよいます。
★ 始め良く、中ほどに良く、終わりも良い話を今回は出来ましたが、これからもそう在りたいものです。
☆ ええ。ありがたい思いです。
たとえばフッサールなんてほとんど知らないまま 質問しおしえを乞いました。当時は 素養のある人たちがいたのです。
ですから このカテに感謝をしていますが それにしても 不満を持つことも事実です。
【Q:日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?】
★ ~~~
結局は、私は問い、求めているのであって、それを堂々と述べることが、対等と平等と言う事であり、その相手が誰であろうとも、そうなのであるということが、往相にして還相を為すことなのであろうと思いました。
これでいいのだと思います。
常に初心であって、物事の真髄を究めようとしているその事が人のありえべき真の姿だと思われるのです。
維摩詰のような、病める菩薩であることもまた、正解なのだと思えるのです。
誰にもバレず、僭称せず、通じる時には通じる、その様な人でありたいと思います。
~~~
☆ 弁証法なる過程をゆくでいいのではないですかね。
No.14
- 回答日時:
喋るたこつぼと言うのは、自分の見解は主張するが他者の話は聞かない、というイメージを持ちました。
まぁ、ひとは議論する際に、持論に固執することもありますから、そういう事もあるあるですね。科学者は事実の追及をするので、新事実が出た場合には持論をあっさり撤回したりするのが科学者らしい態度ですが、哲学の場合は、それが自分の信念みたいになっていると、他者の意見を取り入れたり、訂正したりするのが難しいのかもしれません。
それぞれの哲学の目的が普遍性を欠くとまでは言えませんが、個人的な目的にとどまっている場合も多いのでしょうね。
ともあれ、これからも自然な母語による表現を心がけていきたいと私的には思います。
★ 喋るたこつぼと言うのは、自分の見解は主張するが他者の話は聞かない、というイメージを持ちました。
☆ ぴったしカンカンです。
★ まぁ、ひとは議論する際に、持論に固執することもありますから、そういう事もあるあるですね。
☆ いえいえ。完全に他人(ひと)の話は 無視なんです。ちょうどこのQ&Aの場だったんですが 質問者が回答者にふたたび補足質問するのは 一回だけだ(それが ここの規則だ)と言って 二度目はぜったい答えなかったんです。
★ 科学者は事実の追及をするので、新事実が出た場合には持論をあっさり撤回したりするのが科学者らしい態度ですが、哲学の場合は、それが自分の信念みたいになっていると、他者の意見を取り入れたり、訂正したりするのが難しいのかもしれません。
☆ でも 何らかの応答はするでしょう? もしくは 議論が進展しないと分かった場合には 見解の相違ですと言って 冷却期間を置きますね ふつう。
to agree to disagree ってあるぢゃないですか。
★ それぞれの哲学の目的が普遍性を欠くとまでは言えませんが、個人的な目的にとどまっている場合も多いのでしょうね。
☆ たしかにそれは 信条・信念となっている場合ですね。
★ ともあれ、これからも自然な母語による表現を心がけていきたいと私的には思います。
☆ 古代史をまなんでいたとき 《くにゆづり》を知ったときは ピンと来ましたね。
日本人の・一階なるスサノヲ市民は 自由・平等・ユヅリ愛が 心の根っ子にあると。
人間関係は ほとんどつねに《スサノヲ(従属。ただし主権者) - アマテラス(主導。ただし公僕)》連関として成り立っていると。
・・・
☆ こういった気づきについて これまで一通り問い求めて来ました。もう何度も同じ主題で質問を掲げて来ました。
これからどうしたものか。思案するところです。
No.13
- 回答日時:
真面目過ぎるのは私の欠点ですね(笑)
いつも、ユーモアが欲しいと自分でも思っています。
