プロが教えるわが家の防犯対策術!

男を掌で転がす、悪妻は男をダメにする、歴史の陰に女あり、
男は羽・女は身、等々、男女の関係を示す言葉はたくさんありますが、
どうも、男性は女性に強い影響を受けているという意味合いが多いと思います。

かつて男性が威張っていた時代ですらそうであったわけですので、全く弱っちく
なってしまった今、女性の影響力はさらに強くなっていると思われます。すでに
支配されているという考え方もあるようです。

さて、男女の本質を鑑み、男女の幸せ、人権の踏みにじられない社会の為の男女
あり方と言うか、関係性などのご高説をうかがいたい。

A 回答 (14件中1~10件)

> ウクライナ戦争を見てわかるように、もし戦争や大災害が起きれば、女性の影響力なんて消し飛んでしまって、男の保護に頼るしかなくなるのです。



この人またウソをいってる。今ウクライナの兵士の15%は女性である。後方だけでなく前線にもいる。女性が志願して前線で戦っているのだ。
大昔、農耕が始まる前の狩猟採集時代にも、女が狩猟に加わっていたという。従来は、「動物を狩猟するのは男」、「野生植物を採集するのは女」という固定観念があったが、考古学の研究により、それが修正された。なるほど、考えてみれば年取った男より若い女の方が、敏捷に動けるもんね。狩猟でも戦争でも。

そうは言っても、従来、女性は前線に出るよりも「銃後の守り」に回っていた。兵隊の頭数が男で足りるなら、若い女は軍隊に行くより子供を産んで育てるほうが、国力を強くする。
いいえ、女は母性があるから人殺しに向いてないんだよ。戦争は男のもの。そう考える人も多いだろうが、それがそうでもないという話を2つ挙げたい。

第1に、第二次世界大戦の体験談で(たとえば接近戦で敵兵の表情がはっきり見える)、殺害したくだりを読むと、心の葛藤がかなりあったことが分かる。「汝、殺すなかれ」は単なるきれいごとではなく、本能レベルで人間に備わっているらしいのだ。
むしろ、ウクライナ戦争で志願して前線で戦っている女性の記事では、ロシア兵を殺すのに躊躇いはなかったと言う人もいる。

第2に、素人考えでは、狩猟採集時代は野蛮だから戦争すれば皆殺し、農耕牧畜時代に入ったら皆殺しは止めたと想像しがちである。
ところが、考古学の研究によると、それは逆だそうだ。農耕が始まった後、戦争で子供が大量殺害された痕跡が見つかっている。これは、戦争で敵の男を皆殺し、そして男らの血を引く子供も殺して、女は生かして犯して、子を産ませたものと考えられている。いわば完全征服である。
狩猟時代なら、対立を避けてよその土地へ移るという手もあったが、農耕時代は「一所懸命」、耕した土地に命を懸けてしがみつく。それを皆殺ししてでも征服する。

以上をまとめると、「戦争は男じゃないとできない」というのは観念であって、万古不易の事実ではない。農耕時代このかた、そんな観念で大戦争をやらかしてきた男たちこそ、馬鹿者だった。
(若い)女は狩猟も戦争も多少できるのだが、それは男にやらせてきた。出産は(若い)女じゃないとできないから。
人類を存続させるのは、死んだ数以上に人間を生産する女たちである。仮に男が女より少数でも、種付けの分だけいれば、何とかなる。女が少ないと何ともならない。男は女の掌の上で踊っている。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。

男は女になれるし、女は男になれる、心身ともにある程度は。そう思っています。LGBTの存在がそれを示唆しているようにも思うし。

しかしそれは、社会の環境の変化に対応したものだったり、個人の精神的状況に対する適応だったりするものであるということが考えられる。

生命というものは変化するものだあることは間違いないけれど、現状というものがあり、どういう変化がいいのか?難しすぎますね。

お礼日時:2023/10/10 13:20

#12です。



堕落の定義にはまったく異論はありませんが、やはり詭弁にしか思えません。

>昔からの任侠の流れがあったのは間違いないと考えていますし、それは一つの定説になっています。つまり、任侠崩れ。極道を気取り、一応男の誇りがあったと思う。

そういう「人たちが居た」というのは、分かりますが、それは今ほど充実していない社会福祉制度などにも密接にかかわる部分もあったわけです。
 事実、暴力団の減少と弁護士の増加は正の相関関係があります。

