
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
日本とナチスでソ連を東西から挟み撃ちにすれば、ソ連を降伏させることができたでしょう。
米国は、直接日本から攻撃を受けなかったため、米国は参戦しないか、してもずっと後になったでしょう。 ソ連を陥落させた日独は、米国との戦いにも力を蓄えることができて、大二次世界大戦の結果は大きく変わった可能性が大です。 ところが、愚かな日本はナチスが単独でソ連に勝利すると信じ切っており、そして対米開戦の道を選択してしまったのです。 また、陸軍は、東南アジアに戦力を集中して中東まで侵攻し、イラン辺りでナチス軍と落ち合うという構想も持っていました。 ところが、突然山本五十六が、軍部の大半があまりに無謀だと思った真珠湾攻撃を強行に主張して、対米開戦を決行したのです。 駐米経験が長く、米国の力を熟知していた山本が、米国相手に開戦を主張したのは極めて不自然です。 米国との経済格差を日本でも一番よく理解している山本が米国と戦争をしても勝ち目がないことは十分理解していたはずです。 また、山本は1‐2年暴れて米国より優位に立ち、そこで日本に有利な形で講和に持ち込もうとしていたという説もありますが、ヤンキーがジャップごときに不意打ちを食らって、ぶん殴られれば、絶対に10倍返しくらいで報復されることも、山本は理解していたはずです。 なぜ、山本が真珠湾攻撃を決行したかについて、私は以下のように考えています。 山本は、日本が欧米相手にずるずると勝ち戦を続けても、最終的には戦争に負けて、その時には日本は荒廃しきって二度と立ち上がれないような状態になっている。 それなら、アメリカを怒らせて、まだ日本が自力で再興できる力を持っている早い時期に敗戦に持ち込もうとしたのでしょう。 ところが、日本軍は山本が思っていた以上に強かったため、自力での再興が不可能になるほどぼこぼこにされるまで、戦争が続いてしまったのです。No.5
- 回答日時:
#4です、補足有難う御座いました。
日露戦争での借金を返済中の大日本帝国には、そんな余力が無かった
と思いますが、それに、軍備品も極寒対策されてませんので、ソ連と
戦端を開く事は無理でしょう、中国で手一杯だったと思います。
大恐慌の折に、日露戦争の負債を返還出来たのは、製糸工場で働いた
女工さん達の涙と汗のお陰です。
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