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男性と女性の社会的地位の平等や、雇用機会均等という意味でのジェンダーフリーなら理解ができます。しかし、女性らしさの存在自体が許せないというのは、話が全く変わっていませんか?
昨今のフェミニズムはこのような、社会通念としての性別の概念自体を破滅させてやるみたいな異常な議論ばかりで、これって単に既存の女性らしさの枠組みに上手く適合できない女による怒りや劣等感の転嫁に過ぎないと思うんですが、真面目に取り合う必要ありますか?

A 回答 (7件)

その女性らしい男性らしいとか能力差について根拠がなく、後から作られたものが多いからだと思います。


例えば男女の脳が違うという論がありますがあれは根拠がなく神経神話と言われています。
母性なども科学的には見つかっていません。
男性らしいというのは現在の男性育児なのか、一時期ように仕事はするが育児をしない男性なのか、江戸時代のように育児をする男性なのか、
女性らしいというのは力仕事や体力仕事をしないことなのか、古代人がそうだったように女性もハンターになることなのか、
力仕事といわれる介護をすることなのか、
計算手はイメージとして男性なのかイメージとして女性なのか
観点が色々あると思います。
他にレストラン グリーターは日本らしさ女性らしさが求められる職種という記載を目にしたことがありますが、私は逆でステレオタイプ的には男性の
イメージがありました。
ですから女性らしい男性らしいは何を指すのかが不確かだと思います。

>これって単に既存の女性らしさの枠組みに上手く適合できない女による怒りや劣等感の転嫁に過ぎないと思うんですが、

女性は出産ができるのように基本的には自然に適合できるものは分かるのですが、合わせなければいけない女性らしさって何か価値があるのでしょうか?
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男性と女性の社会的地位の平等や、雇用機会均等と


いう意味でのジェンダーフリーなら理解ができます。
 ↑
そういう平等を推し進めることにより
女らしさも排除してしまえ、という
戦術なのです。



しかし、女性らしさの存在自体が許せないというのは、
話が全く変わっていませんか?
 ↑
女らしさ、といえば母性、優しさ
きめの細かさ、しとやかさ・・・
等々
良いことが多いんですけどね。
それすら否定しようとします。



昨今のフェミニズムはこのような、社会通念としての
性別の概念自体を破滅させてやるみたいな異常な議論ばかりで、
これって単に既存の女性らしさの枠組みに
上手く適合できない女による怒りや劣等感の
転嫁に過ぎないと思うんですが、真面目に取り合う必要ありますか?
 ↑
こうした運動が盛んになったのは
ソ連が崩壊してからです。
社会主義化の夢破れた左側の人達が、
こうした運動にシフトしてきたのです。

だから、こうした運動の中心にいるのは
左側の人が多いのです。


社会主義を超えて共産主義に至れば
人間の持つあらゆる属性が否定されます。

属性、てのはどの国の国民なのか、とか
父とか母とか、男、女、という属性です。

こうした属性を排除することにより
真の平等が達成出来る、というのが
共産主義の理想なのです。

怒り、劣等感の転化、というのは
そういう左側の人に利用されているのです。
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個人的には、性別による得て不得手というのは確実にあると思いますから、なんでもかんでも平等にすべきという感覚はおかしいと思っていますね。


特に女性からの平等を訴える話が多いですが、女性向けの職種も多くありますし、そういう職場での男性を平等になんて話は特別出てきません。

社会全体として、性別による差別をしている企業が大半というほど多いとは思えませんから、声を上げる必要性はあるにしても、あまりにも鼻息を荒くなんでも平等と言い過ぎ感はありますね。
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>男性と女性の社会的地位の平等や、雇用機会均等という意味でのジェンダーフリーなら理解ができます



元々、欧米で始まった男女平等は「女性が男性と同等の権利を得て、同等の義務を果たす」という所がスタート地点でした。つまり「女性らしさは尊重されない」という前提だったのです。