本質的なことを平易な言葉で話すと言うのは難しいことですね。
引用:☆ 自己還帰の問題として。
内容は 《荷を下ろして行きなさい。担ってあげよう》ではなく 反対の《あなた自身のしかるべき荷を負いなさい》と言っている。
しかも 《わたしの負ったくびきを同じくあなたも負いなさい》とまで。
これは 次元が違うのかも知れない。そういうかたちで有効なのかも。
これはいい話ですね。
また来ます。
こちらも尻切れトンボになってしまいましたが。
★ 真面目過ぎるのは私の欠点ですね(笑)
☆ まぁ 感じとしてそんなふうに思ったものですから。
★ いつも、ユーモアが欲しいと自分でも思っています。
☆ いやぁ そこまでは言っていません。関西弁もおもしろいです。
★ 本質的なことを平易な言葉で話すと言うのは難しいことですね。
☆ 特に 一言で特徴をつかむような言い回しは。
むかし 《しゃべるタコツボ》というニックネームをつけたら 大うけしたのですが。これは ヒキコモリではなくオシコモリ(押し籠もり)とも言います。
☆ 引用:☆ 自己還帰の問題として。 ~~~
内容は 《荷を下ろして行きなさい。担ってあげよう》ではなく 反対の《あなた自身のしかるべき荷を負いなさい》と言っている。
しかも 《わたしの負ったくびきを同じくあなたも負いなさい》とまで。
これは 次元が違うのかも知れない。そういうかたちで有効なのかも。
~~~
★ これはいい話ですね。
☆ あっ そうですか。ちょっと意外でしたね。ちょっと連想が浮かんで 話に出しておきたいと思ったのでした。ウケたでしょうか。
★ また来ます。
☆ 分かりました。
☆ 《アース役》というフレーズに 一転して人気が出るときが来るのではないかと ひそかにねがっています。
☆ あぁ そう言えば 通俗的に《あなたの十字架を背負って行きなさい》というようなことわざのごとき定型句がなきにしもあらずですね。
No.12
- 回答日時:
そうですね。
もう少し平たい言葉を用いていただけると、かなりスムースに話が運ぶように思います。アース役も、人の荷物を肩代わりするようなイメージよりかは、避雷針のイメージがあって、本来の接地(することによって電気を逃がす)のイメージが湧きにくいです。また、アースという名称は、清浄機のイメージとは少し離れているように感じます。
なので、荷を肩代わりするイメージを推し出すのか、清浄機のイメージを推し出すのかで、ロバとか、クリーナーとか、の比喩表現になるか。或いは、
(想念の)運び屋くらいで思い切りわかりやすくするか。
bragelloneさんは交通整理がどうとかも言っておられましたし、運び屋は丁度良い気もします。過積載厳禁、みたいな(笑)
厳密な意味を表現することも大事ですが、その言葉の廻りを念頭に置いておかないと、なかなか意味も通じにくくなってしまうかと思います。
なので、精確さを捨てて、汎用性を取ると言う事になるかもしれません。自然な母語で話すと言う事は。
この選択は良い所があります。大きな肉の塊を伐るのには牛刀を使い、小さな細工をするときには小刀をつかう。それに対して家庭料理では手ごろなサイズと価格の万能包丁一本で結構何とかなる、みたいな感じです。
今は、牛刀で切り分けなければならないような大きな概念(存在とか、生死とか)を扱う時でもなく、こまかい描像(覚りの縁起の仔細や信仰の実像の仔細など)を行う場面でもなく、生活と社会の描写と切り取りでありますので、使う言語も等身大のもので良いと思うのです。
なので命題としては、
(想念の)運び屋の荷物とは何か。
言葉もそうですし、行いを通じてこころも運んでいるわけです。まさしく風の様に。風(これは分かりやすく言えば息吹きですが)によって運ばれるものは命でなくてはならない。
つまり運び屋の荷物とは宝(命)のことだろうと思うわけです。
勿論、アース役の役目を考えればそこには塵や、ごみも搭載されることがある。