また、犯罪者のうち、ヤクザや舎弟の割合がどの程度だったかわかりませんが、確実に「悪いことをして、誇りもなにもない」人たちは今よりたくさんいたわけで、それが犯罪率に表れています。

なので「そういう人達がいた」ということは《社会が堕落していない》という事の証明にはなりません。

>昭和では、暴走族がいくら暴れ、やくざの抗争があっても人間不信にはならなかった。今は人間不信が凄いことになっていると思う。(数字はいくつもあります)
この結果から見て後者の堕落の度合いが大きいと言えるし、責任が重いと思う。

今の日本は戦後の高度成長期を過ぎ、バブルからずっと不況です。人間不信が高まるのは、社会環境に資するところが確実にあります。しかし《その中でも犯罪率、特にご質問の端緒である人権を踏みにじる性犯罪については、現代のほうが明らかにそして確実に少ない》のが事実です。

そのような事実を、屁理屈で捻じ曲げて理解しようとしているようにし見えるし、過去へのノスタルジーが現在を正しく評価する部分へのバイアスになっているようにしかみえません。

数字があるなら、それを補足いただくのが客観的な質疑になって良いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「そういう人達がいた」ということは《社会が堕落していない》という事の証明にはなりません。

言わんとすること通じていないですね。「程度」の違いのことを言ったのです。
まあ、今回は微妙なことを急いで言ったので文章が良くなかったのは認めますが、まあよく読んでみてください。

何かあったら補足にでも書いておきます。明日が早いので失礼。

お礼日時:2023/10/09 22:22

#10です。



>より弱いものに狙いをつけ、バレなきゃいいなきゃという魂胆も見えるので、私は人間としての堕落を強く感じます。

それは屁理屈すぎませんか?
質問者様の認識でいえば「犯罪が増え、弱いものが明らかに困る」のは当然に《人間としての堕落》という認識になるはずです。

そして表にでる犯罪自体は減るけど「バレにくい表にでない、弱い者いじめが増えている」が《人間の堕落》になるなら、それは【どのような時代でも結局堕落している人間の量や比率は変わらない】ということになるはずです。

だから表層で増えても《堕落》、表から見えなくなっても陰湿な《堕落》というのは、本質的なものの見方ではないと思います。

逆をいえば、私がご指摘差し上げたように「常に人間は本能に沿って行動する」と考える方がすっきりするはずです。それを知性や理性で抑制できる人も確かに常に存在しますし、その量や質は多少は増減するかもしれませんが、それは社会の状況によって左右されるし、逆に「本能に沿って分かりやすく行動する輩」も表面的に増えたり減ったりするが《実際には常に一定量いる》のです。

もうひとつ人間の大きな特徴として「過去の人たちの行いは良いもののようにバイアスがかかる」という点があります。

たとえばコロナで早逝した志村けんについて、今は「笑いの聖人だった」という回顧論調が多いですが、昭和の時代の志村けんのお笑いや行動を知っている人は「実に下品で下劣」だった彼を見ているはずです。

結局、時代が変わっても人間の本質は変わらないのに「今見ている現在事象」と「過去の事象」ではバイアスに違いがあるのだと私は考えています。

人間は今も昔もそんなに聖人君子ではなかったし、同時にそれほど野蛮だったわけでもありません。千年単位なら「人間はだんだん知性で本能をコントロールできるようになってきた」と言えるかもしれませんが、私たちが生きている間に目に見えて変わることなんてないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もう少し私の考え方を説明しなければならないようです。

「堕落」を広辞苑で引くと次のようになります。

❶ 仏教で、道心を失って俗悪な心をもつこと。
「━僧」
❷ 品行が悪くなり、生活が乱れること。身をもちくずすこと。
「━した生活」
❸ 物事が健全な状態からはずれて劣悪になること。
「政治の━」

