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仏教 (鎌倉時代の)世界観(宇宙観)は、古代インドの須弥山を中心とした『三千大千世界』の世界観で良いのでしょうか?

A 回答 (2件)

宇宙観ですね。


世界観は須弥山を中心として4つ(東西南北)の世界(閻浮提)を言いまし、四大文明の事でしょう。
仏教の宇宙観は、古代インドの宇宙観や世界観(色々あります)に土台があっても、『三千大千世界』の宇宙観は仏教です

一世界が1,000個集まったものを小千世界といい、小千世界が1,000個集まったものを中千世界といい、中千世界が1,000個集まったものを大千世界と言い
それがガンジス川の砂の数ほどに存在する、言うのです
四方八方とは言わず十方(上も下も含める)と言います
太陽系、銀河系、島宇宙、等の考え方と同じです

数字の単位が「恒河沙」「阿僧祇」「那由他」とあるので
現在の天文学で想定される宇宙の星の数を、遥かに超えています。

仏教では、地球はその中の1世界に過ぎないのです
釈迦が、法華経を解いた舞台は宇宙ですね。
霊鷲山から虚空に移動していますね
太陽や地球が誕生する、遥か以前の話が溢れていますね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

質問に、『鎌倉時代』と書いたのは、回答者様もご存知のように『日蓮大聖人』の世界観を知りたくて質問いたしました。
回答者様は、回答の中で“宇宙観”と仰っていましたが、『三千大千世界』とあるようにこれは『世界』なのですよ。

現代で言うところの、『世界』=地球全体ではなくて、あくまでも当時の『世界』は何を指すのか??、、、という事を説きたいと思って質問いたしました。

要するに、今、私たちで言うところの『世界』という概念で考えれば、地球全体、全世界、194ヶ国+α、、、という事になるのかもしれませんが、『三千大千世界』という事になると、祈りが全く変わってしまうのです。

また、『三千大千世界』の概念で言えば、『一念三千』も全く意味の違ったものとなるのです。要するに、『神』の世界、諸天部の所在は『天界』になるからです。『神』は天界を超えない、、、となると、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もヘッタくれも無い、、、という事になってしまうのです。

そこに、『南無妙法蓮華経』という、宝塔が建つ(存在する)ということになるのです。

お礼日時:2023/12/11 10:36

> 『日蓮大聖人』の世界観を知りたくて質問いたしました。


> 仏教 (鎌倉時代の)世界観(宇宙観)は、古代インドの須弥山を中心とした『三千大千世界』の世界観で良いのでしょうか?

鎌倉時代も期間があるし、政治体制、宗教面、社会経済、ずいぶんと変化の激しい時代だと思います。 一律に同様の世界観が誰にも持続されたと考えることはできないでしょう。 日蓮個人も、1222年~1282年の間にずいぶんと世界観を変貌させたでしょう。自分で立宗したときにもすでに大きく変化したでしょうが、1257年以降はさらに大きく変貌し、目前のことの自分や自分の周囲の利害という観点から世界を見るようになっています。
時空を広く見る、空間を広く見る、立場を広く見るという世界観は積極的に捨てて、自己本位・独尊で現世利害の視点で世界を見ます。
https://www.yuinouyasan.com/kakejiku/p9628/
自分以外というか、自分と利害を異にすると見なす思考や行為、制度、集団、存在を一律に敵対存在と見なす世界観を強固に固めます。

"古代インドの須弥山を中心とした『三千大千世界』の世界観"は、日蓮の世界観とは全く違います。

鎌倉仏教の大きな動きは、ほかにもたくさんありますが、人口でみれば多くの人は宗教や信仰のようなものは持ってない状態です。(自然信仰・異を恐れたり、場所を大事にしたりはある) 
当時の人々の世界観は、自然は移ろいつつ回帰循環する、人の世も同様というものです。 
平安仏教のような西方浄土観も、輪廻世界観も、三千世界観も、死の穢れ観も、平安時代や鎌倉時代の人口の多く(7割くらい)には聞いたこともない、イメージしたこともない世界観です。 地獄極楽冥土穢土浄土のようなイメージさえも持ってないことが、ごく普通です。 平安末に天変地異を恐れても、六道、観音、地蔵を説いて回り、造営を推進しても、人々は受け入れるほどの状況にはなってないのです。
室町戦国期になって、状況が変わっていきますが、祈願が主で、世界観のようなものとは違います。 世間が大事です。 庶民は今の自分が基本です。
https://sobani.net/articles/ohaka-kingendaishi

現代21世紀に日本で生まれ育った中学生までの人が、「西方浄土、輪廻世界、三千世界、死の穢れ」と聞いても??と感じるようなものです。現代21世紀に日本で生まれ育った中学生なら、日本以外の国や日本語以外の言語がたくさん明日世界をイメージできますが、鎌倉時代の多くの人は30歳になっても自分の育った文化以外のものは、武士や僧侶、公家衆官人、盗人、罪人のような人もいるという程度の理解しかしないです。 
情報が限られているので仕方ないです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

基本的に『世界観』というものは、それほど大きく変わらないのです。
換えようがないのです。
要するに、立教開宗するまでの間に世界観は確立されているのです。
そうでないと、『法』は説けないのです。

お礼日時:2023/12/11 17:16

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