しかしながら、非難や批判、賞賛にさえも動じてはならず、当初の目的である 荷物=宝=命 を運ぶことに専念せねばならない。
で、この命とは具体に何かと言えば、目覚める機縁となる言葉や行いなのです。そして運び屋だから当然、往復便がある。荷物を渡せば受け取るものがある。領収証か、あるいは帰りの荷物かです。
信頼関係を超えた、普遍の平等な関係性において、馴れ馴れしくない友に対して、真実を述べる。真実を覚る何かを言う、或いは為す。
その真実というのが命たる、人の信じる所、人生を生きるための確かな指針、この場合は原理に目覚めさせるのです。その原理が、時には法と呼ばれる。法とはつまり本来は言語表現されたものではなく本質は、『その人の生きる決まり』ということになるでしょう。
その人のところに、各自が収まると言うわけです。
なので、
「bragelloneの生きる決まり」と言えばそれがあなたの法ですし、
「trigger_noteの生きる決まり」と言えばそれが私の法になります。
そして、この法は、二人、或いはもっと多数のその人に共通する同じものであるわけではないが、対立するものではありません。
何故なら法は、対等、平等の関係において目覚めるものだからです。
ううむ。なかなか むつかしい。
言う人の立ち場がちがっているし 言っていることの内容も反対なんですが 言わば趣きとしては 次のような感じなはずです。
▲ (マタイ福音 11:28-30 ) ~~~
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
~~~
☆ 自己還帰の問題として。
内容は 《荷を下ろして行きなさい。担ってあげよう》ではなく 反対の《あなた自身のしかるべき荷を負いなさい》と言っている。
しかも 《わたしの負ったくびきを同じくあなたも負いなさい》とまで。
これは 次元が違うのかも知れない。そういうかたちで有効なのかも。
ところで わたしの《アース役》は そのままほとんど一発で通じます。そして 一たんその――ごみ処理なる――意味を理解したあと どうもこの言葉として不人気なようです。意味は分かったが 自分としては使いたくないと。
ガミガミ役からガミガミ電波がやって来たときには 《アース役は つらいよ。けっこう毛だらけ 猫灰だらけ》などと言うとよい とまで言っているので 不評です。
《接地》は ゴミ処理として通じているようには思うんですが あとは イメージがよくないみたい。
★ 家庭料理では手ごろなサイズと価格の万能包丁一本で結構何とかなる、みたいな感じ
☆ これは そのままいただき・・・なんですが 候補のフレーズは 何となくピンと来ないんですが・・・。
★ つまり運び屋の荷物とは宝(命)のことだろうと思うわけです。
☆ ずばり硬すぎると思うんですが。
★ この命とは具体に何かと言えば、目覚める機縁となる言葉や行いなのです。そして運び屋だから当然、往復便がある。荷物を渡せば受け取るものがある。領収証か、あるいは帰りの荷物かです。
★ 法とはつまり本来は言語表現されたものではなく本質は、『その人の生きる決まり』ということになるでしょう。
☆ 趣旨としていただき。でもキャッチコピーとしては 真面目過ぎませんか?
尻切れトンボですが。
No.11
- 回答日時:
ご説明いただけて良かったです。
ほとんどの部分を理解できていませんでした。齟齬を詰めるのにスペースをいただきました。ありがとうございます。この質問で目指されている主題が何となくつかめてまいりました。
引用:☆ 言い訳に聞こえるでしょうが 《欲情や欲望に揺れる》のは 世の中で接するその相手の人たちの心的現象を受け留めている姿です。
ふむ。これは、構造的には例のアース役みたいな話でしょうか?他者のそれを肩代わりしているみたいな。
引用:☆ 言ってみれば感染から自由であり防衛の有無を考えていません。
免疫があると言う事でしょうか?
