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旧制高等学校と旧帝大 卒業者
の人たちはそんなに頭が良かったのでしょうか?

うちの祖父は1938年に高校、41年(本当は42年 医学部は4年)に大学を卒業しましたが、「ただ普通に勉強しただけだよ。(趣味は勉強と山登り)」と言ってた記憶があります。

私の同級生10人のなかで、そういった祖父は1人もいらっしゃらなかった(せいぜい旧制中学校ぐらい)です。
多分、家計や家族のことで忙しく、入れなかったからしか考えられません。現在でも親に高校行かせられなかった人もいらっしゃいますので•••

A 回答 (7件)

師範の人のノートとか見たことありますが、内容見ても賢いなと思いましたよ。



確かに田舎の次男は大学行けなかったみたいですね。
うちの祖父は長男でないから、大学には行けず、
また商業高校で(祖父が言うには当時の商業は優秀な人が来てたらしい)1番で、本当は1番なら商社に行けたのに、戦争があって行けなかったと言ってました。性格的には嘘ではないと思う。

でも旧制高校や帝大は当時の小説やコラムからすると、優秀だったと思うよ。
ドイツ語とかあったみたいだし。落第もあったから、今よりレベルは保たれてたんじゃないかな。

遠藤周作(血族は鳥取の御典医で父親は帝大卒の銀行員)は灘中でてるけど、旧制高校や帝大落ちて、劣等感持ってたみたいだよ。
その後、上智と慶應は卒業してるからそれなりに優秀だったとは思うけど。

戦中や戦後は、そもそも死んじゃって若者いないし、いても貧困とか混乱で勉強どころではなく、受験者があまりいなかったから、東大早慶でも、名前書いたら受かったとかは聞きますね。大袈裟に言ってる気はしますが。

手塚治虫も、戦後、ちょっと誤魔化してますが、確かに入学したのは薬学部ですし、2,3年しか通ってません。ただ、当時の戦乱と、軍医が足りなくなってた為に、阪大医学部卒の証書はもらえたみたいです。

そういういい加減な教育を受けても免状が出たような医者も戦中戦後は多くいたとは思いますよ。

やはりこれも小説ですが、八つ墓村?かな、大陸から戦後引き上げてきた若い医者が優秀で、元から村で1人しかいなかった医者はヤブ医者とバレて、若い医者を恨んでるって記述がありました。
逆に大陸から引き上げてきて、生家で肩身の狭い思いをしてるとか、そう言う事例は、割とあったみたいです。けっこう小説とかになってます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

祖父から聞いた話だと、
「受験したのは旧制高校入る前のみ。あとは気軽に授業を受けていた」とのことでした。

それでもドイツ語と医学の勉強だけは多くやっていたみたいですね。→ まさにボリュームリッヒですね。

戦中になると、旧制高校と旧制帝国大学の時間割数が減少し、その頃の学生さんのヒルン(脳力)が落ちてきた感じです。
→ 特に1943年と44年は戦争に出ないといけない学生さんも多くいらっしゃったので、勉強どころじゃなかったですね。

それでも、最後まで乗り切った学生さんはすごいなと思っています。

お礼日時:2023/09/03 19:11

1%もなかったでしょう。



大正12年の調査では、中学校より上の高等教育機関(旧制大学、旧制専門学校、旧制高等学校、高等師範学校、師範学校)への進学率は2.2%しかありませんでした。中学校や女学校への進学率でさえ17%の時代です。

なお旧制高等学校に入学できるのは男性だけであり、旧制高校を卒業すれば、どの帝国大でも進学することができました。
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頭が良かったかどうかは判りませんが、成績が良かったことは確実です。


なにしろ、旧制高校,旧帝大は、進学率が今の高校,大学とは全く違ったんですから。
成績上位者ということです。頭が良かったかどうかとは少し違う話になりますが。
お祖父様のおっしゃる「ただ普通に勉強しただけ」は、当時の「普通に勉強」という
概念が、現代の「普通に勉強」とはレベルが違ったということでしょう。
昔の学生は、本当に「普通に勉強」していましたから。今の子供とは違うんです。
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>そんなに頭が良かったのでしょうか?


まあ、よかった方でしょう。

>「ただ普通に勉強しただけだよ。(趣味は勉強と山登り)」
これは謙遜というものです。
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戦前だったら、旧制高校や旧帝大に行けるだけの教育を受けさせてもらえるのは、地元の名士だったりかなり裕福な家の子でないと無理だったのです。

家にお金が無くてもよほどの「神童」であれば地元の篤志家の援助で…ということもなくはないですが、希な例です。
現在と違って、初等教育の段階から、親が子供に受けさせようと考えている「その先」の進路がほぼ決まっていた時代です。最初から旧制高校や旧帝大への進学を期待されて、それ相応の教育を受けていた人ならば、そりゃ「ただ普通に勉強しただけ」で合格するでしょう。行けなかった人は。そもそも「旧制高校や旧帝大に進学することを、親が想定していない(進路として考えていない)」のですから。商家ならば「大学なんぞで遊んでいないで、さっさと跡取りとして家の仕事を覚えろ」ってな時代です。裕福な大店の子弟ならば高等商業学校や大学の経済学部に行って箔を付ける、という感じでは。医者ならば医学部に行かないと家業を継げませんので、大学まで行くのは当たり前ですが、家業に直結する学部に行くのでなければ、大学進学は「ボンボンの道楽」になりかねない時代です。
単に「家計や家族のことで忙しく」というような事情でなく、最初から「大金を出してまで行く意味が見いだせない」と考える人の方が圧倒的に多かった時代ですよ。
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戦前の話なら、まず金持ちでないと大学、高校へ進学しません。


受験者が少ないので、入学試験はそんなに熾烈ではなかったのでは?

友達の祖父で一高卒の人は入試前日に宿で酔っぱらってた、それでも合格できた、と話してたそうです。
卒業後は親の会社に籍を置き、たいした仕事もせず趣味三昧。
結構な資産家だったようです。

他にも元地主の家の人は、旧帝大や旧制高校出身がいますが、戦後の農地解放で没落して苦労した人もいます。
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現在の平均的な帝大生と比べると段違いにインテリです。


高学歴ながら神風特攻で散った彼らの残した遺書を読めば
どれだけ彼らが高度な知識と倫理観を有していたのかは直ぐにわかります。
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