私は①が「堕落」の本義であると考えています。道心とは道徳心・良心のことです。道徳心・良心とは自分が住む社会・集団が良くなるようにという心だと思います。

道心を失うと言っても程度というものがあると思います。

例えば、昭和のヤクザとかその舎弟のような暴走族などは犯罪を犯し社会に迷惑をかけました。これは勿論堕落ですが、彼らの多くが悪いことをしていると自覚し、いわば堂々とやっていたわけです。
全部とは言いませんが、そこには昔からの任侠の流れがあったのは間違いないと考えていますし、それは一つの定説になっています。つまり、任侠崩れ。
極道を気取り、一応男の誇りがあったと思う。

それと比較するに、近頃の陰湿な犯罪(昔もありましたがね)は、例えばイジメや詐欺は、弱いものに目をつけ、ばれない様にやります。そこに罪の意識があるのか微妙だと思いますが、ばれなければそのまま何食わぬ顔で生活を続けてゆくのです。

でも、ばれる人がいる。ばれれば、人々は同じような人間がまだまだいるだろうと不安になるし、人間不信になる。その度合いが後者の方が大きく深いと思うのです。
昭和では、暴走族がいくら暴れ、やくざの抗争があっても人間不信にはならなかった。今は人間不信が凄いことになっていると思う。(数字はいくつもあります)

この結果から見て後者の堕落の度合いが大きいと言えるし、責任が重いと思う。

言わんとすること分かりますでしょうか?ちょっと文章上手くないですね。

バイアスがかかるという点については、年配者は確かに過去のことについて美化してしまう傾向がある。若い世代は逆に今の時代を美化する傾向がある。
年配者は今も昔も体験している。若い世代は昔を体験していない。よって、年配者に分があると思う。

>どのような時代でも結局堕落している人間の量や比率は変わらない

こういうような考え方をよく見ますが、良くないと思います。仮に今が凄く悪かった場合(有り得ますよね)でも、普通だと思ってしまうからです。

お礼日時:2023/10/09 21:09

違いますよ


女はが潜在的に有するプレッシャーやストレス耐性能力が発現するのは子供を産み育てているときです
更に言えば女が社会的プレッシャーに弱いように見せているのはそうした方が有利に他ならないからです
これは男尊女卑な社会を長期に渡って続けてきたからで女自身が前に出るより男を前に出した方がなにかと有利だからです
男女問わず自殺するその主なパターンは耐えがほどの負の経験をした為に精神的に追い込まれ限界を超えた自己否定感に苛まれ結果自殺するパターンです
重要なのは誇りではなくて自己肯定感です
生に対する執着に付いては男女差はありません。
女の方が男より寿命が長いその理由として最近提唱されている仮説
それが「おばあちゃん仮説」です
おばあちゃん仮説とは
端的に言えば孫の面倒を見るために閉口後も健康で長く生きていけるように進化したとなります
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2023/10/08 19:11

#5です。

お礼ありがとうございます。
先に書きますが、私はアラフィフ、昭和を生きてきた者です。

>現在はそういった概念が理解され教育されている時代です。法律も整備されています。にもかかわらず、人権が踏みにじられるような行為があります。

個人的には《教育もされていて法律もあるが、理解と実践はまだ追いついていない。でもだんだん改善している》と考えています。

>こういったことが寧ろ増えていて、陰湿化しているということを、私は堕落と見ています。
生まれる前の昔のことは書物などからの情報での推測ですが、昭和と言う時代を私は生きていて、それとの比較はできます。

増えていますか?何を根拠に増えている、と質問者様は判断されるのでしょうか?

少なくとも犯罪は昭和よりも確実に少なくなっています。昭和40年代なんかすごく多かったです。たとえば強姦件数は昭和40年付近は大体8千件、令和は1千件で1/8です。

その他刑法犯は平成に一旦戦後最高まで行きましたが、令和になってから激減し今は戦後すぐと比べても1/2しかありません。

それでも「増えてきている」という根拠が分かりません。世界は増えているかもしれませんが、日本だけ見れば確実に減っているといえるはずです。
それは「人権が守られるようになってきている」と言える内容です。