引用:☆ 自性清浄心なる姿は 相手にも多少なりと《感染》します。その結果 相手が心に葛藤を生じるようになるのです
清らかさがどのように相手に影響するのか、について少し私見を述べたいと思います。自性清浄心の人は相手に影響を与えないことによって、相手のありのままの姿を現せさせると考えています。つまり、相手に取り繕う事をさせない、相手が取り繕う必要が無いと言う状態です。これは背後にある信頼と、対等と言う事に基づきます。敵意などを感じず、安心できるので、虚飾や欺瞞から解放されると言う事です。
引用:☆ 一介の人間たるわれが――あたかも神に代わって――人びとのさとりとすくいにかかわっているということ ここにきよらかなおそれを感じます。
なるほど。そういう意味でしたか。
なかなか難しいですね。
今回のお話はやはり、病める菩薩と無関係ではないようにも思えましたが、同じ話ではなさそうです。神学の話もかかわっており、一口に理解し回答をするのが難しい。
つまり、自己の内から外に風は吹いているけれど、そこには変わらず自己(一介の人間)があり、その自己には欲念や妨げもある。心配することは何も無いが、その自己が心配をする。みたいな感じでしょうか。
まぁ、ぼちぼちと行きましょう。
引用:☆ 還相では必ず人がいる。他者がいる。相手がいる。回向といった務めがある。そして このときにも 思うように行かないものであり きよらかなおそれがあるはずです。
そういう事でしたか。理解しました。これは、諸々の方便が生まれた理由と同じですね。人々が人々である故に、廻向が思うようにいかなため、方便をもってこれを説く。
しかし還相の人が、往相の人の如く人々に接したならば、つまり教えを請う形と言う方便をもって人々の内に在ったなら、人々は自ら往相を、還相の手段でもって完遂するのではないだろうか。
つまり、人々は見下されるのを怖れます。上に立たれるのを怖れる。なのであるなら還相の人は下に立とうと言う話です。それで、往相の人に引き上げてもらうと言う姿を以て、往相の人を往相の人自ら引き上げるように仕向けると言う事です。廻向と言うのはこのようにある種テクニカルに行われたりもすると思います。
これなら菩薩の智慧と言うに相応しいと思います。
しかし最も良いのは、平等対等という境地であると思います。
そこでは、往相と還相を想定する必要がありません。そのまま、その二者関係において浄土(仏国土)が完成する。
ここでは救う側と救われる側が、同じ一者の内に実現するからです。
互いの、互いに対する指摘が、互いの見性を誘発する。
その様に考えました。
★ ご説明いただけて良かったです・・・
この質問で目指されている主題が何となくつかめてまいりました。
☆ それは 失礼しました。無住処涅槃には到っていたので安易に捉えていました。
☆ 引用:☆ 《欲情や欲望に揺れる》のは 世の中で接するその相手の人たちの心的現象を受け留めている姿です。
★ これは、構造的には例のアース役みたいな話
☆ です。人と場合によっては そのミラーニューロン現象は如実に手に取るように分かることがあります。
☆ 引用:☆ 言ってみれば感染から自由であり防衛の有無を考えていません。
★ 免疫があると言う事でしょうか?
