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それは嘘だとか釣りだとか言われてある光景をネットもしくはリアルでもちょくちょくありますが……
これは、最初の発言者本人の立場で考えた場合、その真意がわかるのは発言者本人のみで、例え他人がどれだけ疑ったり誤解しようと、発言者本人がその発した言葉や内容に責任も伴う反面、権限もあり、逆に受け取り手側は発言者本人の発した言葉や内容にあれこれ言える権利は、ある意味ないことになるのでしょうか…?

受け取り手が発言者の言葉をどれだけ誤解したり疑ったりしようと、その受け取り手は実際は間違えているため、言葉の発言者自身が正しいソースであり言葉の所有者となって、発言者以外の受け取り手側は、発言者の発した言葉や内容に対しての意見とは別で、真偽のほどについての言及はできる立場ではないことになるでしょうか。

「その受け取り手が勝手にそう受け取っているだけに過ぎないし、その言葉の発信主でもないため言葉の意図の真意もわからないのにも関わらず、勝手に誤解したり疑ったり捉え違えをして、その発信者にあれこれ言える立場でもないと思う(発信者の説明力の問題は除いて)」
と、以前どこかのSNSサイトで書いてあって、ふと気になりました。


お話がわかりにくくなってごめんなさい汗

質問者からの補足コメント

  • わたしはこれに対してもう1つの仮説も思い浮かびまして。
    それは、「会話のキャッチボールとは、発言者がなんらか言葉を発して、その言葉を受け取り手側がキャッチして、様々な捉え方や感じ方をしてこその【コミュニケーション】というものであって、そういう意味では受け取り手側が相手の言葉をどう解釈しようと、それがその人個人の考えや価値観や見解でもあり、それを侵害することは相手のアイデンティティや言論の自由を封殺してしまうことになり、例え言葉の発信主であっても、受け取り手の捉え方や見解に対して否定することも(言葉の真偽とは別にしても)「できない」のなのではないか」ということです。

    どちらの考えのほうが筋が通ってあるのかはわからないですが……
    この件についての皆さんのご意見もぜひ、お聞きしたいです!

      補足日時:2023/10/08 00:31

A 回答 (1件)

書面主義、という概念があります。



読む方は、文章しかないのです。
文章から判断するほか、手段がありません。


文章を客観的に読んだ結果、
社会通念上、ウソ、釣りとしか
思えない。

そういう場合もあると思います。

その場合は、そういう文章を書いた
方に問題があります。
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