他にも指摘差し上げたい点はありますが、まずは犯罪などの推移から「人権が守られるようになった」と考えるのか?別の理由で「守られていない、ますますひどくなっている」とお考えなのかを補足いただければ嬉しいなと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

殺人や強姦などの悪質な刑法犯は減っているのは事実でしょう。

しかし、私が言っていることは「陰湿化」です。殺人や強姦などの犯罪は凶悪であり許されるものでは勿論ありませんが、いわば堂々と行っていると言えます。
陰湿と言うのは痴漢とか盗撮とか、お年寄りが大事に貯めてきたお金を詐欺で奪うとか、イジメ・ハラスメントなど、更にはネット上の誹謗中傷などの犯罪のことです。

重大犯罪に比べれば相対的に「軽い」とは言えますが、人を死に追いやる場合もあり、人権を無視した犯罪であり悪事であることには違いありません。こういう事は増えていますでしょ?

より弱いものに狙いをつけ、バレなきゃいいなきゃという魂胆も見えるので、私は人間としての堕落を強く感じます。

お礼日時:2023/10/08 19:09

女が男より精神的に強いのは自分自身だけではなく我が子も守らなければ成らないからです


ですから女の方が男よりプレッシャーやストレスに対する耐性が高いのです
それに男が追いつくには男もプレッシャーやストレスに対する耐性を高めなければなりません。ストレスやプレッシャーに対する耐性を高めるこれが「器を大きくする」です
「器」とはプログラミングやストレスを受け止めるまさに器のことなのです。「器」が小さければ僅かなストレスやプレッシャーでも溢れる=耐えられなくなる。「器」を大きくすれば溢れなくなる=耐えられと言う事です
    • good
    • 0
この回答へのお礼

女性の方が社会的なプレッシャーには弱いと思っています。

女性が耐性が強く見えるのは、何かと男性の責任にしているからではないでしょうか?(笑)まあ、それも強さか。

男性が自殺するのは、生に対する執着が弱いということと、独特の誇り高さがあるためであると思います。

お礼日時:2023/10/08 00:09

婚姻制度を廃止することだよ。



アメリカの富裕層は、結婚時に契約書を交わして、婚姻制度による理不尽な権利義務の内の相当部分を打ち消して結婚に至る。
弁護士を雇えない中流階級以下が契約書なしで結婚して悲惨な結末に至る。

婚姻制度、なかんずく一夫一婦制の規定が良くない。
人間の根源的自由を制限しないことが両性の人生を幸あるものにすると思う。

次善の策としては、イスラム法による婚姻だな。
こちらでは離婚が認められない代わりに、5人までの妻を娶って良い。
改善の余地として、女性側にも5人までの夫と通い婚を認めればもう少し良くなると思う。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

少子化対策としては、かなり有効でありましょう。

お礼日時:2023/10/08 00:05

男性は天、女性は大地に例えられますが、生命体にとっての根源は大地にあり、天は生命体を維持・拡大する役割を担い、破壊する機能も持ち合わせています。



生命を生み出す女性(大地)が偉いのか、生命をコントロールする男性(天)が偉いのかという議論は、哲学的には興味深いですが、所詮は鶏が先か卵が先かという議論にしか過ぎません。

生命維持には対等な存在であるわけですから、男性がいくら偉ぶっても無理があります。
互いを理解することが重要でしょう。個人的には、男性は女性が子を産み育てるための添え物であり、女性に奉仕する立場にある存在だと思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>生命維持には対等な存在であるわけです

重要な視点だと思います。男性が偉いということはないというのは、これは昔の人もよく分かっていたことだと思います。
私の父親なども戦前の生まれで、テレビのチャンネル権を独占していた亭主関白な人でしたが、母親を大事にしていました。

昔は男性が威張っていたというのは、実はそうでもなくて、男性の深いところの弱さ自信のなさが女性の言動によって露呈してしまっていた、と言った方がいいのかも知れません。

しかし、今の女性は本当に威張っている人が多いと思う。昔の仕返しをしているかのように。

>男性は女性が子を産み育てるための添え物であり、女性に奉仕する立場にある存在だと思っています

こういうことを言う人が増えています。これは私は非常にまずいことだと思っています。これでは男性が女性の奴隷になってしまいます。男性の人権が踏みにじられる可能性があります。
男性として実に弱気は考え方であり、こういう男性を私は「高嶋ちさ子の旦那」と呼んでいます。