☆ たゆたえども沈まず。うつった仮りの揺れは 実際に起きています。
☆ 引用:☆ 自性清浄心なる姿は 相手にも多少なりと《感染》します。その結果 相手が心に葛藤を生じるようになるのです
★ 私見を述べたい
☆ はい。
★ 自性清浄心の人は相手に影響を与えないことによって、相手のありのままの姿を現せさせると考えています。
☆ そうですね。《何もしないことによって》相手には何らかの反応が出るようです。
★ つまり、相手に取り繕う事をさせない、・・・虚飾や欺瞞から解放される
☆ つまりは そのようにして相手も自己に到来するのだと思います。そのとき ただし多少はシガラミのゴミや屑を片付けることになりますから 心の揺れや時には葛藤も感じると思います。
☆ 引用:☆ 一介の人間たるわれが――あたかも神に代わって――人びとのさとりとすくいにかかわっているということ ここにきよらかなおそれを感じます。
★ なるほど。そういう意味でしたか。
☆ はい。
★ なかなか難しいですね。
☆ そう思います。
★ つまり、自己の内から外に風は吹いているけれど、そこには変わらず自己(一介の人間)があり、その自己には欲念や妨げもある。心配することは何も無いが、その自己が心配をする。みたいな感じでしょうか。
☆ いや 問い詰めると複雑です。だから確かに:
★ まぁ、ぼちぼちと行きましょう。
☆ と成らざるを得ないと思います。そして そう簡単によき結果が出るわけではないです。よさそうな兆しが垣間見えたかなという程度だと思います。(おそらく 実際の自性清浄心の純度をあげていく過程にあるのだと思います)。
つづく
No.10
- 回答日時:
そうでしたか。
アウグスティヌスについては、読みこなしが必要なのかもしれません。【引用:☆☆ 20. 無住処涅槃とは 《肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》とみづから宣言しつつ 《欲情や欲望のかたまりである凡夫(凡人)である状態に いつも激しく接している》という生活者である。】
A.それで、建前と本音の溝ということなのですね。
人は、口ではどうとでも言えるものです。結局のところこの生活者は、足を洗っていなかったと言う事だと思います。心のけじめがついていなかったのでしょう。なので、凡人と同様に、欲情や欲望に揺れる。
【引用:きよらかなおそれを抱いているといった感じになるのですが まづ すでに大前提として仏性ないし自性清浄心が来ます。しかも同時に 生身の人間についての状態としては あらゆる欲望に言わば心が開いてしまっている。つまり そういう社会関係なる生活をおくっている。
すなわち きよらかさが――束縛になるのではなく そうではなく――言わば危機におちいるおそれがある。といった状態が そのままさとりの動態となっている。】
A.こちらは難しいのですが、「衆生は覚れば仏、仏も迷えば衆生」とも言います。自性清浄心が顕わになっていて、それが常であるようになるためには、切り離しが行われなければならないのだと思います。金輪際、このような誤った生活からは足を洗うのだと言う決心です。それは、100%倫理的な生活を送ると言う意味ではなく、自分が自分に認めた決定的な過誤を、くりかえさないという懺悔と再誕の経緯だと思います。
普通、人の場合は、あらゆる欲悩に対し、防衛機能もある程度備わっていて、それは葛藤と言う形で生活に現れます。つまり、この葛藤さえない状態は、二つに一つ、堕落か昇華です。そして危機と言うからにはそれはきっと堕落を指しているのでしょう。
清らかな怖れと言うのは、堕落するのを怖れると言う意味でしょうか?
【時間的なものの無知について】
「(braコメント)わたしたちの行動が――相手という存在があるからには―― 自分の思うように為されがたいということ」
私は逆に思っています。この世に生きるからには、相手と言う存在があることが、自分の為したいことを為す前提条件になっているのだと。
端的に言えば、一人では別に為すべきことも、為したいことも無い、と思うのです。たとえ孤独であっても、この世の何処かには出会うべき人がいるのだと思えることが希望であり、生きる意義や意欲にもなると思います。
もちろん、仰る通り、相手があるので思うようには行きません。ですが、相手がいることは試練ではなく恩寵であると考えられるのです。
★ そうでしたか。アウグスティヌスについては、読みこなしが必要なのかもしれません。
☆ おそれいります。
【引用:☆☆ 20. 無住処涅槃とは 《肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》とみづから宣言しつつ 《欲情や欲望のかたまりである凡夫(凡人)である状態に いつも激しく接している》という生活者である。】
★ A.それで、建前と本音の溝ということなのですね。
・・・凡人と同様に、欲情や欲望に揺れる。
☆ 言い訳に聞こえるでしょうが 《欲情や欲望に揺れる》のは 世の中で接するその相手の人たちの心的現象を受け留めている姿です。
【引用:きよらかなおそれを抱いているといった感じになるのですが まづ すでに大前提として仏性ないし自性清浄心が来ます。・・・
・・・きよらかさが――束縛になるのではなく そうではなく――言わば危機におちいるおそれがある。といった状態が そのままさとりの動態となっている。】
★ A.こちらは難しいのですが、・・・それは、100%倫理的な生活を送ると言う意味ではなく、自分が自分に認めた決定的な過誤を、くりかえさないという懺悔と再誕の経緯だと思います。
☆ 心根で《肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》 しかもそのまま心が開いていて世の中の《欲情や欲望のかたまりである凡夫(凡人)である状態に いつも激しく接している》です。
★ 普通、人の場合は、あらゆる欲悩に対し、防衛機能もある程度備わっていて、
☆ 言ってみれば感染から自由であり防衛の有無を考えていません。
★ それは葛藤と言う形で生活に現れます。
☆ 自性清浄心なる姿は 相手にも多少なりと《感染》します。その結果 相手が心に葛藤を生じるようになるのです。
★ つまり、この葛藤さえない状態は、二つに一つ、堕落か昇華です。
☆ 相互主観性としてケミストリが起きるのです。
★ そして危機と言うからにはそれはきっと堕落を指しているのでしょう。
☆ この間主観性は へたすると どうころぶか分からない恐れがあります。
★ 清らかな怖れと言うのは、堕落するのを怖れると言う意味でしょうか?