元々「平等」は階級平等→人種平等→男女平等という形で進んでいきました。
これはすべて「持っていない側が持っている側と同等の権利と義務を同じにする」というもので、

階級平等は特権階級と平民以下が同等の権利を得たものですが、同時に平民以下も特権階級と平等に徴兵されて「国を守る義務」も付与されました。

人種差別も、たとえばアメリカの南北戦争では、北軍は解放奴隷の志願兵を受け付けたのに対し、南軍は奴隷を徴兵することも戦場に動員することもありませんでした。

つまり「社会や国家を守る義務」は「権利が自分の権利を守るための義務」であって《権利が無い者は保護されるだけ》というのが欧米の男女平等の基準にもなっているのです。

なので、第一次大戦後に女性解放が起きたのは「男性が多数戦場に動員され、本国の社会や経済を担う男性が少なくなったときに、それを女性達が肩代わりすることで《女性も社会や国家を守ることができる》と証明した」からなのです。

なので、男女平等とは「男性と同等に、社会を維持する義務を負担できること」という前提があり、この点において「女性は体力が弱いから」とか「子供を産むから」という理由で保護を求めるなら、そもそも《権利者として失格》なのです。
そういう意味では男女平等には「性別の概念」は存在しません。

以上を踏まえたうえで、質問者様がいう「既存の女性らしさ」が《子供を産む性だから保護されるべき》とか《体力的に男性よりも弱いから考慮されるべき》という趣旨を含むなら、全く男女平等とは相いれない概念ですので、男女平等を目指す社会が「女性らしさ」を考慮することはない、といえます。

「でも私は屈強な男性に比べて体力もないし、そこまでできない」というならそれは男女別ではなく「個性」として扱われます。
 たとえば男女平等・人種平等では、平均身長168cmのオランダ女性と平均身長160cmのインドネシア男性も「同じく平等」なのです。

平均身長が8cmも高いオランダ女性がインドネシア男性よりも体力的に劣るかどうかは非常に疑問ですよね。

そして、この「個性」という点が昨今話題になっているLGBT問題にかかわってきます。
つまり「性自認も個性なのだから、男・女という二択ではなく、様々な《個性》を認めるべき」ということです。

この点において、歌舞伎町トイレがなぜああいう形になったのか?といえば「女性は男性と同等の権利者である委譲、LGBTなどの権利が弱い人たちを保護する義務がある」からです。

つまり「女性を守れ」という論調よりも、本来は「《個性》としての権利がまだ認めていない人たち(LGBT)を守る義務がある」から、女性の安全よりもジェンダーレスな空間のほうが優先されたのです。

同様に国際結婚した元卓球選手の子供の問題も「社会が保護すべき子供の権利」を優先させるのが国際社会の常識であり、その分「女性の母親としての権利は保護されない」ことになるのです。

女性が男性と同等権利者であり「社会的地位の平等や、雇用機会均等」という社会の状態があるなら、女性は男性と同等に「保護者側」であって、保護される側ではないし、その分「女性らしさ」を発揮できる機会が減るのは当然なのです。
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>女らしさの存在自体が許せない


それはおかしいですね。
女らしさを強制されるのが許せない、なら同意できます。

>上手く適合できない女による怒りや劣等感の転嫁に過ぎないと思うんですが
これもおかしいですね。
対象を貶めたい、が動機の考察は卑しいあさましいとしか。
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全く同じ考えです。


全てにおいて男性の方が能力的に女性より勝っているので、
女性を人権的な意味で優遇するのは理解できますが
その"人権"というのが今暴走してる気がしますね。
自分が惨めだから、優遇してくれ、みたいな
能力とか度外視で、負けず嫌いとか、単に悔しいから、羨ましいからみたいな。
女の嫉妬深い一番悪いところ出てるなーって感じます。

ちなみに私は女です。
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>既存の女性らしさの枠組みに上手く適合できない女


これって、どういう女のことを言うんですか?
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