こんなことであれば、男の子は育ちません。自分が所詮は女性に奉仕する、添え物的存在であると思ってしまうからです。また、女の子は女帝の如く偉くなってしまいます。

男女の関係は女性が男性を尊敬してこそ上手くゆくと、トルストイは言っています。
動物のメスは、争いに負けたオスを一切相手にしないと言います。人間も動物的側面があり、尊敬できない男性は女性にとって利用するだけの存在になると思います、おそらく。女性心理をすべて知っているわけでないので推測は入りますが、両親や色んな人を見て、そう言う面が女性にはあり、現代はいささかそれがエスカレートしていて、社会悪の原因になっていると思われます。

お礼日時:2023/10/08 00:03

男を掌で転がす、悪妻は男をダメにする、歴史の陰に女あり、


男は羽・女は身、等々、男女の関係を示す言葉はたくさんありますが、
どうも、男性は女性に強い影響を受けているという意味合いが多いと思います。
 ↑
男は女性に認められたい、女性は男に
認められたい。
その点は同じですが、違うのは、性欲の
強さです。
男の性欲は、女性のそれの10~20倍も
あります。
つまり、男が女性に認められたい、という
欲求は、女性のそれよりも強いと思われます。




かつて男性が威張っていた時代ですらそうであったわけですので、全く弱っちく
なってしまった今、女性の影響力はさらに強くなっていると思われます。すでに
支配されているという考え方もあるようです。
 ↑
社会が不安定で争いが絶えなかった時代は
男が優位になります。
平和になると、女性優位になります。

一般に女性よりも男性のほうが平均寿命が短いというのはご存じでしょう。
日本では男女の平均寿命の差は6.4歳。アメリカは6.9歳、
いずれも男性の方が短命です。なぜなのでしょうか。
「それは単に生物学的な性差で、しかたないんじゃないの?」
と思うかもしれません。

しかし、統計データによるとアメリカでも日本でも、
1920年時点の男女の平均寿命の差は1歳ほどにすぎなかったのです。
つまり、生物学的な要因以外に、近代になって男性の寿命を
縮めている社会的な要因が存在するということです。

寿命だけではなく、自殺率も女性より男性のほうが圧倒的に高い。
暴力事件の被害者になる割合、仕事中に労働災害に遭う割合、
戦争に行って死ぬ割合。どれも男性の方がはるかに高いのです。
米国では最近、教育のレベルも男性の方が下がっています
(大学卒業者の女性の数が増える一方、男性は減り続けています)。




さて、男女の本質を鑑み、男女の幸せ、
人権の踏みにじられない社会の為の男女
あり方と言うか、関係性などのご高説をうかがいたい。
  ↑
人類にとって一番重要なのは繁殖です。
繁殖の為には、女性の方が大切なのです。

と、いうことで、男は外で働き
女性は家で家事育児が理想だと考えます。

外は危険で家の方が安全だからです。

男女平等だから、と女性に危険な仕事を
させるのは疑問です。
以下のような仕事をさせるべきではありません。

荒海での漁労、
熱風の溶鉱炉作業、
深山ダム建設労働、
機械工場で汗と油にまみれる重労働、
凶悪犯人との格闘、
猛火に飛び込む消防活動
死と隣り合わせのレスキュー、
数十㎏の重量物を一日中担ぐ土建、
糞尿や汚染物質にまみれるゴミ処理業、
最前戦での殺し合い
海上140㍍での力仕事
極寒での命がけの仕事、
とび職、鉄筋工
地上数十㍍での高圧電線工事
死亡率が最も高い木樵
地上40㍍での電気工事
世界一過酷と言われるカニ漁。
・・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

女性が、自意識の向上と共に、男性に負けたくない、自立したいと思うことは自然なことであり、避けられないことと言えるでしょう。事実、男性思考に偏った社会を中和させる役割が女性にはあると考えるので、社会進出は必須のことと思います。