☆ 一介の人間たるわれが――あたかも神に代わって――人びとのさとりとすくいにかかわっているということ ここにきよらかなおそれを感じます。
つづく
No.9
- 回答日時:
そうですか。
私には理解できませんでした。もっと伝わる言葉、普通の言葉でお話しいただけると助かるのですが、つらつらと引用を用いて、自分だけが分かる言葉で話しても、それこそ齟齬(間違い)の元にもなると私などは思います。専門用語をまるきり否定するわけではありませんが、費やす言葉が勿体ないです。私は次のような問いに集約してこの問いを解釈しています。
Q.(清らかさを求める)人は、欲望をどのように扱えば良いのか。
A.過度にそれに染まることが無ければ特に問題とはならない。
過度にそれを忌避して、それが起こった時には試練と思う。その様なことは私は不自然だし、思いつめ過ぎだと思います。清らかさと言う束縛を受けるべきでは無いと言う事です。
しかしこのような解釈で質問者の意図を汲んだことになるのか?その点について疑問もある。
なので真意を問うているわけです。
この問いの真意、要旨というものがあるはずだと思います。
bragelloneさんの問いは、二つも三つも題が含まれる問いを、一つの問いに書き連ねるのでなかなか読み解きづらいと言うのはあると思います。
この問いで言えば、欲望についての問い、二者関係について、さらに時間的なものの無知(時間の無駄を気にしないと言う意味?)について、三つも題が含まれています。
全ての問いに答えられるわけではありませんが、答えやすくしていただけると、回答者としては有難いものです。
無理にとは言いませんが、自然な母語で語ることを目指しているbragelloneさんですし、あなたとは偽らない本音で話さねば話す意味が無いように私は思っているので、このように言っています。
★ Q.(清らかさを求める)人は、欲望をどのように扱えば良いのか。
★ A.過度にそれに染まることが無ければ特に問題とはならない。
☆ 質問者としましては 次のように言わば二段階から成る構造を成すような恰好です。
☆☆ 20. 無住処涅槃とは 《肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった》とみづから宣言しつつ 《欲情や欲望のかたまりである凡夫(凡人)である状態に いつも激しく接している》という生活者である。
★ 清らかさと言う束縛を受けるべきでは無いと言う事です。
☆ なる命題にかんしては やはり二段階があります。
きよらかなおそれを抱いているといった感じになるのですが まづ すでに大前提として仏性ないし自性清浄心が来ます。しかも同時に 生身の人間についての状態としては あらゆる欲望に言わば心が開いてしまっている。つまり そういう社会関係なる生活をおくっている。
すなわち きよらかさが――束縛になるのではなく そうではなく――言わば危機におちいるおそれがある。といった状態が そのままさとりの動態となっている。
あとはですね。
アウグスティヌスの文章の独特な言わばうつくしさが 関係しているかと思っています。
まづ何度も読まなければ理解しづらい。分かったようで どこか理解がゆきとどいていないように感じる。
分かってくると じつにうまいこと表現しているなと思う。これを別様にパラフレイズすることは むつかしい。
かみくだいて説明しようとすると 命題の結論をめぐって きちんとつけられた条件や但し書きが伝わらなくなるおそれがある。・・・
時間的なものの無知というのは こうだと思います。:
わたしたちの行動が――相手という存在があるからには―― 自分の思うように為されがたいということ・したがってそのようなマ(間)の食い違いをそのまま受け留めたかたちで ついつい推移してしまいがちだということです。
そのとき:
▲ 15 ・・・或る点で誤り そして為すべきようになさなくても それは人間の試練に他ならない。
☆ というふうにアウグスティヌスは 言わば大目に見る見方を提出しています。ただし・そして それには 条件がついています。何でもかでも 成り行きにしたがえばよいということではない。
☆ そういったところでしょうか。
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№10-1
☆☆【時間的なものの無知について】
「わたしたちの行動が――相手という存在があるからには―― 自分の思うように為されがたいということ」
★ 私は逆に思っています。この世に生きるからには、相手と言う存在があることが、自分の為したいことを為す前提条件になっているのだと。
☆ それは 人間を利用するといった人間の道具視につうじかねません。ですが うかがいます。
★ 端的に言えば、一人では別に為すべきことも、為したいことも無い、と思うのです。・・・この世の何処かには出会うべき人がいるのだと思えることが希望であり、生きる意義や意欲にもなると思います。・・・相手がいることは試練ではなく恩寵であると考えられるのです。
☆ 還相では必ず人がいる。他者がいる。相手がいる。回向といった務めがある。そして このときにも 思うように行かないものであり きよらかなおそれがあるはずです。
№11-1
☆ 引用:☆ 還相では必ず人がいる。・・・。回向といった務めがある。そして思うように行かないものであり きよらかなおそれがあるはずです。
★ そういう事でしたか。理解しました。これは、諸々の方便が生まれた理由と同じですね。人々が人々である故に、廻向が思うようにいかなため、方便をもってこれを説く。
☆ そうでしょうし 《方便》の問題以上に複雑ではないかと。(いまわたしは かんたんな方程式のように言っていますが)。
★ しかし還相の人が、往相の人の如く人々に接したならば、つまり教えを請う形と言う方便をもって人々の内に在ったなら、人々は自ら往相を、還相の手段でもって完遂するのではないだろうか。
☆ 知識の無いときでは 往相の者のように語ると思います。
つづく
№11-2
★ つまり、人々は見下されるのを怖れます。・・・なのであるなら還相の人は下に立とうと言う話です。
☆ ただしこれは 意識してやることではないにでは?
★ それで、往相の人に引き上げてもらうと言う姿を以て、往相の人を往相の人自ら引き上げるように仕向けると言う事です。廻向と言うのはこのようにある種テクニカルに行われたりもすると思います。
これなら菩薩の智慧と言うに相応しいと思います。
☆ シナリオとして理想的だと思います。しかし・・・。
★ しかし最も良いのは、平等対等という境地であると思います。
☆ 確かに。
★ そこでは、往相と還相を想定する必要がありません。そのまま、その二者関係において浄土(仏国土)が完成する。
ここでは救う側と救われる側が、同じ一者の内に実現するからです。
互いの、互いに対する指摘が、互いの見性を誘発する。
☆ 理想的だと思います。が・・・。
けっきょくですね。
さとり・すくい。十字架・復活あるいは成仏。そして 情念がどうの欲望がこうのといった議論では いわゆる宗教色がつよいです。抹香臭い。
考えてみれば 《アース役》という言葉を造っていました。人間関係から出てくるシガラミ等のゴミ清浄化工場。
手前みそですが この言葉で推し進めるといいかも。
むろん もっといい概念があれば そちらに飛びつきます。