ただ、男性はダメで女性が優秀だから女性が支配するべきだという考え方が私は確実に存在していると思います。そうであるならば、人類は同じ過ちを繰り返すことになります。

仰るように、危険な仕事は男性が受け持つべきです。また、寝食を忘れ風呂に入るのも忘れて仕事に打ち込むような男性の姿勢を女性は評価すべきだとも思います。そこから偉大な価値が生まれることもあるだろうからです。

お礼日時:2023/10/07 23:40

#2です。

お礼ありがとうございます。

私の認識に賛同しかねるという事ですが、その点をちょっと説明したいと思います。

>つまり、人は精神的に堕落したのであって、今の姿が真の姿ではないということは記憶をたどれば分かることですし、昔の本を読めば分かることです。

と質問者様は考えておられます。この認識が私と全く違っていて、私は【もっと根源的な人間の本能的な部分】を指摘したつもりです。

>男女の本質を鑑み、男女の幸せ、人権の踏みにじられない社会の為の男女
あり方と言うか、関係性などのご高説をうかがいたい。

質問者様のご質問の主旨はこれですが、キーワードは「男女の本質」と「人権が踏み躙られない社会」です。

実はこの部分、質問者様のいう「精神的な堕落」と矛盾します。
なぜなら、現代社会は「人権が踏み躙られない社会」という点では、30年前よりも1000年前よりも間違いなく改善していて、その点では【人間は精神的により崇高になった】といえるからです。

もちろんまだまだ、人権が確保されていない、という問題点はありますが、階級平等・人種民族の平等・男女平等がそれなりに成立している現代が【精神的に堕落している】とするなら「人権が踏み躙られない社会」がなんであるのか全く分からない、ということになるわけです。

この質問者様の中の矛盾を紐解くなら、僭越ですが「人間の本質は現代でも30年前でも1000年前でも変わらない」ということになると思います。

質問者様は
>昔は女性との関係を断つ修行僧もいましたし、武士なども結婚はするけれど、「武士道」を全うすることがまず目的だったのではないかと思います。

と書かれていますが、修行僧が女を買っていたのは歴史的に事実だし、武士道では女が居なければ衆道、いれば略奪強姦が行われいたのが事実です。

つまり「人間は本能に逆らえない」のです。だから人間社会は「本能に逆らわないようなルールが必要」であって、抑制はできても完全なる禁止は非常に難しいのです。

禁止がどれほど難しいか、例を挙げると
・未成年に対する性交渉は法的に禁止だが、抑制できない者がいる
・同意なき性交渉は法的に禁止だが、抑制できない者がいる
・売春を持ちかける行為は禁止だが、抑制できない者がいる
・児童ポルノは禁止だが、自ら作る者がいる
です。

禁止が難しい、という点において社会的には男性の問題がクローズアップされやすいですが、実際には女性も己の本能にしたがって抑制できない者が必ず現れるのです。

もちろんこれらは例外かもしれません。しかしこれらの少数者を「例外」とするなら、質問者様が指摘する
>(女に認められ性交渉できること)を目的とすることに否定的な男も少なくありません。
も例外でしかありません。

減ったとはいえ、日本でも7割の男性は結婚しますし、残りの3割のかなりの人たちが風俗やアダルトビデオなどを利用しているはずですから、人間の本能としての性的欲求はあり、ただ単に【自分の環境ではそれが難しいから、抑制しているだけ】でしかない、といえるからです。

これはつまり「現代社会だろうが昔だろうが、ほとんどの人間(男女関係なく)は本能の欲求にしたがって行動する」ということを意味しています。

もちろん動物ではないので、社会的な規範や法律などによって抑制はされています。
 しかしだからこそ男は「本能を最大限有効化するために、金を得る・権力を得る・世界を征服する」という行動を起こすわけです。

また女性も同様に「自分の魅力を最大限使って男の力を搾取する」ことに全力を上げます。

 実際、面白いことに男女平等になった現代は「女性が自分の魅力を最大にする努力を肯定する」ようになっています。化粧一つとってみても、今は高校生や中学生が化粧するのは当たり前、なんなら小学生女子向けの雑誌でも化粧やおしゃれの情報があふれているからです。

でも30年前は高校生が化粧するのは例外的でしたし、50年前は高校生が化粧するのは「はしたない事」でした。

これは堕落でもあるかもしれませんが、男女平等で「女性が(男性と同様に)自由に自己選択できる」ようになった結果であり「人権が踏み躙られない社会」という価値観からいえば、むしろ肯定されるべき事象ということになります。

つまり「人権が踏み躙られない社会」を目指すと、人間はどんどん「本能に忠実になっていく」、いや正確には【それまで抑圧されてきた側が本能に従った行動様式を具現化していく】のです。

それが#2で書いたことの本質です。

結局、質問者様の言う【男性が性的な行為をあきらめる(という人がいる)】のは、女性の人権が拡大した結果、男性が性的な行為を女性に押し付けるのが難しくなってきたから、にほかなりません。

ということは男性がこれを解決しようとするなら(本能に忠実に人権を踏みにじられないようにするは)より大きな権力を得るか、逆にあきらめるという選択肢のどちらかになります。

これが質問者様の言う
>かつて男性が威張っていた時代ですらそうであったわけですので、全く弱っちくなってしまった今、女性の影響力はさらに強くなっていると思われます。すでに支配されているという考え方もあるようです。

という社会現象の本質であり現実です。

このような現実の中で「男性の人権を、女性の人権と同等にする」には#2に書いたように「男性の《女に認められたい》という欲求を社会的に確保できるようにする」しかありません。

女性は、特に日本の女性は《世界で最も人権を自由に謳歌している集団》だからです。それは幸福度調査で、日本だけ唯一男性よりも女性の幸福度が高いことで示されています。

男女平等ランキングでどれほど日本の地位が低くても、あのランキングには「女性が男を最大限搾取する社会」という評価軸は一切ないからです。

そういう《世界でもっとも男性が社会的に蹂躙されている社会》において、男性の本能的・根源的な欲求を満たすためには
「人権が踏み躙られず男女の幸せが最大化する社会」とは【社会のほぼすべての男女が結婚し、女性が安心して子供を産み育てられるだけの収入を男性が得て、家族単位で暮らせること】
になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

更に詳しい説明を頂きました。

字数の関係で簡略化させていただきますが、まず、現代人が精神的に堕落しているということが何故言えるのかという点ですが、例えば1000年前と言えば平安時代末期でまだ武士が台頭する前の貴族文化でしたから、比較的平穏な時代であったと思われます。それでも、一般大衆に対しては人権が認められることは少なく、残虐な行為もあっただろうと推測しますが、当時はまだ平等とか自由とか人権とか民主などと言う概念は未発達であった時代です。

現在はそういった概念が理解され教育されている時代です。法律も整備されています。にもかかわらず、人権が踏みにじられるような行為があります。
今騒がれているジャニーズの性加害、深刻なイジメ(子供だけでなく)、各種ハラスメント、なくならない戦争、ネット上の誹謗中傷、等々。

こういったことが寧ろ増えていて、陰湿化しているということを、私は堕落と見ています。
生まれる前の昔のことは書物などからの情報での推測ですが、昭和と言う時代を私は生きていて、それとの比較はできます。

その推測と比較から、動物的な欲望に流されずに公益を優先して生きてゆく人は昔ほど多かったと考えています。つまり、理想的で純粋であったと言えるということです。少数でも存在すれば、「人間が本能には逆らえない」とは言えないでしょう。生来の資質もあるかも知れませんが、教育によってそうなり得ると考えます。そういう教育法には大変興味があります。

男性の性的欲望は強いです。しかし、自分で処理することができるし、我慢できるものですよね?そして、性行為というものは羞恥心も伴うもので社会的しきたりもありますから、我慢できないでなりふり構わずそこへ突入するという精神状態自体が堕落だと思います。

性的欲望が根源にあるだろうというのはにあるフロイトですね?彼がどういう論拠でそれを説明しているのか知らないので、著書に記述があるのなら読んでみたいと思っています。
しかし、私は、我慢できるということ、我慢ができるということは他のものに転換できるのが人間心理だと考えているので、それが根源だとは思えないのです。

お礼日時:2023/10/07 23:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A